今日のお昼休みが終わる頃に、私はもう1人の のりちゃんにかなり似た人とすれ違いました。 昨日書いたことと合わせ、今日はこれを書くべき なのかと思いました。 以前交流のあった方のお友達のBand。かなり お誘いがあって、またご本人様達もお友達のライブに 行っていたりして。 いや、悪くはないんです。ワンマンだって決して 悪くなかった。タイトルの意味の曲は、中でも とりわけかっこ良かった! でも、出逢い方が間違っていた。その為、「何か 違う」という思いを抱えていて苦しかった。 恋は盲目とはいったもので、そのお友達のお皿まで 購入し、Fanの振りに近かった。いや、気に入って もらえているって思えたから。 好きな人の対バンの中で確かSoloで初めて観て。 出逢い方が違えば、もっと長い付き合いだったかも 知れないし、逆にこういう形でないと出会わな かったんだろうか。 って事以前に書いたかな。もう覚えてないや。 でも、のりちゃんはそういうこと、わかっていたん でしょうね。 さて、かとをさんの8/2のかケルンダーは「33」! 今日は幾つかの「33」に出会ったケド… 関係あるのかな(^_^;) 金曜に、メカニズムの話を書いたけど、そう思った 原因を書きますね。朝食を食べていた時、少し 離れた席の2人組の女性の会話の中に「志村くん」って 言葉が聞こえた。しかし、それはニュアンス違いで、 シマくんって人らしかったんだけど、でもその人も わざとっぽく発音していたような気がしないでもない。 その瞬間、私…だけでなく、1つ席の離れた左隣の女性が 私と同じような反応をし、向こう側の女性2組の方を 目をまんまるにさせて見ていた。 (あ、同類(^^ゞ)と思った。むしろ、そっちの方が 吃驚だよ(爆) その時、顕著に身体が反応してしまって(-_-;) そんな感じでした。あ、その2人組はツシマという名前も 言ってました。その時、左側の女性の反応が薄くなり ました。 あと、近々書こうと思っていたこと。志村くんの 話をblogに書いて少し経って、ガラケーに画像が 増えて…なんて時が経過して、とある日、これまで 2枚取っておいてた帽子被った志村くんの写真2枚を 削除しました。と言ってもPCの方には何枚か写真が あるんですけどね(^^ゞ で、ガラケーにもう写真はないかというと1枚だけあって、 ナタリーの記事の志村會の祭壇の写真だけはまだとって あります。今後はどうするかわからないけど、今は 持っていたいんです。 で、私、あの日新宿の南口の花屋さんでお花を 買いましたが? 後、もう1つ。世界貿易センターの展望台は、私、 去年に行ったのかと思いましたが、実際は一昨年の 今日に行っているのですね。 あのビルが無くなる前に…なーんて思っていたけど なくなるという訳でもないみたい。どのように 変えていくんだろ。 しかし、もっと失礼ながら廃れつつあるような 雰囲気を持ったビルって感じだったのに、あんなに 活性化されているとは!ホントに笑った(^O^)
この時、1つの回答が得られました。 うちの父は、白の負、母は黒の正でした。それが 見えました。 父は普段優しい人でしたけど、突如機嫌が悪くなると (独自の基準やルールみたいなものはあるのでしょう けど)突如怒り出す人でした。暴力とかはなかった けど、怒鳴り声はうるさかったです。 母が他界し、3人になったら、父はめったにキレは しませんでした。しかし、幼い頃はわからなかった けど、父が怒る時って娘の私から見ると単なる 気分にしか見えませんでした。 同じような出来事が起きても、日によって態度が 違ったからです。 父のそういった所は、私が大人になるにつれて (屁)理屈で、ぐうの音も出させなかった。 私は日常においては、父よりも強く出る事が 出来てました。 でも、父が譲れないところだけは、父に従うという 感じでした。 父と母の直接のやり取りについては、私はあまり 記憶にありませんが、父の好みでない食べ物は母は 出さなかった気がします。 「お父さんは○○だから」と言っては、お父さんの 好み通りに努力している感じがします。 で、思ったのですが、母は本当に父にホレていて 父に意見するとか、逆らうとかをしなかったのでは ないでしょうか。で、父が突然キレたことに対して 母が傷ついたりしてなかったか? 普段は優しいのに、病気の事とか掃除の事とかは なんで厳しかったのか。 母は父に押さえつけられた感情を、そんなつもりは なくても、私達に多少なりとも矛先を向けていたの ではないでしょうか? それで、そんな自分が嫌になる事も。 また母の姉達もぐちゃぐちゃ言って来て、私達も 子供だったから、そういうことはわかってあげられ なくて。本当に参っていたのかも知れません。 人によっては、16歳ってもう大人ですよね。 いろいろ世の中のことが見えている人達もいると 思う。 でも、私は子供だったな。周りがよく見えるように なったのは正社員になってからだった。 それまでは結構主観的に生きて来た。だから、親に なんて甘えて当たり前!って感じだったから、 親に気を遣うとか、親の気持ちを察知するって事は なかったな。 当時、母の立場というものをわかってあげられる のであれば、違っただろうか。 でも、母は、私を思い通りの進路に進ませる事が 生きがいみたいだったから、多分、母が生きていたら、 母の言われるがまま、多分4年制の大学目指せとか 言われ、そこそこのサラリーマンとお見合いさせられ… って人生を歩んでたかも知れないとゾッとする。 多分、私の想像している通りの関係で、母はいろんな 条件が重なって苦しかったんだと思う。 そして娘の私達は、妹が父に似ていて、私は母に 似ている。そんな状態だ。
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