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2001年11月03日(土) 外面似菩薩、内面如夜叉

 内心の如夜叉によやしやの思ひあらはれてあやしきものの外面げめんにぼさつ




 そとづらは菩薩のようだが、そのじつ内面は夜叉のごとく。

 気付いた時は、自分もすっかり浸っている。
 なんの抵抗も感じずに、夜叉になりたいとさえ願っているかもしれない。

 もっと、恐ろしいのがその慣れだとも思う。


 降頻る雨が、雨であるように
 わたしも、わたしでありたい。


2001年11月02日(金) 私信への返信ありがとう


 ここに書き出したことで、感じてくれた人が一人でも居た。

 ありがたいことに、大した言葉を書き出して無い徒然文に対して感想をメールで送ってくださる方も居る。
 それが、私の思いとは違ったとしても、言葉が足らずに伝えられなかったことだとしても、十分過ぎる程に嬉しくなってしまう。

 ほんの少しの拘りを、後生大事に仕舞っておきたくなる程に何度も何度も読み返してしまう。


 貴方の書かれた文を読んで、思ったままを書き出した日。
 その人に読んで貰いたいけれど、読んでもらえるとは解らないまま、それでも書きたくて仕方無い衝動に駆られてしまった日の文。

 すっかり日は過ぎて、私自身も時と一緒に流さねばならないと感じる頃に、貴方からの返信を見た。



 読んでくださってありがとう。そして思いを伝えてくれてありがとう。


 こういう形で人と拘ることがあるんだと、気付いた日。


2001年11月01日(木) ドラッグストアーは、大人のおもちゃ屋


 冬が近づくと、やたらリップクリームを買い漁る。一本はバッグの中に、一本はGパンの後ろポケットに、一本はPCのデスクの上に、一本はベッドのサイドテーブルに。

 塗る唇はひとつしかないのに、どうしてこうもアチコチに転がってるんだろう。

 しかも出先で、それが無かったりした時、しかも目の前にドラッグストアーを見つけたら衝動買いする。唇を舐めるから余計に乾燥して荒れてしまうのは解るのだけど、少しでもザラザラしていると、そこを前歯で齧ってしまうのだ。じゃ、舐めるのを我慢しようとすれば、ちょっとの瞬間に唇が割れて痛い。美味しいものもシミてつまらない。


 普段、私は化粧は全くしない。友人に言わせると、この歳になってスッピンのまま電車に乗れるなんて、図太い神経の持ち主だそうだ。
 言われてみれば、本当そうだと自分でも納得する。
 確かにこれは、修整しなくてはお見せできるシロモノじゃない。ただし普段から化粧慣れていないと、これまたオカメになる程のパレット化になる。
 ただ、運が良いことに私は視力が良い方じゃないので、自分から相手が見えない分、相手から見られていたとしてもあまり恥ずかしさを感じない。イコール図太さに磨きが掛かるのである。

 年上の大切な知人に会う時には、それなりの服装をし化粧もする。
 けれど、普通のOLさんと比べたら化粧品(色物)の消費量は、物凄く少ないんだろうと思う。

 普段から使用する訳でもないのに、秋の新色だとかポスターを見れば欲しくなる。その色を塗ったところで、モデルさんのようになれる人は少ないのに、あの勘違いから起こる買い物は、皆はどうしているんだろう。
 ファンデーションは全部使い切ったことがない。定番の色とか言われても、私にはピンと来ない。
 そのくせ買う。なので、途中でみんな友達にあげてしまう。


 今日も、ドラッグストアーでリップクリームを買ってしまった。
 物凄く高価なものではないにしろ、こうゆうのが無駄遣いって言うんだろうな。

 ドラッグストアーで、目的の物意外にもあれこれ欲しくなる気持ちが起こるのは、おもちゃ屋に等しいかもしれない。


2001年10月31日(水) グローイング・アップ


 「グローイングアップ」って映画をご存知ですか。

 たぶん中学生の頃だったと思うのですが、(記憶が不確かだけど)商店街にあるような小さな映画館で古い作品を凄い安値で再上映しているところで観たと思うんです。その頃はビデオも持ってなかったし、たぶん映画館で観たんだろうと思う程度の記憶力なんですが。

 どうしてそんな古い作品が今頃?って。
 先日、歳の離れた従兄からレコードを貰いました。どうしたってカビが生えてしまうので、晴れ間を利用して整理をしてたらジャズのLPに混じって、「オールディーズ・ヒットナンバー」と題し50's の曲のLPがワラワラと。
 LPを洗剤で洗ったあとに針を落として聞いてみました。どれも知っている曲ばかり。
 そのLPの中に「グローイング・アップ・サントラ盤」があったのです。

 映画のエンディングで流れる「ミスター・ロンリー」を聞いて「ジェット・ストリーム」を思い出すのも、これまた古いですか?


 映画を観た当時は「ふーん。青春ってそういうもんなんだー」などと漠然と思っただけでした。

 いわゆるそんな時期はアッちゅーまに過ぎて、「グローイング・アップした今ではあの頃の出来事でさえ、全て輝いて良い思い出となる」には未熟過ぎ、とっても中途半端な歳だとつくづく思いました。



 「1958年、僕らはいい気なものだった。クールを気取り、車を盗み、金を払わず映画館にもぐりこむ。僕らのアイドルはジェームズ・ディーン。何よりも女の子が気になった。僕の名はベンジー。あの夏の出来事は生涯忘れられぬ思い出だ。何もかも分かったつもりで、本当は何も分かっちゃいなかった・・・」



 そんな時期が、私にもあったんだろうか。


2001年10月29日(月) Fine day and Monday is always get me down.


 そして今日のように晴れた日は尚更に彼女を思い出す。

 もう地べただって冷たいだろうに、彼女は同じ場所で行き交う人の足を見つめていた。彼女の視線を借りれば、見えたものは足ではなく、人そのものなんだろう。

 デパートの入り口脇や道端でしゃがみ込む若者は、その視線の高さでしか物を見れないと、したり顔の大人が数人で襷がけをして、道往く人や自転車の邪魔になりながら駅前で説いていた。
 しゃがみ込み輪になって集うさまは、その視線=幼児の視線の高さ故のことだそうだ。ただ、その話を聞く者は、しゃがみ込んで輪になって集っている者達では無い。
 先頭に立っている者は、大声で熱弁をふるい聴衆に頷かれて、そこでもっともな顔つきになりさらに熱く語れば語るだけ、私には何を言っているのか解らなくなった。

 元々、伝えたいと思う相手が聞き耳を立ててくれる聴衆であるから、気持ちよく演説が出来るのであろう。
 ならば、締めくくりに「・・・であると、私は若者に伝えたい」などと、言うのだけは辞めて欲しい。
 それまでせっかくの饒舌も、陳腐なものになると誰も気付かない環境に居ることが心地よいのなら、閉鎖的な場所で熱くなっていて欲しい。


 髪を色とりどりに染め、唾を吐き煙草を投げ捨て、脇に缶ジュースを置きながら輪になる彼等を横目でちゃんと確認しながら、どうして真っ先に一人で座る彼女の前に数人で立ちはだかり、誰一人屈みもせずに横柄な態度で彼女を立ち退かせようとするのだろう。
 座り込んでいた集団は、ごそごそと場所をほんの数メーター先のコンビニの前に移動したことで、その難を逃れたようだった。もちろん大人と呼ばれる者達はその行動を見ていただけであるし、残された空き缶や吸殻を手に取る者は誰も居なかった。


 駅構内で活動するために届け出を出し、許可の下りた決められた時間内での活動を終え、襷がけの集団が去った後にはまた、同じように若者が座り込めるスペースが出来ていた。
 襷がけ集団が居なくなった分、自転車を押す人や駅利用客が足早に過ぎ、流れを止める澱みが無くなったかのように元の風景に戻っていった。



2001年10月27日(土) 遊びに行こうよ

 ホテルのドアを開けて、入室した時に想像以上に暖房が強に設定されて、浴槽も乾ききってなかったりした場合に、ムッとする湿気も伴う季節になりました。
 外が日を増す毎に寒くなってきたので、せめて暖かな部屋で迎えようとのホテル側の配慮でなく、Check-outぎりぎりまで薄着で過ごし慌ててシャワーを浴びて退室したカップルの後に、そそくさとメーキングを済ませ客の回転を良くして稼ごうとする思惑からと。

 フリータイムと称し格安で長時間の料金体制を利用して、昨日は昼間っから数人で潜伏してきました。当初の目的は某サイトに載せる写真と動画撮りだったのですが。大きな機材を持ち込んだ割には、それらを設置する者は誰もおらず、
 携帯電話のアンテナを見ると電波の入りが弱いので、電話線のジャックを引き抜き、自分のノートに接続してる者。
 カラオケの歌本を真剣に見て曲選びをする者。
 ケータリングでピザを頼む者。
 「徹夜明けなんだよー」と、いきなりベッドに潜り込む者。
 冷蔵庫からビールを取り出し、コンビニで買った弁当をレンジで温めはじめる者。
 そして、駅の立ち食い蕎麦屋に忘れ物を取りに行く者。
 と、皆揃いも揃ってバラバラな行動ゆえ、フリータイムをきっかり最後まで利用していながらもマッタリと各自遊ぶだけで、先に述べた想像上のカップルよろしく、ほんの1時間ぐらいでバタバタと作業をしただけの一日になりました。

 ところで
 いくら素足といえども、直接肌に触れての電気アンマは危険です。
 ふとしたキッカケで、簡単に皮が横に入った皺の通りに破れて出血大サービスになります。
 出血した本人は喜んでいるぐらいだから良いかも知れませんが、見せられた方がメゲます。最近、牛肉問題でニュースに肉が冷凍され陳列されている映像を見かけますが、あんな感じの裂け目でした。


 と、一夜明けての今日。

 気持ち良い晴天。こんな日は洗濯三昧です。
 これを書きながらも、2度目の洗物をしています。

 夜に時間があれば再UPということで、また。

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 そう言えば昨日、一部の地域だけでしょうか、docomoメールが受信不可能状態でした。
 昼間にメール送信した送信先から、夜になって「でーもん」(Mail-DAEMON)になって戻ってきてしまいました。せっかく送ったのに、料金はどうなるのよ(セコイ)
 ここを読んで下さってdocomo使用、しかも私に携帯メアドを教えているの方(妙な私信)また、気が向いたらメールします。


 小さい子供がキャーキャーと騒ぐ処に、大人一人で行くのは無謀ですかね。実は、三鷹の森ジブリ美術館に行きたい衝動に駆られています。井の頭恩賜公園西園内にあるので、やっぱり行く時は女友達か一人になるのでしょうか。
 男と一緒に行くと別れるというジンクスのある井の頭公園ですから、どんな男でもこの先の候補になるかも知れないし。大切にしなきゃだわ。
 誰が言い出したんでしょう。デートコースとして行くと(ボートに乗ると)別れると言われていますよね?(これって、私の近所さんだけの噂ですか?)
 それが怖くて、私は一度も井の頭公園には行ったことがありません。んが、男とは別れたことがあります。

 じゃ、ダメじゃん。

 何処に行くと別れるとか、云々すると喧嘩するとか、そういうジンクスに惑わされ易いです。

 成田山にカップルでお参りに行くと、喧嘩が絶えない仲になるとか。
 祭られているのが女の神様だから、仲良しカップルでお参りに行くとヤキモチをやくと言われています。
 神様たるもの、そのぐらいのことでヤキモチやくんでしょうか。
 もっとも、ギリシャ神話に出てくる神様達は、あまりにも人間臭い性分を持ってますけれどね。





2001年10月25日(木) 芸術の秋


 その方の文章は剣も無く、毒舌でもない。
 ごく日常の言葉で流れる日々を書き綴っているというのにどうも馴染めない。
 それでも人気のあるサイトだからという理由だけで読み進めていくと、段々と嫌悪感を覚え、自分が読みながら何故そんな風に感じるのだろう?と考えながら読んでいるから内容もハッキリとは掴めない。
 ひとつの事柄に対して、その方が抱いた感情が書かれている個所に対して、自分がそこで抱いた感情が違っているらという理由では全くない。

 なんてこったでイライラ感さえするありさま。止せば良いのに、読み終った後にはその文章どころか、会ったことの無い作者そのものにまで嫌悪感を持ってしまった。

 グロテスクな殺人描写を読んだ時の嫌悪感とはまったく違うこの厭な気分は、なんなんだ。

 読書の秋よりは、やっぱり食欲の秋が良いわ。


 愛しのスティーブンが来年の2月に来日するらしい。チケット代がえらく高い。
 ステージ上で処狭しと走り回ったときに、埃を被るほどの近さなら良いけど、豆粒よりも小さく見えるぐらいだったらCDをワンサカ買った方が良いかもしれない。
 悩みに悩んだ挙句、今回は諦めることにして、連絡をくれた友人にその旨を伝えた。伝えながらも迷いながら。(まだ、未練たっぷりです)
 その電話を切ったらすぐに、別の友達から久しぶりに電話があった。ゴジラの映画を見にいかないか?との誘い。なんでも、「とっとこハム太郎」との二本立てだそうで、一人ではやはり行きづらいとのこと。
 気が付くと、ゴジラの話からガンダムの話になり、段々と熱くなる二人だった。
 ちょいと知ったかぶりをして「ザク」の由来をレクチャーしていたら、「MS(モビルスーツ)とMA(モビルアーマー)の違いはなんでしょう?」と、斬り返された。
 MSは人型でMAはそれ以外?あ、でもZガンダムでは変形する機体も出てくるしなあ。
 降参するのは厭なので、次回までの宿題になってしまった。



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