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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

雰囲気ってなんだろう
2001年05月07日(月)

なんとなく、4,5限に出る。

その後、NさんとIくんに会って、散歩して話す。
25歳までにそれぞれ、ものにならなかったら、3人で炒飯屋を開くことにする。

フンイキのことを、フインキと言う人がいるけど、オッケー。
言葉なんて、通じればいいのだから。



ゆっくりと壁が溶けていく
2001年05月06日(日)

誰と話しても、なんらかの学び取るものがある。
後輩一人一人が、自分にはない、見習いたいものを持ってる。

左将軍、練習を見に来てくれる。

今日で最後のK女大練。
なごり惜しく何度か振り替える。
確か、沈丁花だらけだったのが、桜だらけになり、今はつつじだらけ。

栗の入ったドリアを食べる。栗はすき。



さよなら人体模型
2001年05月05日(土)

神保町にて、マンドリン弾く。
帰りにスパゲティー食べる。




左将軍と会う
2001年05月04日(金)

左将軍、渋谷にいる。
シケモク、2ndのMちゃんもいる。
左将軍、あいかわらず前向きなことだけ喋っていた。
あの、赤いシャツ着て。



雨が降ると海の色が変わるみたい
2001年05月03日(木)

朝、一人で、散歩に行く。
海に出っ張ったところに行って、座って、コーラ飲む。
海。

貝拾う。

不思議な気持ちになる。

その後、雨が降り出し、風が強まり、岩井の駅まで歩くのに、ものすごい苦労する。でも楽しかった。傘させないんだもの。
それで、電車に間に合わなくって、1時間半、駅で次の電車を待った。

最後になった岩井での合宿、やりたかったことはやれて、楽しかったことはいあっぱいあったし、問題が起こってもそれはそれで思い出だし、1年生もいいこばかりで、悔いのない、忘れない合宿になったと思う。
同学年の方々、後輩のみんな、私と遊んでくれた方、ありがとう。

至らない点もあったと思うけど、これからも、何でも言って欲しい。言ってくれたことはちゃんと聞くし、私の意見も言いたいので。
特に、たよってくれると、嬉しい。





何が君の幸せ?
2001年05月02日(水)

最終日。
1年生の発表があった。
みんな上手だった。
ドリンはアンパンマン。練習したねえ。
ドラはイスラエル国歌。チェリはいなくって、ギターはビールのCMのやつだった。
ベースは喜びの歌。すごかった。

打ち上げをやる。
貫徹。

わからないままおわる。そんなのは、嫌だ!



人魚は泡になりました
2001年05月01日(火)

面接に行く。
津田沼。2時間半はかかった。
この日のために、スーツと靴、鞄を持ってったのは、実は重かった。
なんとか終えて、また岩井へユーターン。

ぎりぎり4時からのチーム発表に間に合う。
私はプロムナード1。班の名前を決めろということで、みんなで決めた。
その名も「渡部篤班」
うけは悪かった。
うーん、面白いよねえ?
渡部篤班のみんな、いい演奏出来ました?楽しかったね。

夜は花火。
はりきって、ハーフパンツ、タオル持参。
それで、3年生のコたちが足とか持ってくれて、海に投げこんでくれた。
口が砂でしばらくざらざらだった。
でも、嬉しかったなあ。
悔いない。
運んでくれた方々有り難う。
今回は7人くらい海に入ったみたい。
シケモクさんが、逃げ回って転んで怪我したのが面白かった。



ワールドタワー
2001年04月30日(月)

N谷語録を作るも、N谷くん、なかなかいいことを言わない。
面白かったのはこの日のカレーの時の「福神漬けって最初から赤いんですか?」くらい。
代わりに、コヒロヒラハくん、フレマンの時ドリンに遊びに来てくれていいこと言う。
曰く「沈黙も会話なんだよ」
この科白は、将来知ってるつもりのコヒロヒラハくんの回で、最後のテロップで出るそう。
「会話が相手がいないと成り立たないように、沈黙も…」と。


夕方、シケモクさんと海の塔に登りに行く。
シケモクさんが針金の上に登れたので、その後、私も登ってみる。
爽快。
てっぺんで、片足で立ったね。
悔いなし。

夕飯でカニの甲羅に入ったグラタンがでる。1年生のNくんのカニを奪って2個食べる。そういえば、毎回カニは2個食べてる。

また、5時くらいに寝る。



空の上で面接
2001年04月28日(土)

ビルの21階で面接があった。最終回なので緊張したが、楽しかった。
自分のことを良く話すのってばかみたいだと思ったから、やめた。
ただ、普通に出会って、今会話してる、という気持ちで話したら、楽で、ああ、こうゆうことかも、と思った。採用されるかな?楽しみ。どちらにせよ、いい時間すごしたから、いいや。

要は、すべて、出会いってことか。


そのあと、都営新宿線にて神保町へ、マンドリンの練習。
8時までで、くた、としつつも、ごはんを食べて帰る。

現在、12時、明日(今日)合宿行くのに、全く荷物をつめていない。
合宿、楽しみだ。楽しくしようと思えば、きっと楽しくなる、よねえ。

腕が鳴る。
フレマンも出来たらいいなあ。




言葉なんて
2001年04月27日(金)

世の中で発明されない方がよかったと私が思うもの第三位は写真。第二位は電話。輝く第一位は言葉だ。

言葉が人間によって作られるよりも遥かに人間が言葉によって作られる方が多い。(フィヒテ)

で、私は言葉ってだいきらい。
言葉にするのがすごく気持ち悪い。
自分が思ってることじゃないことが、どんどん伝わっていくのが気持ち悪い。

すごくもやもやした曖昧なものがあるとして、それに言葉を与えると、その形になっちゃう。
でもほんとは、もやもやのまま伝えたいのだ。

よく言葉にしないと伝わらないと言うけど、言葉にしなくても、伝わるものだ。
人間関係はシビアだから、口を噤んでも、伝わっちゃうものだ。

だから、黙っていればいい。

伝えたいことがあったら、泣けばいい。

もともとコミュニケーションなんて、限界があるのだし。

それに分かり合うことに意味なんかないと思う。
知識や感情を共有してなんになるのか。

情緒があればいいのだ。
言葉には、情緒があればいい。
言葉にそれ以上の力を持たせると、嫌な目に会う。
ばかみたいに言葉に万能の力があると信じてると痛い目に会う気がする。

言葉なんて、ただ理解し易くなるだけだ。人間の脳は曖昧なものよりはっきりしてるものの方が理解し易いってだけだろう。
でも理解してどこへ行くのか。

どうせばかな波打ち際に辿り着くのが落ちだ。

だから、伝わらなくてもいいから、もやもやはもやもやのままにしておけばいい。

言葉なんて冥土送りにしてやる。

お前は聞茶でも飲んどけ。







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