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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

6月地獄と睡眠地獄
2001年06月01日(金)

すてきな女優さんがいる。板谷由夏。

ところで、よく「人に迷惑かけてはいけない」なんて言うけれど、ほんとにそうかな、と思う。
意外に迷惑かけられると嬉しい。
やっぱり、寛容だねえ。
世界は寛容で成り立ってるんだから、人の失敗なんて、平気で許したいし、わがままも、砂地に水が染み込むように聞き入れたい。
わがままとか、いいと思う。
わがままな人と付き合うのは得意かもしれない。(自分もそうだからか?)
ひとりで生きてるんじゃなくって、みんなで生きてるんだから、迷惑って当たり前だと思うし、迷惑かけてもいいんじゃないのかなあ。

それから、謝ったりとか、しなくっていいよ、と思う時もある。「ごめんなさい」とか、「すいません」とか、言って欲しいって人もいると思うのだけど、私の場合は言われなくても平気だ。
たぶんココロの中で悪かったと思ってるんだろうな、と想像出来ると、別に言葉にしてくれなくっても許せる。
「ありがとう」も言わなくっていいよ、と思うけど、でも「ありがとう」はいい言葉だと思うので、自分では割と使うようにしている。
「ごめんね」って卑屈な言葉でそんなに良くない言葉だと思う。
「ごめん」を使うシーンで、代わりに「ありがとう」が使える時ってよくある。
例えば「遅れてごめん」を、「待っててくれてありがとう」と言い換えて言ってみると、言う方も言われる方もいい感じな気がする。
そんな感じ。。



そういえば川口
2001年05月31日(木)

楽器倉庫で、変な鉄の管に頭をぶつけて、たんこぶができた。

歯も痛いし、頭も痛いし、不幸せだ。

最近の夕方は、薄い紫のフィルターをかけたみたいにきれいだ。

そして最近すきな曲は「桃の天然水」のCMで流れている「愛の賛歌」
あなたのもーえる手でってやつだ。
その出てくる女の子も可愛い。

明日から真面目に就職のこと考えようと思う。
6月だし。

でも、人生ってほんとに、どうにか成ると思う。
もともと人生っていうのは、自由でわくわくする性質のものだと思う。
だから別に深刻にならなくっても平気だよ。
今までだって、どうにも成らないことなんて無かったし。

上海行きたい。

四つ葉のクローバーが欲しい。

厭世的になったり皮膚が荒れたりするのが嫌だから、もう、CPいじるのをほどほどにしよう。

まあ、フィルターって言っても、ミッドフィルターだけどね。



カミナリ
2001年05月29日(火)

カミナリが鳴ってびっくりしましたね。
地下にいたら、カミナリとともに、非常ブザーが「ビー」と鳴って、一同騒然とした。
「何だ?俺らこれからサバイバルじゃない?」「富士山の爆発で出口塞がれたんだよ」などと言い合う中、N谷くんがほんとうにびっくりしたらしく、固まっていて可愛かった。

あと、地下の机におきっぱなしにされていた日本酒の瓶が割られていて、床がひどくってびっくりした。拭いたけれど、今日は一日お酒の匂いがしていて苦しかった。

さいたま市長は相川さんらしい。





マハ
2001年05月28日(月)

授業に出るのが嫌な日だった。
それで303の前で逡巡して、諦めて、屋上に行って、ベンチにねっころがって、雲を見ていた。
雲というのは実際はどれくらい大きいのだろう。

例えば、朝起きた時に、「どうして私は、海や雲ではなくって、人間なのだろう」という不思議な思いが湧く時がある。
雲ということもありえたのではないか、という気がする。

雲のように大きな存在ではないけれど、私でよかった。

今日は楽器を弾かなかった。
そろそろ手を引いて、落ち着いて将来の事を考えたりしよう。

みんなが友達を欲しがる訳が、最近わかってきた気がする。
私はひとりでいるのがわりと好きで、今までは、電話や手紙、メイルとかは面倒という気持ちがあったし、友達って特にいらないような気がしていたのだけど、(勿論まわりの人の事は大好きだったのだけど、特に「友達」というのがいらない気がしてた。ひとりでいるのは楽だし)ちょっと話すだけで、気持ちが落ち着いたり、考え方がいい方に変わったり、するものなんだ、という事を、最近やっと実感してきた。コミュニケーションってすごいなあ、と。面倒を越えてすごい。

雲。



フリスク序曲
2001年05月25日(金)

授業中もずっと、五線譜をひろげて、作曲をしていた。
3,4限はないので、ずっと、地下で一人で弾いて、テープに取ったりする。
5限のあとはシケモクさんとコヒロヒラハさんが来たので、弾いてもらったりもする。

なんか夢中になってたけど、やっぱり素人だよなあ。
と急にクールになったりもした。

それでもコンセプトは「お菓子と思って甘く見んなよ。ちっちゃいけど、刺激的だぜ」で行く。
まあ、そんなに刺激ないが。実際は、ぬめぬめしている変な曲。
でも初めての曲だから。可愛いというか。

明日、曲決めがあるので、テープ持ってきたいけど、勇気が無くて出せないかもしれない。
私は普通の曲だって出したことないのだ。
一回ぐらい、自分で曲出してみたかったな。
「この曲聴いてよ」って。

今日は6時過ぎくらいに楽器はきりあげたのだけど、そのあとお喋りしてしまって、やっぱり8時くらいになってしまった。
渋谷地下ってすごいよね、30年くらいずっと変わってなさそう、きっと30年前も私と同じようなことで悩んでここに座った人もいるんだろう、なんてしみじみする。
誰も触ってない所を障りたいね、と椅子に立って配管の裏に手をやってみたりする。埃だらけだった。
来年には、地下も改築されちゃうそうだ。
天井は低いしボコボコ穴空いてるし、椅子はぼろぼろでガタガタ。
どうしようもないけど、この情景を、80歳になっても覚えているだろう。



作曲
2001年05月24日(木)

作曲を始めた。
フリスク。
また、8時まで、地下で楽器を弾いてしまった。
シケモクさん、Mくんなどとああでもないこうでもないと話してると、夢中になる。
やっぱり、Mくんがすごい。楽器をいじってるときらきらしてる。

ばかすぎる。
なんで、俺らはこんなに、毎日楽器ひいてるんだろう。



ちっぽけすぎる俺たちは
2001年05月23日(水)

また歯が生えてきやがった。
この前はどっから生えてきたんだっけ?
忘れたが、今は右下。痛くてたまんない。
こんなに、ずっと歯が生え続けるなら、そのうち顔中歯になっちゃうんじゃないか?
で、昨日、シケモクさんのCDのへんな曲を音取りしてたのだけど、それを、Mくんが、なんと一晩で4パートのをつくってきて、おお、と思って、今日も、弾いた。
みんなで、ああでもないこうでもないと話し合ってると夢中になる。
とくにMくんがすごかった。あんなに楽しそうなMくんははじめて見た。
編曲って楽しいんだ。びっくりするくらい。

演奏会終わっても、結局毎日楽器弾いてて、ばかなんだと思う。昨日は7時半まで弾いたし、今日は12時から6時まで、ぶっとおした。ばかだ。

就職にまったく興味がない。
楽器弾くか、本読むかしかしてない。



ステマネごめん
2001年05月22日(火)

まあ、それだけ。




過激な言葉
2001年05月21日(月)

悪口って、何なのかな?と考えた。
言葉自体に効力があるのか、それとも気持ちが問題なのか。

例えば、俺は「ばか」って言葉がすきで(ジャンクな言葉がすきだから)、この日記もそうだけど、普段も結構多用してる。
でも、ばかって、悪口の意味で使ってはいないと思う。たぶん皆そうだ。ほんとうに嫌いな人に「ばか」なんて言う人はいないはず。

あと、知らないで言ってたのが「口が達者」。誉め言葉で使ってたけど、確かに、他の人はあまりいい意味では使ってない気がする。でも、口が達者ってすごくいい事なはず。

それから「八方美人」とか。これも俺はこういう人がわりかしすきなので、別に悪い意味で使ってなかった。だって、皆に好かれたいのは当たり前じゃないか。俺だって、そう出来るものならそうしたい。でも、ばかだし、その技術がないから、出来ないだけで。だから、それが出来てる人って、すごいなと思うし。それは、自分だけじゃなくて他の人にもいい顔してるのは残念だけど、特にその事でその人を非難する気にはならない。

それから「優柔不断」とか。これはほんとうに俺の好みなので「あの人優柔不断だよね」と言う時は「あの人って可愛いよね」ぐらいの意味で使ってた。だって、決断力なんて、たいして武器にならないと思う。面接とかで「考え込まずすぐ答えろ」なんて言うけど、俺だったら考え込みながら喋る人の方がずっと一緒に働きたいけどな。
例えば、昼ごはんなんか買う時に、俺は結構すぐパッと決られるので、ずっと選んでる人がいると、なんか面白くって、じっと見ちゃう。あと、自動販売機の前でずっと考え込んでる人もすきで、「これにしなよ」とかパッと勝手にボタンを押してしまうのがすきだ。どうでもいい事でうじうじ考え込んでる人がほんとにすきだ。たぶん色々な事に気を回して、色々な人の気持ちを考えすぎちゃうから決められないんじゃないかなと思う。

でも、悪口っていうのは、受け手の問題で、こちらがどういう気持ちで言ってても、相手が傷ついたりしたら、それは悪口になってしまうのだと思う。

関係ないかもしれないが、この前、後輩に「キューさんは人がかげ口を言うことをものすごく嫌いますよね。でもたぶんキューさんは精神的にもろいとこあるから、かげ口言うのに耐えられないんじゃないですか?」と言われて、どきっとした。

そうだから、たぶんかげ口って言うのは言ってないと思うのだけど、本人に直接きつい事言うっていうのは、やってしまってる気がする。また他の人に「喋る事がストレートで面白い」というのも言われたから。ほんとは面白くないんだろうな。
気を付けよう。

でもほんとうに、俺は、わりと好きな人にしか、きつい事って言わないから、ほんとに悪口って言ってないと思うのだがね。

俺は結構、他の人の使う言葉の意味以外の意味でその言葉を使ったりしてるから、なんかたまに、相手がびっくりしてる時がある気がする。たまに過激な言葉使っちゃうから。

何にせよ、誰かにとっては欠点でも、俺からみたら欠点じゃなくって、逆もあって、だから面白いのだなあ。



プッャチケ
2001年05月20日(日)

俺はサークルってすきで、練習もすきなのだけれど、それでも、演奏会が終わって、開放感でいっぱいで、こうして昼過ぎに起きて、無駄な音楽なんて聴いていると、すごく幸せだ。

幸せ過ぎて、思わず、オムライスにケチャップで「幸せ」なんて書いてしまった。

ところで、「過去」とかってよくいうけど、過去って何だろう?
「平安時代」とか「縄文時代」とかってほんとうに過去なのかなあ。「自分の幼稚園時代」なんていうのは過去だなって思うのだけど。別に縄文時代って、過去じゃなくてもいいような気がする。過去でも未来でもどうでもいい、という感じか。
過去っていうのがどういう定義なのかよくわからないけれど、記憶にないことがどうして過去なのかなって思う。
過去がないと今がないっていうことなら、今って何よ?今って過去から続いてるの?
わからん。

それから、未来っていつも右にあるような感じがするのだけど、これはなんでなんだろう。本の影響かな?いや、本は左に進むよねえ。絵だったら、未来は絶対右上に描いてあるよね。絵?

何か、何にせよ、未来に向かって邁進してるとかじゃないなあ、と思う。とりあえず、人生っていうのは進めるものではないな、というのがわかってきた。なんとなく、人生って歩いているというか、進んでいるような気がしていたけれど、絶対進んではいない。中学生の頃と比べて、まあ、性格丸くなったり頭よくなったりしてるかもしんないけど、だからって人間としての価値が重くなったってわけじゃないし。だってそうだとしたら、子供より老人の方がえらいってことになってしまうし、そんなことはないと思うから。
それに、過去より未来の方が価値があるってこともないと思うし。
ただ前を向いてる方がキモチいいってだけだろう。

進んでないと言っても、動いてないってわけじゃなくって、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしてる。

次にやりたいことは何かな?とか考えたり。

兎に角、性格良くするために生きてたりするんじゃない。

何にせよ、人生って楽しくてたまらなくって幸せで自由なものって感じがする。

何か、うまくいえないけど、どこかに確実なものがあったり、どこかにほんとうのことがあったり、どこかに完璧な成功があったりするのではなくって、うまくいえないけど、こうしているだけで価値がある感じがする。

勿論、ばかじゃないから、苦しくってたまらないけど。
慣れたね。大人だから。

というか、日曜の昼間に人生のこと考えてPCいじってるのが、ほんとうに幸せなのか?
まあ、いいか。
金儲けしたいな。




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