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由利徹って、実はいい。 今日は安曇さんとお喋り出来て、すっごく楽しかった。 それから5限のテストを受けて、 それから、Mちゃん、Mくん、胡瓜の古漬けさん(でいいのか?)とお好み焼きを食べに行く。 不味さにびっくり。 そばめしとか、そばじゃない、スパゲティーだった。 5限のテストめっちゃくちゃなことかいちったなー。 言葉は意味を伝えるためにあるんじゃなくって、生まれさせるためにあるんだとか。 伝えたいんじゃなくって、刺激によって何らかの感情を起こさせたいんだな。 そしてその行為を一生続けたいんだな。 そして、空の青さ。 「青」っていったいなんなんだろう。 人間にとって青ってなんなんだろう、青っていうのはどこにあるんだろう、とか。 コーラのおまけのLEGOを集めるつもり。
やった。採用だ。 と言っても、アルバイトの話。 地元のおしゃれな感じのレストランで、前から気になっていたのだ。 そして、もうだめと思ってたとこの、2次面接通過の通知がくる。 行きたいとこなので、次も頑張ろう。 楽器。 かわいい山田。 いやし系。 片桐はいりになりたい。 というのは嘘だけど。 今日電車で秒針が5秒に一度動く時計を見る。 かくっかくって動くから、最初壊れてるのかと思ったけど、5秒ごとに動いてるのだった。初めて見た。 前に座っている人の腕時計をじっと見詰めてしまった。 今日の歩数は10298歩。 風って、いいな。 夜の風って神秘的かも。
ハマナスがきれいに咲いている。 初夏の光っていいな、と思う。 徹夜明けの目にはきついけど、 この7月の光の中を、スキーのように、スイスイと滑って過ごして行きたいな、 と思う。 眩しさって、はっとするなあ。 今日は朝、マンドリンを大学で弾いて、 午後はバイトの面接に行く。 バイトを始めようと思って。でも4年だから、取ってくれないかなあ。 割と、就職でもアルバイトでも恋愛でも、必要なのって「やる気」と「覚悟」かも、と思う。 才能や向き不向き、経験等々あんまりないかもなあ、と。 就活が上手く行かないのは「ここで働く」っていう覚悟が無いからかも。 なんにしても、相手に求めるのって割と、やる気だったりする。 そういえば、今日はあったまに来る事があったのだけど、まあ、よくある事だし、気にしなくっていいよ。思考回路がばかっぽいとは思ったけど、いいんじゃん。 ちょっと、こたえたけどね。 でも私も思うとこがあったわ。 光か。 私は光の子供だから、きらきらしてよう。 兎に角、私は私らしく、いつもふざけてにこにこして過ごしたい。 神様っているかもしれない。 やなことばっかって事もないもん。 私は運がいいから、運で生きていこう。
屋上でお酒飲む。 東京タワーきれいだった。
†魔女の宅急便、泣ける。 おもいでぽろぽろでも泣いたけど。 女の子が一人立ちして、挫折して、自信がなくなって 自分には何があるのだろう、なんて考えるってことだよね。 「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。 神様か誰かがくれたんだろうけど。そのせいで苦労もするけどね。」 という科白がすき。 ††相手の好意が気になるだけの感情だったら、つまらない感情だ。 本当は相手に幸せになって欲しいとか、どう考えるんだろう、何をしたいんだろうと考えたりする、素晴らしい感情なのにねって。 †††神様 ††††智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 †††††弟がいたらいくらでもお金あげちゃうだろうな。「姉さん、お金がないんです」なんて言われたら。 ††††††昔買ったギター譜でトルコ行進曲弾いて遊ぶ。 無伴奏チェロ組曲前奏曲なんてのもあったから、フリスクのチェロにパクらせる。 †††††††せつなさってなんだろう
「言葉には温度があって…」と友人が言う。 あるな。温度。 言葉って、意味なんかより温度の方がよっぽど効き目があって大事なことかもしれない。 それから、ふっと目が覚めた。 本当は素晴らしい事なのに、次元が低すぎるという話。 考えるべきことって、もっと他にあるねって。
サークルの練習がある。 今日思ったのは、音って聞こえてる音だけじゃなく、 ココロの中の音も聞こえるな、という事。 例えば、他のパートが弾いてる時、 自分は弾いてないはずなのに、自分の音が聞こえる。 自分が弾いてる時は自分の音とは別に、理想の音が聞こえる。 それから、ココロの中で音量の調整が出来たり。 私は1stだから高音の音がもちろん大きく聞こえるのだけど、それではよくわからないから、出来るだけ自分の耳を客席にあるような気持ちにさせて、 全体の中では1stがどの程度聞こえるのか想像してみたりとか。 今日はチェロは出席人数少ないから実際のメンバーを想像してココロの音量を上げてみたりとか。 それから今は弾けなくってもこれから上手くなって行く過程の音が予想出来たりとか。 そういう事を考えていると、人間ってすごいなあ、 音って外にあるんじゃなくって、頭の中にあるのかも、 なんて考えた。 そういえば関係ないけど、置いていかれたのでむだにいつもと違う道を選んで帰ってしまって、勝手知ったるはずのたまプラーザで一人で迷ってしまった。ココロ細かった。
★面接なんて市川染五郎にくらべれば、全然たいしたことない ★エリンギはどう考えてもまずい ★今日のココロの中の私の名言は「期待に応えるだけが愛じゃない」だ 言って欲しそうな事に察しが付いてもそんなことは言ってあげない 必要ないときに言う こっちは機嫌取りのために存在してるんじゃないんだから、言って欲しそうな事を言うのじゃなくって、ちゃんと向き合って、自分の言いたい事を言おうと思う ★昨日は噂話も情緒があれば……なあんて書いたけど、私は矢張り噂話って苦手だ その場にいない人の話してもつまらないと思う 自分の話したらいいのに 何にしても人の話を聞いて、誰かのことを判断するっていうのはおかしい 私はその人のことは自分の前にいるその人だけで判断したいと思う ★コンタクトを入れたままにするのは止めた方がいいと思う ★冷やし中華始めました(仮) ★漫画家にはどーしたらなれるんだろう 持ち込みかな ★渋谷駅新南口をもっと開発したい ★渋谷校舎にある、デイリーヤマザキとセブンイレブン、どっちがせつないかもっとよく考えてみるべきだ 私はその奥のキムラヤを繁盛させる ★フリスク、2ndが完成 ★冷蔵庫の野菜室にもらいもののさくらんぼが詰まっているが、うちの姉妹は両方ともさくらんぼは食べない
谷崎潤一郎の『細雪』なあんてのを読み返し始めた。 面白い。 大阪の旧家の姉妹がお見合いしたりしてるだけの話なのに、なあんでこんなに面白くって、するする読めちゃうんだろう。 悩みはくだらないし、貴族っぽい振る舞いは鼻に付くし、言いたい事も言えないでばかだと思うし、 でも魅力的で、風流、心理描写もすごいし。 読んでいると、外聞を気にしすぎたり、コミュニケーションの間に人を介したりっていう、私が嫌いなことばかりやっている。 でも、ふっとそれでいいのかも知れないと思った。 私は人間関係は一対一だと考えてるから、人と人とのコミュニケーションの間に他の人が入るっていうのにすごく嫌悪感があって、例えば「誰々がこう言ってたよ」というのは絶対ニュアンスが違って伝わっちゃうし、「誰々ってこういう人だよね」と本人がいないとこで話しても実際と違う人物像が作られるだけで全く意味がないし、止したらいいのにと常々思ってた。 でも、コミュニケーションって一体何をやりとりしてるのかと考えてみると、 多分「真実を伝えたい」なあんてものじゃないんだろーな、と思う。 「本当の事」なんて実は何処にもないし、 どこかに「本当の事」があってそれを伝えようとしているとしたらバカバカしすぎる。 お喋りっていうのは、どこにも行きつく所の無いもので、噂話なあんていうのも、実際にどうかなんてのは問題でなく、その場の雰囲気を楽しみたくってしているのだろうし、わけのわかんない噂話をされても、面白ければいーやというか、 情緒があれば自分が俎上に乗ってもまあいーやというか、 なあんかごちゃごちゃしてよくわかんなくなってしまったが。 悪口言われててもいいかな。 でも自分は言いたくないな。 そういえばフォーカスが廃刊とかって言っていて、ああゆうのも昔から嫌いだったけど、だってどうでもいいじゃん他人の事なんて。 他人の事がわかるわけないんだよ。 うーん、わかんないな、要は情緒かな。 人生に誤解は付き物だし、 誤解なんて全然平気。 誤解されても絶対誤解は解かないようにしようと思う。 だってかっこわるいもん。 あせって「ほんとは違うの」なんて言い出したらさあ。 「ほんとにそーだよ」、ほんとは違っても。 その方が面白ければそれでいいよ。 誤解されたままでいいんだ。 何にせよ、雪子ちゃんかわいい。 やっぱり、思ってる事をそのまま喋るなんてばかがやる事だよ。 私も雪子ちゃんみたいに、思っている事を喋らないようにしよう。 そうそう、本当に思っている事は言葉にしちゃ、いけない。
お気に入りのコーヒーカップがあって、これって愛情かな、と思う。 愛情があるって時はどうすんだっけ、と思い、近くで見たり、遠くから眺めたり、それからコーヒーを入れて飲んでみたりしたが、べつにこんなの愛情じゃないなと思った。 コーヒーカップに自分の骨を入れたいのだが、どう考えても入りきらないので沢山のコーヒーカップに分けて入れてもらおうかな、と思う。 砕いて紙にのせてさらさら入れてもらいたい。箸でつままれるのは、どうも恥ずかしいから。 生きるのが面倒なのは、不幸だからでなく、生半可な幸せと堪えられそうな不孝が交互に来るからではないだろうか。 大した絶望でない絶望が降り注ぐので、大した諦念にも辿り付けず、面倒なのに面倒とも思えず、知らぬうちに生き抜いてしまうのかもしれず、 いや だまされないぞ!! (わからん) (なんだよ、だまされないぞって) (第一だまされる人の方が楽に生きられるんじゃないのか) (でも、知らない方がいい事なんて、何一つないのだ) (ああ) どうもいつもの憂鬱な時期に突入したらしく、また暫く考え込む文章になるかも知れん。読まない方がいいかも。 もしも、不幸になれるなら不幸な方がいいのだ。 不幸ならば人生を嘆いていれば済む。楽ではないか。 世の中に不満だけぶつけていればいい。 でも現実は幸、不幸の二元論では語れない。 どんな気持ちで人生と対峙すればいいのか、まっすぐに生きる勇気も、逃げる勇気も持ち合わせずに、ただ時が過ぎてしまうのだろうか。 問題なのは私が世の中を好きだという事であると思う。 私が私の人生を愛してしまってる事だと思う。 もっと自分を虫けらのように扱う事が出来ればいいのにな、とか。 まわりの人のことも嫌いになれれば楽なのに、とか。 たまに世の中の人が皆、悪人だったら良いのに、と思うことがある。 そうだったら、ただ憎めば良いのだから楽だろうに。 ふっ。 ところで引田天巧ってなんなんだろう。 どーでもいいが岡崎京子の「ハッピーハウス」の愛蔵版みたいのが出てたので立ち読みしてきた。すごい。よくこんなの描けたなと思う。
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