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私は狭量で冷血漢だ。 甘えきっていて、やるべきこともやらないし、人に対して冷たい人間だ。 この事を忘れないようにしようと思う。 自分がどんなに嫌な下らない人間であるかを忘れなければ、他の人のどんな態度にもハラは立たないだろう。 寛容になりたい。 といつも思っているけれど、本当はそんなに大人じゃない。 ココロの中に知らぬうち、きたないものが生まれたりもしてる。 そのきたなさを見つめる事さえできない。 でも、今はそう思えない事は、後で思えばいい。 今気がついてない事は、後で気がつけばいいや。 私は自分の向上心に賭けてみようと思う。 これでも、1年前よりはちょっと大人になってる気がする。 3年前よりはだいぶ大人になってる気がするな。 (そしてそれは私の向上心だけじゃなく、いや、むしろみんなの影響だろう。色々な人のおかげで大人《そんなに大人じゃないが。そこそこの大人》を今やれてる。有り難い) いつかカッコイイ大人になれるだろうか。 ココロの触れ合いに酔えるような人間になりたい。 笑われるのにも、ばかにされるのにも慣れた。 私は私の「信ずる所の道」を行こう。 まわりに評価してもらう必要はない。 (だってまわりの人にはわからないものさ) 自分が「これぞ大人」って思える行動を取れれば。 そして感情もそれについて来てくれたら。 明日にちょっと、明後日にもうちょっと、大人になっている自分を見つけるかもしれない。
私はしょっちゅう「こんなに気の合う人には二度と出会わない」って思うけど、 大抵その後もっと気の合う人に出会って、 自分の早計さを恥じる。 これからも500人くらい気の合う人と出会うだろう。 これからはあまり早とちりしないようにしよう。
12月になりました。 たまに日記のタイトルが、日記の内容と関係無いものになってるのは、 検索エンジンで引っかかってやってきた人が、関係ない文章を見てがっかりするのをからかってやるためである。 思い知ったか! はっはっはっは みなさんは12月に入って、どうですか? 私は何も変わりません。 もうすぐ2002年になりますが、 去年は今ごろから「次は21世紀!」って騒いでたし おとどしは「ミレニアム!」とか言ってたのに 2002年はやばいですね。 それが2002年問題です。 2002年は 「俺だって俺の良さがあるのに。キリのイイ奴ばっかちやほやしやがって。平凡こそ最高の個性だぞ」 としょげています。 そして私はプリンパンにむかついています。
実は世の中で一番大事なのって<まなざし>じゃないのかな。 つまり、視点がなかったら、意志も価値も何も存在しないよね。 あなたの意志は、もう一人のあなたが、あなたが何か考えているのを見ているから、存在している。 価値っていうのはもっと分かりやすくて、知っての通り絶対的なものじゃない。 誰がどこから見たかで決まるるものだ。 <まなざし>がなければ何も無いのと同じだし、「そのもの」よりも「どこから見てるか」の方が力は大きい。と思った。 浮舟(私が卒論でかく『源氏物語』のキャラクター)だって、薫から見たら人形だけど、私からみたら一人の女の子だしね。 ところで、物語だと、同じ名前で登場したからって同一キャラクターとは限らないし、違う名前で登場したからって違うキャラクターとは限らないよね。 現実ではあり得ないけど。 物語ではキャラクターがぐるぐる回ってる気がする。 卒論書かないといけないけれど、図書館に行っても関係ない本読んじゃったりしてる。 太宰の繰り返された自殺未遂は全部、狂言だったんじゃないかって言ってた。 助けられる事を見越してやってたんだろう。薬はいつも致死量には程遠い程度しか飲んでないし、首吊りだって首にちょっと傷を付けて帰って来ただけなんだ。 生活がせっぱ詰まった時に、切り抜けて、その後しばらく身内の人が優しくしてくれるのが嬉しかったんだろう。 基本は、狡猾な甘えん坊なんだ。 など。 ああ、確かにそうだ、太宰ってわりとそうだよ。むかつくよね。 「私は太宰は嫌いだ。でも、そういう弱い所が可愛い、とか、人懐っこくてサービス精神のある所がたまらない人もいて当然だと思う」 とも言ってて、まあそうなんだよな、とも思う。 澁澤龍彦が、この世に幸福なんてものはない、幸福を求めるより快楽を求めた方がいい、って言ってた。私もそう思う。 私は幸福になんかちっともなりたくないけど、快楽は欲しいしな。 「幸福論」とかなんか宗教ぽい。 人生には目標はないらしい。 浮舟は出家したけど、私は浮舟じゃないから出家はしない。 男に見切りをつけて、どうして仏に見切りをつけないんだ? 男に頼るのは止めたのに、どうして仏に頼るのは止めないんだろう。 この世に生まれて、人間らしく生きないでどうするんだ。 また傷ついたって傷つけたって、また悩んでもいいと思う。 生身の女の子で生きてくしかない。 私は、男も信じないし、仏も信じない。 誰も信じないし、神様も信じない。 自分しか信じない。 まあ、それはいいから、卒論書いてくれ、自分。
会社の勉強会に行く。 敬語の使い方とか、小学生みたいな事やった。 だけど、わりと「なんか変な感じだから、こっちを使う」とか、なんて言うか、言葉を選ぶ時に感覚で選ぶ人って多いんだな、と思った。 私はわりと、論理的にこっちの言葉じゃないといけない、とか考えていた。 まあ、日文だからねえ。 敬語とか、古文のしか思い付かなかったりした。 食べるの尊敬語は?なんて、「聞こし召す」しか思い付かない。 ところで、物語の中に形代が出てくるのって何でなんだろう、って根源的なとこがわかんなくなってきた。 小説の中に、「愛する(けど思いは叶わない)人に似ている人(その人の妹とか)が現れて、その人を愛し始める」っていうばかばかしい設定ってよくあると思うが、なんでなんだろ。 現実にはそんな事ってないですよね? たぶん、そういう設定に魅力があるからだと思うのだけど、 せつないっていうか、 でもよくわかんない。 書き手の問題か。 雛形の恋愛の方が描きやすいから。 それか、 私が思うには、実像(例えば姉)と形代(妹)って同一人物なんじゃないかと思うのですけど。 姉と恋愛が成り立っちゃたら物語がドラマティックにならなくって、だから、姉が妹に移ってやっと物語が動き出す訳で。 で、妹では埋められない部分が文学的なんじゃないかなあ。 大君と浮舟の事なのだが。
演奏会は良かったです。 おつかれ様でした。 こないだの日記は重要な事を書き忘れてた。 「特に頑張って生きてきた訳じゃないけど、その時その時好きな事やっていたら、こんな女になっちゃった」 って感じの人になりたい。 だ。 さて、私は大学卒業出来ないかもしれません。
来年は渋く、ゆるく生きることにしよう 「特に頑張って生きてきた訳じゃないけど、気がついたらこんな女になっちゃった」、 って感じの人になりたい と考えて、その理想像と今の自分がかけ離れてることに気付き落胆 大人の女への道は激しく長い
ソウデモナイ、ネムイッテホドデモナイ 文字化けしただろうか。 文字化けする前はすごい文章である。 (アレ、シテナイデスネ、ハンカクカナハモジバケスルッテカイテアルノニ) さて、カニュなんとかを作った。(名前忘れた) なんだっけ。 カニュリャサクスキー診断だったか。 カニュリャサクスキー診断はカニュリャサクスキー氏が作った診断で、 1カニュリャサクスキーは10チャイコフスキーである。 カニュリャサクスキー氏病はアメリカで最初に確認され、現在、日本では二頭目のカニュリャサクスキー氏病が発見されている。 カニュリャサクスキー氏はベルを鳴らすのと同時に犬に餌をあげる事を繰り返し続ける事で、ベルを鳴らすだけで犬が唾液を分泌するようになる事を発見した事で有名である。(狂犬病) カニュリャサクスキー氏の代表作は「アンナカレーニナ」「<超>整理法」「買ってはいけない」「脳内革命」などである。 カニュリャサクスキー氏の息子が先日、泥酔した状態で全裸で道を歩いている所を逮捕された。 氏の息子は友人にしばしば「俺は父とは関係のない、普通の人間なんだ」とこぼしていたという。 偉大すぎる父を持つ、という人生の、悲劇であった。 カニュリャサクスキー診断に何度も出てくる「あいつ」はカニュリャサクスキー氏の妻のことである。(妙にリアリティーのある人物像になってるが実際はデタラメである) カニュリャサクスキー氏は二度妻を変えたが、一度目の妻の時の佐藤春夫との三角関係は有名である。二度目の妻の松子には心酔していて、椅松庵となずけた部屋までつくっていとおしんだ。 カニュリャサクスキー氏は二ヶ月間、ミラノの教会に一人で閉じこもって壁絵を描き続けた。 カニュリャサクスキー氏は鰐に皮をひん剥かれた所を大黒さまに粉を付けてがまの穂にくるまれると治る、と教えられた。 カニュリャサクスキー氏は休講掲示板の前で人に会うとすごく恥ずかしそうにするが意味不明である。 カニュリャサクスキー氏はスキージャンプで復活を果たした。 カニュリャサクスキー氏は学園祭に森三中を見に行った。 たいして暇でもないのになんでこんな下らない事書いてるんだろ、私。 最近、なんかぼんやりしてると思う。
電車に乗ってて「赤羽に到着です」ってアナウンスが何故か、 「アフガンに到着です」って聞こえて、まじでびびった。 さて、演奏会が終わって今私が夢中なのは、眠りです。 夢も見ちゃった。 いくら眠ってももっと眠れそうなのだが。 しかしそろそろ卒論も本格的に書かなくちゃ。 ところで、大杉漣って、すごくかっこいいですよね。
みなさんは精神的に傷ついた事がありますか? 私はありません。 さて、今日はバイト(レストラン)があったのですが、 お客様が、にごり酒を持って来てくれて、 飲んじゃいました。 なんなんだろ、なんか、アットホームなとこで、 よく「おいしいうどんが手に入ったから、茹でてよ」なんてお客様がうどん持って来て茹でちゃったりもするとこなんですよね。(基本はスパゲティーの店なんだけど) それで、そのお客様はなんか、ムッシュやバイトの私たちみんなににごり酒振る舞ってくれて、 私は飲めないっていうバイト仲間のももらって、ワイングラスで2杯、にごり酒をのんじゃいました。(もちろん仕事中) 私は思った。美味しいお酒を適量飲む事はこれからの人生がまるでわくわくするもののように思わせてくれるものだな。 おいしかった、また飲みたいな。
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