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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

チケットトウライド
2002年01月06日(日)

デニーズに行って話し合いをした。

それから、レポートを書く。



黒澤優結婚
2002年01月05日(土)

人と人との間には広大な川が流れている。
それは深くて暗い川で、上流に向かっても、下流に向かっても、橋は無い。

彼岸と此岸で叫び会っても、水音にかき消される。

しかし一年に一度くらいは、天の川のようにカササギが渡らせてくれるかもしれない。

何にせよ、ちっともブルーになるような事じゃない。

川の向こう側とこっち側でも、いいじゃん。

かまわん。


ああ、それにしても、さっきBBSに頑張って系図を書いたけど、なんか変だぞ。



パン屋再襲撃
2002年01月04日(金)

旧友4人で久し振りに集まる。
小学校からの付き合い。
地元のフレッシュネスバーガーに行く。
それからまた初詣に行った。
おみくじを引くと、「中吉」。
来たか?
来た。
やー、今年は来たな。

「中吉」
金儲けの予感。

正月はやく終われ。
日常だいすき。




心を覗くことは
2002年01月02日(水)

相手の心を覗くことは
相手の心を予想することとは違う。

ただひたすら注意深く全身を耳にして耳を澄ます。

答えは出さなくていい。

相手の心がわかることはあり得ないのだから。

ただ注意深く。
自分たちが平均台の上にいることを知っていればよい。

理解なんかしてない。誤解しかしてない。

それでも息を潜め注意深く耳を澄ますのだ。

安心するために相手の心を覗いてるのじゃない。
不安になるために覗いているのだ。

知りたいから覗いてるのじゃない。
知らないということを深めたくて覗くのだ。



忍耐
2002年01月01日(火)

着地すると2002年だった。

参拝が始まって、参拝客の列が進み始めたのに、逆らってそこにとどまり、警視庁と戦う。
コーナーに隠れて、生き物しりとりをしながら、寒くてガクガクしながら待つ。私とヨミネちゃんはヒモを乗り越えたけど、小心ランキング1位の法学部の彼は法は犯さないとか言ってヒモの中にいた。(たまに「ヒモから出ないで下さい」と怒られたら中に入って、また出た)。でも彼の方がヒモを引っ張って出っ張っていたので余計に目立っていた。
それにベビースターを食べてこぼして境内を汚したので「そんなんじゃ神様は願い事は叶えないだろうね」というと石で隠していた。

やっと彼女と会えて、なんとか参拝を済ませる。
面白かった。
警官がマスクをかぶって賽銭箱の前にずらっと並んでるので、恥ずかしかった。
「願い事は3回言う」と言う彼は「流れ星と勘違いしてるんじゃない?」という彼女や、「3回言われたらうざくて神様も叶えないだろう」と言う私によって真ん中とって2回願ったらしい。

それからおみくじをしたりして、
また渋谷に戻る。もう4時くらい。

兎に角寒くてたまらないのでマックで休む。
すると「初日の出!」とか急に言い出すので、まじで?、と思う。
何処で何時に見えるかわからないのに。

まあ6時だろうという事で人心地着いてから、カラオケに行く。
ヨミネちゃんと私は落書きをしていた。悪の社会の絵になった。

それから銀座線で外苑前に行く。

外苑の池のコンクリートの小高い所にレジャーシートを敷いて、四人で日の出を待つ事にした。
かなりばかっぽいと思ったが、そこはわりと絶景だった。
月がきれいだった。
最初はマラソンランナーがちらほら走っていたが、6時半になると、急にラジオ体操が始まった。
おかしくてたまらなかった。
そして予想外に日の出はなかった。
ちょっと空が赤くなったりしたがそれはフェイントだった。
「みんな太陽に期待しすぎだろう」「いつも太陽が主役で雲はジェラシーだなあ」「初雲でいいだろう」という事で写メールで初雲を撮ったりしていた。
7時半になって、高校生の陸上部の大会が始まる勢いになったので逃げる。

寒さの幕開けだった。




予想外の年越し
2001年12月31日(月)

ふつうに何もない大晦日にしようと思っていたのに、
午後三時に急に後輩から「飲みましょう」とか電話が来て、
「よしやるか!」と出かける。

しかし予想はしてたけど、急にそんなこと言っても誰もつかまらない。

とりあえず、二人で渋谷の不二家レストランでごはんを食べてから、ビリヤードをして時間をつぶす。

その間に後輩二人と連絡付いたので、待ち合わせる。
ヨミネちゃんと渋谷で合流して歩き回って、それから原宿の明治神宮に行く。
11時くらいに着く。

参拝に並んでる間にもうひとりの彼女が来たのだけど、すごい人で、戻ろうとしたら警視庁に怒られたので、そこにいた。
12時になったので、電話でその場で飛び跳ねるように言ったのだけど彼女は飛ばなかったようだ。うちらは飛んだ






子供って
2001年12月30日(日)

バイトの忘年会に行く。
ボーリング大会と言うので嫌だったんだけど、好奇心から行ってみる。
ボーリング場で2試合した。
ムッシュの奥さんがすごく美人だった。
それから娘と息子も連れて来ていて、すごく可愛かった。
二人とも5,6歳だと思うけど、本当に子供らしい子供で、ずーっとふざけ回っていた。
ああ、子供って可愛い!、と本当に思った。
すぐになついてくれるというか、お菓子くれたり、変な顔したり、走り回っていて、私の子供時代とは大違い。

子供が欲しいと思った。



酩酊の事
2001年12月28日(金)

友人の家で忘年会と称し牡蠣鍋をした所おいしく楽しかった。

夜に、町内会の「火の用心」があるというので、勝手に加わって町内を歩き回って「火の用心」と言ってまわった。
拍子木を打つのもやらせてもらって、段々コツを掴んで、タイミングよく、小気味よく、カンカンと鳴らせるようになると夢中になった。
「火の用心」なんて、やるのも初めてだけど、見るのも初めてだ。
あなたの町ではありますか?

この日あった友人たちの、酔っ払ってやった事の話などはいつも面白い。
私も、学生の間にもっとふざけたかった、と思ったけど、たぶんサークルの人らには「充分やってたよ」と言われるだろう。

でもお昼からお酒のんだ事はない。
あった。卒論提出の日に、出したら、そのまま代々木公園に行って、お昼からお酒を飲んだ。寝不足の目に銀杏が降り積もってく午後の光はまったくリアリティが無い、ふわふわした感じでよかった。あれは楽しかった。あの時「紫式部」っていうタイムリーな名前のワインを買ったけど飲むのを忘れたな。カシスを買ってカシスオレンジをたぷたぷ飲んだけど、あれは一杯が美味しいもので、二杯からは甘すぎて不味い事がわかった。

この一年を振り返ると、楽器も弾いたけど、サークルの後輩から見たら「酔っ払ってましたよ」って感じだろうと思う。それは悪かったと思うけど。

4年通してもそうかもなあ。
私としては「楽器弾いたなあ」「色んな人と出会ったなあ」だけど、人からみたら「お酒飲んでましたよ」じゃないかと思う。
仲いい人はあれだけど、そんなに仲良くない人や、他パートの人は飲み会位しかちゃんとした交流がないし「先輩なのにすぐ酔っ払う人」と思われて致し方ない。まあいいか。ごめんね。でもちょっとせつないね。他の事も頑張ったのになあ。

しかし、酩酊っていいよね。

人生に酒と音楽があるっていうのはなかなか。



ワイン
2001年12月26日(水)

K大の忘年会に参加させていただく。
お茶の水。
ワインなどを飲んで楽しかった。

ところで、みんなそうだと思うけど、今月は忘年会続きで出費がかさんじゃってる。








恋人はいらない
2001年12月24日(月)

〔前回までのあらすじ〕
*  デパートのイルミネーションに唾吐き掛け、木に絡み付けられた豆
*  球を一つ一つ指で潰していたキューだが、イベント事は、皮肉る
*  奴より、素直に楽しむ奴の方が大人であるという位は心得てい
*  る年である。クリスマスに彼氏がいたら楽しいのじゃないかと
*  思い付き努力することにした。
*  だが彼氏はできなかったね。
*  このことで証明されたのは、
*  「神様に祈ることは、『努力』ではない」
*  「そんな神様だったら、祝う事ない」という二つの真理である。

*  神様のばかやろう。舌かんで死ね。

*   まあ、あたり前だけど本当に彼氏をつくりたかったわけじゃない
*  けどねー。(←でも、これって負け惜しみか)

しかし、友達がいた。
(私がひとりで友達と思っているだけかもしれない)

それは、すごく嬉しい事だと思う。
「人生においては恋人を作るより友人を見つける事のほうが困難である」(ニーチェ)

それで、おいしいごはんを食べたり、恵比寿ガーデンプレイス内のカップルを揶揄したりして遊んだ。


ところで、この前友人と話した所に寄ると幸せすぎると切れのある文章が書けないらしいですね。

もしそうならば、私は不幸せを甘受しよう。

いい文章を書くためなら恋人はいらない。





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