先日、変な髪型になったことが母にばれて、 「それ自分で切ったの?」 と聞かれた。 その後、 「それは自分でそうしてくれって頼んだの」 等、と何度も聞かれたので大変いらいらした。 「これ、また切りに行った方がいいかな」 と聞くと、 「また行っても同じ人ならおなじようにされるんじゃない? もう切ったんだから、しばらくそれで過ごしたら」 と言われた。 それもそうだと思ったので、これに慣れるようにすることにした。 変な髪は切ればいいという考えはよくない。 がんは切れば治るというものでもない。 いじめっこを追い出せばクラスがよくなるわけじゃない。 社会はそんなに単純には出来てない。 いじめっこがいなくなれば、また新しいいじめっこが生まれるだろう。 新たな問題が生まれるだろう。 悪はなくすのではなく、馴染ませるのだ! がんは切らずに治すのだ! 髪は切らずに括るのだ! もっとピンで止めてやることにする。 髪型気にするキャラでも顔もないしな。 でも切り口っていらいらするよ! 例えば、カマボコの途中でためらいのある切り口って嫌でしょ?
思いの他、時間が空いてしまいました。 その間に、えー、 誕生日が15日でした。 それから、パスポート取りました。 あと、関内で海見ました。 海! それから鎌倉に行った。 銭洗弁天で銀行のカード洗ったら、お金引き出せなくなりました。 マンドリン弾きました。 おなかがすきました。 厚着をはじめました。 背が180になりました。 関節は相変わらずです。 鳴りません。
何かというと、譜面台を買うのを忘れていた、ということである。 9/7、8に仙台のジャズフェスティバルなるものに参加して、マンドリンの演奏をしてきた。 そして私はそれに際して、譜面台を買って用意する、と約束していたのに、何故かそのことをすっかり忘れていて、出発の前日の夜中に思い出したのだ。 「譜面台買ってない!」 次の日の朝、母に相談すると、 「絵を描くやつならあるけど」 とのこと。 私はそれに賛同して、油絵用のイーゼルを持ってでかけた。 実際に弾く時も、それで弾いた。木で出来ていて、大きいイーゼルは目立っていたと思う。譜捲りもしにくかったと思う。申し訳無かった。しかし、心の中では可笑しくて仕方なかった。 そして、牛タンを食べた。 そして、次の日、松島に行って、海を見た。 船に乗って、かもめにえびせんをあげた。 怖かった。 噛まれた。 私はここ一週間ぐらいの中で最高のテンションだったと思う。 楽しかったのだ。 昨日はベーグルを食べた。 それから、本当はドラえもんという人に会った。 夏が終わったが、夏に着ようと思っていた、白いワンピースを一回も着なかった。 予想はしていたが。 そして、今日、村上春樹の新作、『海辺のカフカ』が発売された。
明日から仙台に行ってマンドリンを弾く予定だ。 しかし今になってあることをすっかり忘れていたことに気がついた。 このことを明日、人に伝えるのかと思うとユウウツだ。 そのあることとは何かと言うと
今日、学校の友達が、授業が終わってから、屋上でちょっと早めの誕生日会をしてくれて、それが、いやー、って感じだった。空が晴れていて。いやー、楽しいなあ。 ケーキでロウソク消して、クラッカー鳴らして、少し照れるから苦手なんだけど、嬉しかったです。ありがとう。
電車の吊り広告に『源氏物語』の講演会の告知が載っていて、男友達がこんなことを言った。 「源氏物語の作者って光源氏だよね」 声を小さくした方がいいと思った。 源氏物語の作者は紫式部だ。全五十四帖。三部構成で、第一部と第二部の主人公を務めるのが光源氏だ。第三部は舞台が宇治に移り、主人公は次世代の薫と匂宮に代わる。これぐらいは知っておいて欲しい。 光源氏は継母の藤壷中宮を理想の女性像として持ち続ける。しかし理想はあくまで理想で、リアルに持ち込んではいけない。理想の女性というのは、思いを成し遂げられないから、理想化されるのだ、これくらいは知っておいて欲しい。 後に光源氏の正妻となる紫の上と光源氏が出会ったのは、光源氏十七歳、紫の上十歳の時だった。初めてちぎったのは紫の上、十三歳である、これぐらいは知っておいて欲しい。 光源氏は政敵の右大臣の娘、朧月夜とラブアフェアを起こし、右大臣に現場を押さえられて、須磨に流される。光源氏は落ち着いていて、言い訳もしない。人生に誤解はつきもの、言い訳せず飲み込んで時が来るのを待つのがダンディズムだ、これぐらいは知っておいて欲しい。 源氏の息子、夕霧は幼なじみの雲居の雁と結婚して、妻ひとすじに生きてきたのに、中年になって、落ち葉の君との恋愛にはまる。若い時にまじめすぎると、中年になって急にはじけるかもしれない、これくらいは知っておいて欲しい。 第三部の主人公、薫は思いを寄せていた大君が他界してから、彼女に姿形が良く似た妹の浮舟と結婚する。しかし、誰かの代わりに愛されても女は幸せにはならない、これくらいは知っておいて欲しい。 浮舟の自殺未遂で物語は終わる。恋って一体なんなのだろう、それは知らなくてもいい。
いそがしくてミシンを踏む暇も無い。 まばたきだけようようする。 マトリョーシカが欲しいでしょ? ロシアの、開けても、開けても人形が出てくる。 俺は、マトリョーシカがすきだ。 そして、入れ箱、挿話、合わせ鏡がすきだ。 物語の中の物語の中の物語の中の物語の中の物語の中の物語。 夢の中の夢の中の夢の中の夢の中の夢の中の夢の中の夢の中の夢。 そういえば、久しぶりに夢を見た感覚が残っていたけれど、誰かに、 「本のジャケ買いしたことある?」 としつこく聞かれた、ということしか覚えていない。 夢の中ではジャケ買いしたことあるかどうしても答えられなかった。 青森、岩手。 それは俺がこの夏、旅してきた場所だ。 先々週の10大ニュースはこうだ。 �\朕垢蚤精砲硫箸鮓�る。金持ち。 ��遠野で遠野物語にひたるが思った程、いなかじゃなかった。 �2峇�で宮澤賢治資料館に行ったけど、チャラチャラしてた。 �な神瑤貿両屬凌浸�してでかけたけど、中尊寺金色堂ってミイラは見られないんだ。 �ヌ啀杙�で早朝座禅を組む �ε甜屬�ボタンを押さないと開かないのにびっくりした �Р討覆里紡僚伝�えたかしら �┘蹈弌璽函複横減弌砲澆鵑覆里泙箸疚髻�神経質だが、思い遣り深い。�Г離�ャサリンの後にしか出てこない人格。��のギルバートと相性が悪く、ギルバートはいつも悪口を言っていて、ロバートの人格を消そうとしている ��色鉛筆、白はいつまでも長いまま ��神はいないと知る。 先週の10大ニュースはこれだ。 �‖湿綵媼�の奥さんを見る。清々しい感じのきれいな人だった。 �⊆禿銚宜�(翻訳者)の話を聞く。あいかわらず、猫背で早口。 �8綰擇料乾泪鵐灰鵐機璽箸鯆阿�に行った。わくわくした。素敵なひとときをありがとう。 �ねЭ佑肇魯鵐弌璽阿鮨�べて、相談を聞いた。そういうのすき。 ��青森のおみやげ、りんごカレーを作る。 �コ惺擦陵�達4人で、埼玉の長瀞に行ってきた。これは本当楽しかった。 川を見て、石畳を歩いて、気分が良かった。 �Δ修陵Э佑里�家にお泊りさせてもらった。みんなでもんじゃを作って楽しかった。 �П�宙は膨張を続けた ��前から三番目の人は自分が赤い帽子ではないことを知っているが、四番目の人は自分が何色の帽子だかわからない。四番目の人が白い帽子の場合、五番目の人は赤い帽子である。 ��ステレオグラムを見るような目で私を見ないで ��神は自分だと知る。
今から旅に出るので、以降、会えるのは18日です。 いい夏をお過ごし下さい。
最近、すきなもの、それは三つ葉だ。 庭にあるので、抜いてくる。 そして、そうめんに、雑炊に、とうふに。 美味しい。 最近、味覚が老人化しているようだ。 美味しいと思うもの、さかなや豆腐、蕎麦、果物、お酒。お酒? いや、老人化じゃなく、夏のせいか? 三つ葉は真剣に美味しい。苦みがあって。 さて、今日ユースホステルの会員証を作るために本屋に出かけた。(本屋で出来るらしい)(それは昨日ユースホステル協会に問い合わせて聞いたのだが、出来る本屋の名前を聞いてメモしなかったので、曖昧になった。母と今朝そのことを話していると、その曖昧なことを指摘されたので「私は効率よく生きたいなんて思ってないからいいんだ」とさらに意味不明なことを言う。何にせよ、行くとすぐわかったからよかった) で、本屋に行き、手続きをしていると、財布にお金がないことを発見。 「おろしてくるので、楽器預かってもらえますか?」(練習に行く途中だったから) 私は昔から深く考えず、先に行動するので、こういうこと、多い。 旅行も行き当たりばったりだ。 私の辞書に「慎重」「計画」という文字はない。 さて、みどりの窓口で青春18きっぷを買って、そして渋谷に行き、新玉川線に乗って、「あ、急行、池尻とまらない」と思って降りて、はた、と本当に池尻だろうか、と携帯で調べると、今日は品川でやるんだった。 なんで考えなかったんだろう。 それで、JRに戻ると、道を聞かれた。 タマチェン、と聞こえたので、なんだろう?と思った。でも「田町のことかな?」と思って、その人がハングル語のメモを持ってたので日本語わからないのかも、と思って、 「ちょっと持ってもらえますか?」 と楽器を預けて、路線図を調べてきたのだけど、何で楽器持ってもらったんだろう。 すぐに人に楽器を預けるので、私は楽器がきらいなのかもしれない。 でも練習は楽しかった。 今、妹が「漂流教室」を読んでいる。 「怖くてもう読みたくないのに、どうしても読んじゃうの」 とのこと。
前に、学校で個人面談があって、担任のKさんが、 「言葉っていうのは意外と力がなくて、ヴィジュアルの方が力のあることの方が多い。 例えば、雑誌で原爆ドームの写真が全面に載っているページがあって、その上に活字があるとするじゃない?そうすると、まず見た人は、原爆のイメージで読み始めるよね。で、その文の内容が『今日、蕎麦を食べた……』で始まっていても、そのうち原爆に繋がるだろう、と思っている。 内容がどんなものであろうと、写真や、フォントの方が力を持つことの方が多いんだ」 ということを言っていた。 そう言われると、そうだ。 映画や写真は、私はあまりよく知らないし、デザインも、あまりわからない方だ。ヴィジュアルについて疎い。 私は言語表現というものがすきで、言葉はすごくこだわっていた。 限られたところで、情緒を出したり言葉遊びが出来るのが、面白いと思ってるのだと思う。 で、なんとなく思うのは、言葉というのは単体で存在することがないので、ヴィジュアルの力を無視して進むことが出来ない、ということ。 映画などでなくても、本でも普段の生活に置いても、もっとヴィジュアルの力について考えていた方がいい、ということ。 ヴィジュアルのパワーの方が、他人に対して効力があるし、コミュニケーションも、ヴィジュアルでとっていることが多い。 そういうことを考えた私はすこし、自分の見た目も気にすることにした。 今まで、ヴィジュアルに無頓着だった気がする。 ファッション、ということだけでなく、姿勢や表情やなんか、人にどう受け取られているか、もう少し考えてもいいな、と。 今まで言葉のことばかり考え過ぎていたな、と。 例えば、人と話すとき、 私は自分が話すときは、自分の喋る言葉ばかりを気にしているけれど、 相手が話すときは、喋ってくれている内容を気にするのは二の次だったり、してる。 相手のしぐさや表情を、目のふせかたを、横の向きかたを、見てる。 聖書の始めには、 「はじめに言葉ありき」 と書いてあるけれど、きっと始めにあるのは言葉なんかじゃない。 あるのは、「もやもや」だわよ。 言葉があるから、モノがあるわけじゃない。 言葉がなくても、 もやもやがあるのよ。 そしてそのもやもやは、言葉には互換不可能なのよ。 言葉って、信用出来ない、と思った。 伝えたいことがあったら、泣けばいいと、正直、思ってた。 でもきっと、それも違うのだろう。 この世界には信用できる言葉は、なにもない。 伝えるツールって実はないのかもしれない。 あるのは、もやもやだけ。 だけど、楽観視してる。 人と話すのがこんなに楽しいのはきっと、何かあるからなんだと思う。 住みよい、いい世界だと思う。そうでしょ?
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