![]() |
![]() |
ただの寝不足かもしれないが、頭痛が治まらず、変な気分だ。 ストレス耐性の無さの再認識。 学校の先生の編集のアルバイトと、学校の雑誌作りの編集長が理由か? 自分でもわかんない。 しまった!ぼやいてしまいました。 でも元気です。 私が思うに、追われてる気分にならないことが大事ですね。 追われるな、追え! あと、孤独にならないこと。 とくに悩みが人間関係でなくとも、側に誰かいるだけで解決する悩みはたくさんある。 それから自分に出来ることと出来ないことを自分で認識すること。そしてそれを他の人に伝えることも大事だ。 もし何かを自分がストレスに感じるとしても、それも自分のせいだ。 私はスケジュールの組み方が下手で、やることを後回しにするし、 小さいことでくよくよするし! 本当、籠がちっちゃい。 それにやりたいことはやって、やりたくないことをやらないから、 色々困ったことになるんだと思う。 あと、絶対的な処理能力に問題があるのかも。 いや、こんなことを考えてるのがまず無駄なことをしてる。 あと、初心者は初心者ゲレンデで、みたいなことをしない。 滑れもしないのに上級者コースによく行く。 そして「出来る」と言い張る。 ばかだ。 もういい。 もうこのことはいい。 考えまい。 けどすぐ元気になるだろう。 こういうこと、そういえばよくあるけど、次の日にはけろっとしてたから。
先日、大学の後輩のコンサートがあったので聴きに行ってきた。 私は大学時代、マンドリンクラブに所属していた。 そのコンサートが予想以上に上手かったので、気持ちが昂ぶった。 すごく上手かった。 プレリュード3(地味だけど私は大好き)、とか、幻想曲(はやびきのイメージがあったけど、聴くと、不思議な感じにふんわりしてまさに幻想曲、と思った)とか。 私はどちらかというと辛口なので、こう言うということは本当に上手かったと思っていただいて良いと思う。 強弱がきっちりついていて、パートのバランスも良くて、いいものを聴かせてもらった。 最初は人数が少なくてどうなることか、と思ったけれど、1部、2部、3部と進むうち「やるなー」と感じた。 ところで、これはもう、個人的なことなんだけども、 私は去年卒業したので、演奏会に行くと、知っている人がたくさん来ているし、弾いている後輩もほとんど知っている子だ。 それで、思ったのが、私はのほほんとしているから誰かとぎこちなくなることはあまりないだろう、と思っていたけれど、実際はぎこちなくなってしまうことがすごく多いということ。 思い遣りの欠如だ。 自分のそういう部分をもっと意識したい。 ふりまわしたり、冷たくしたりもする。 私は自分は大したナイフを持っていないつもりだから平気でいるのだろう。 今までのことを振り返るに、わかっていないふり、よく知らないふりをしながら、でも本当は意識的に、人を傷付けてきたことが、きっと想像以上にある。 特に何が、ということでもなく、そう思った。 自分ばかりが悪くもなく、理由があったり、例えば相手にも落ち度があったりしても、そういうのって問題じゃない。 自分にそういう部分があるのは、絶対だ、そういうことだ。 もっと丁寧に、じゃあね、と言うことをすれば、久しぶりに会ったとき、作り笑顔でもなく、お喋りできたりもするのか。 耳をふさいだり、口を噤んだりすれば、過ぎていく、と思ってもいた。 そういうのも自分本意だ。 よく、色々な人にあやまりたい、とも思うけれど、それだって、自己満足の世界なんだろう。 別に仲の良いことが素晴らしいとも思わないし、修復したり、長続きさせたり、勿論、思わない。 でも、自分の中には、冷たくて残酷な部分があるということを忘れたくない。 若かった、と言えばそうなのだろうけど、若かった、で片づけていいの? 時間はきっと解決してくれなくて、人間関係はもっとシビアだと思う。 私は兎に角、自分はひどい人間だということを忘れないようにしたい。 これから、あきらめたり、努力を怠ったりしない、注意深くしよう。 そして、今出会っている人のことを、すごく丁寧に、大事にしたい、と思った。
Macが欲しい。というのも、イラストレーターやクォークが楽しいからだけど、ことえりはひどい。 文章を書くのはどうしたってウィンドウズだ。 という訳でウィンドウズも欲しい。 お、欲しいものがいっぱいだ。 今、これを書いてるのはなんと、ウィンドウズ95だ。 立ち上げの間に、月旅行が出来るくらい、地球を8周出来るくらい、何がだ?、まあ分からないけど、で、インターネットも日記やBBS書いて、送信したら、折角書いた文章消えたりもするつわものだ。
座ってると屈葬されたい気分。 ちっちゃい甕に足曲げて入りたい気持ちになります。 それから、人間の粒子になって吹き飛ばされたい。 光の帯に当たってる部分だけキラキラしたり。 なんとなく、はあって、気が抜けたり、ぼうっとすると考えすぎたり、肩こりの肩を鳩が飛び立つくらいゴリゴリ動かしたりする。 なんだかストレスを感じてるみたい。 と思って、日記も上手く書けないだろうと、暫く書いてなかったけど、気持ちが沈むのは文章を書いてないからじゃない?と思ったの、 で、毎日書きます。これからは。 はじめにHPを作ったのはもう二年前で、 大学三年生の時の今頃、サークルの秋の定期演奏会が終わって作り始めて、クリスマスイブに公開したんです。 初めの頃は確か毎日日記を書いても書き足りないように感じていた。 その頃、よく訪れてくれていた人たちは、今はあまり来てくれなくなったみたい。 関係って変わってく、と思う。 それも良いことだ。 今、来てくれる人がいて、HPが続けられてることをとても嬉しく思う 出会えた人を薄氷を踏む思いで大事にできたらいいな、と思う。 まあ、そんなだいそれたHPでもないのですが、人がちょこっと見たりしてくれるのって嬉しいな、と思うわけです。 ひまだったら、私宛てでなくても、こんなテレビを見た、でも、どなたも書き込みしてくれたら嬉しいです。 まあ、人のHPって書き込みしづらいな、とは私も思うのですが。 少しの人でも読んでくれる人がいたら嬉しいので日記は書きます。 空も飛べるはず。 私のことを気にしてくれる人にありがとうといいたいです。 ほんと気にされたがりだから。 今日の日記、微妙に熱いけれど、特に何があったって訳でもないんだけど。 私もみんなのことを気にしています。
まぼろし。 ところでお金が手元に無いことを嘆くこともない。 金は天下のまわりものなので、 自分のものでなくともよし。 そこにあるお金はいつかは私のもの。 ここにあるお金はみんなのもの。 私はあぶく銭が入ったらみんなで寿司を食う。 それから足の膝の骨の裏にフジツボがびっしり。
最近興味があるのは浮浪者のことだ。 どうしてそうなるのだろう、きっと、自暴自棄になるからだと思う。 本当になにもかもどうでもよくなる時というのがあるのだと思う。 そういう人間の弱さは計り知れない。 弱さをじっと眺めたい、と思う。 そういう、弱さには昔から興味があった。 弱さを捨てて強くなるのでなく、 弱さをじっとみつめる強さが欲しい。 ところで話は変わるが、人生の岐路で選ぶ基準、というのがあると思う。 私は「どちらが面白いか」で決めようと思ってる。 まあ、テリー伊藤が言ってたのだけど。 で、こういう基準って、まあ、人それぞれだと思うのだけど、 例えば、すごく過保護な親がいて、あれをするな、これをやれ、この人と結婚しろ、等々言うとする。 で、私はその人がいいと思うなら、親の言う通りにしてもいいと思うのよ。 ただし、後で絶対親のせいにしないという自信があるのなら。 後で「あれをやらなかったのは親のせいだった」と言わない自信があるのなら。 後で親が「やっぱり私達過保護過ぎたわ。これからは私達は私達で生きるから、あなたはあなたで生きなさい」とすっぱり態度が変わっても、 すぐにひとりで生き始めて、親を恨まない自信があるのなら。 例えば、授業の時間割を彼氏と決めたとする。いいと思う。 で、その後、別れちゃって、彼が他の女の子と授業に出ている横で、ひとりで授業を受ける自信があるのなら。 私の感覚で言うと他の人の考えが入って、物事を決めると、リスクが大きい。 純粋な自分の考えで決めたことの失敗は凌げるのだけど、 他人の考えがちょこっとでも入ると、 「あの人がああ言ったのに……」 と思わずにはいられない。 物事を決める時は、悩んでる段階では人には喋らず、 ひとりっきりになって考えて決めるようにしようと考えている。 「自分の面白いことは何かな」って。 他の人が色々言ってくれても、期待はしないの。 手の平反されても文句を言わないように。 それから、「テトリス理論」っていうのがあって、 テトリスやってる時に、 ブロックが落ちて来て、自分は「ここの間に落とす」って思ってるのに、横の人が「これ、こっちだよ」と違うことを言うと、 自分の考えで行こうって思ってるのに、やっぱり耳に入っちゃって、曖昧なとこにブロックが落ちちゃうの。 難しいね。 取りあえず、自分は他の人が何かをしている時、それが自分の得意分野のことでも、サジェストはしても、教えたり、「こうするものだよ」などは絶対言わないようにしようと思う。 そしてどんなに仲の良い人でも、余計なことは言わない。 みんな頑張れ。
私は自分の強い腕で、強い足で。 世の中で重要なのは、自分でどうにか出来ることだけだ。 自分にどうにも出来ないことは重要じゃない。 組織は何もしてくれない。 他の人は絶対何もしてくれない。 やさしくされても、それは、偶然お互いのニーズが合った時の魔法であって、 ずっと続くと思ったら大間違いだ。 私は何もかも自分のことは自分で決めて、出来るようにしよう。 絶対、人は信じないし、期待しない。 自分の腕と足に自信を持って、責任とやさしさと広いココロと眼があるように。
顔をゆがめれば、世界もゆがむ程の青空。 カタカナから変体文字を経て、ゆっくりとひらがなへ。 漢字もかけます。 未来文字はまだかけません。 最近、見たいな、と思うのは能です。 能、見たことがないので。 それから、気になるのは「不浄観」。 「不浄観」というのが、いったい、何なのか、よくは知らないのだけど、 谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』に出てくる話で、 平中が、洛外の死体置き場によく出かけて、不浄観を極める、とか。 私自身は、よわっちい人間なので、汚いものには目を背けてた。きれいなものをたくさん見たら、自分の心象世界もきれいになると思っていた。 しかし最近、汚れたものでもじっと眺めることが出来るようになってきた。 考えたくないことを考えることも出来ると思う。 それから人間の弱さ。 人間の弱さをじっと眺めたい。 汚いものはきれいなものと同じくらい、心を動かすと思う。 今までの自分の、そういうのを避けるような、ちょっとお嬢さんぽい所が本当に嫌いだ。 もっと汚れたい。
ホント、カタカナデシカシャベレナイカラネー
サイキンネットカンキョウガワルイ デモガンバルゾ
![]() ![]() |