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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

すばらしい日々
2003年12月24日(水)

すばらしい日々だの、ヒゲボーだの、働く男だのが頭に浮かぶので、ユニコーンのCDを借りてみた。

仕事が少し大変なのかもしれない。
15日から29日までは全出勤で休みがないので、多少やつれたか。
でも、戦争や甲子園に比べると、ぐっと楽で、精神的にも安定はしている。

「眠ることしかできない」って、どうってことのない詩のようでいて、かなりえぐってる。「世界一の悩める人さ」ってそんな大げさな、でもわかる。
「男には辛くて長い二つの道が」って、女だってそうだよ。

女子校の人は文化祭で、自分たちで考え自分たちで材木を運んでいる。
しかし、共学だと、男の子に重いもの持ってもらい、しきってもらい、女の子はスポイルされてしまう気がする。
よく男の方が力が強いというが、本当だろうか?
もし強いとしたらどれくらい?
客観的な数字もないのに、よく頼れたな、と思う。

女の子は楽なようでいて、わりとかわいい女の子でも、いつまでも味方でいてくれるような親は決していないし、いつまでも側にいてくれる男の子は絶対いない。

材木を運べ。

今の時代、ダンナが相当稼ぐ人でもなけりゃ、専業主婦になる人っていない。

離婚するにも財力がなければできない。

経済を置いておいても、精神的な面のサポートをしてくれる人というのは、はっきりいうが、いない。(絶対に現れないという意味だ)
自分で考え出し、自分で選び、自分で賛同し、自分で応援し、自分で励まし、自分で反省する。

AERAで若者の格差の特集をしていた。「負け組」だの「勝ち組」だのという言葉が大嫌いだった私だけれども、「この言葉は嫌いだ」というだけで済ますことができていた学生時代を懐かしく思った。

不景気といっても、まだまだ裕福な日本だが、生きていくというだけでも難しい。

そういえば、第二次世界大戦の死亡者と、今の自殺の死亡者は同じくらいだという。

サバイバルというのは、考えている以上に難しいのかもしれない。

一生このお給料じゃ子どもも産めない。(シングルマザーになる気満々なのだが)




もちろん悲観している訳でなく、やる気になっている。

誰かと出会い、誰かを大切にしたい。
食っていける程度、稼ぎたい。

なんだかんだいいてすばらしい日々ではある。




2003年12月23日(火)

時間が大切じゃない人なんていない、としみじみ思う。

電車のなかで、私はノートを広げる。これはあんまり他の人がしているのを見たことがないので、誉められたことじゃないのかもしれないけれど、車中で日記やら小説やらを書く。立ったままでも書ける。他の人にちょっとくらい見られても平気だ。よく「公の場の個室化」なんて言って、化粧する、などのことを批判されるけど、私もそういうことなのかもしれない。

まわりの人もいろいろなことをしている。勉強している人は意外と多い。環境問題、商品管理、語学、カラーコーディネート、美術品、薬学、顧客管理、その他さまざまな本やプリントを広げて人々は勉強している。もちろん、携帯をいじったり、ヤンマガを読んでいる人なんかも多いけれど、電車の時間を貴重に思っている人は実はかなりいるはずだ。
勉強している人、というのは学生ではない、明らかに働いている人たちだ。

おそらく、人というのはメシ食うだけじゃ生きられないのだろう。
勉強したい、というのが生きる上で必須なのだろう。
もしかしたら、南の島でなんかはそんなことはないかもしれない。
でも、日本でサバイバルしていると、勉強したい、という欲求を退けるのは難しいのだと思う。

私は、多くの人と同じように、勉強は嫌いだ。でも勉強したい。
それは、どこに行きつく当てはなくても、精神安定のために、「勉強している感覚」というのが必要だからだ。
日本にいて、文化と触れ合わず過ごすと、置いてけぼりの感覚を味わわずに落ち着いているということがかなり難しくなる。

30歳になっても、40歳になっても、それは変わらないだろう。

余裕があるから勉強しているわけではなく、かなり精神的にぎりぎりになったために勉強している、という人が多いのではないだろうか?


ところで、私は最近、松浦理英子の小説がすきだ。
それから、ガブリエル・バンサンの絵本。


空を見ていると、どこをみているのかわからなくなるときがある。
ビルを見る、木を見る、それならわかる。
でも、空はどこまでも続いている。焦点の合っているのは大気圏なのだろうか。
或は、宇宙までも見ていることになるのだろうか。



睫毛
2003年12月22日(月)

太すぎるうどんは細すぎるうどんと同じだ。

多すぎる肉は少なすぎる肉と同じ。

ところで、もうこれ以上モスで「クリスモス」という言葉を聞きたくない。




2003年12月21日(日)

Q温泉旅館の部屋に入ったときに最初においてある、2、3枚の甘いおせんべいが食べたい。
私はそれが大好きで、帰り際、親にねだって箱入りのを買ってもらったりするのだが、どうも味が違う。
部屋においてあるのがおいしいんだよな。

Qラップ調の寒いコーヒーのCMがあるが、あの寒さは決してラップのものではなく、米倉涼子のものだ。
その証拠に、サトエリと矢田のみのバージョンを想像してみて欲しい。幾分、寒さがやわらぐはずだ。

Q虎ノ門。
いといせいこうのクール過ぎる司会。
進行重視で切り捨てていくのは、面白いことは面白いが、やりすぎると、芸人殺しだ。

Q頭文字にQあることが気になっているかも知れませんが、まったくクエスチョンになりませんでした。






サブカルという言葉を使わないでそのことを説明してみろ。
2003年12月20日(土)

よく考えるとみんな靴を履いていて、裸足では外を歩けないなんてふしぎだ。
動物なのに。



マフラーマンさんからエアメールが届いた。
インドで毎日カレーを食べているとのこと。

帰って来たら、また怒涛のように書き込みして欲しいものです。


2003年は上田晋也か。






千円
2003年12月19日(金)

昨日、夜中に千円札を拾った。
くしゃくしゃに折りたたまれて、裸で道に落ちていた。
最初はラッキーと思ったが、しだいに、人のお金を持っていることにいらいらしてきた。
もとの場所にまた落としてこようかと思ったぐらいだが、それもばかばかしいので、今朝、会社に行く前に交番に寄った。
千円札を拾った、と届けた。会社に遅れたが気が済んだ。
もし落とし主が現れなければ、来年の7月に私のものになるらしい。
忘れそうだ。



お皿に残るスプーンの跡の名前が思い浮かばない
2003年12月18日(木)

あげく、赤いきつねのあぶら揚げが割れていた。


スーツ
2003年12月17日(水)

きょう、原宿のテレビ局に行って来た。
変な前髪のときに初対面の人と会うのは辛い。
スーツも全然似合わない。



ミス
2003年12月15日(月)

バットで頭を殴られた後、2,3日経ったような鈍い痛みが。




タップダンス
2003年12月14日(日)

カレーを食べて映画を見た。
とても楽しかった。
これから年末に向けて仕事が大変になるので、楽しくてよかった。元気が出た。よかった。

それにしても、フセインがつかまったという報告の場面で、ジャーナリストたちがこぶしを挙げて騒いでいたけれど(イラクのジャーナリストだろうか?)、あれはいいのだろうか?
ジャーナリストというのは、どんな場面でも中立でいるべきで、ああいう場面で騒ぐのは良くないんじゃないかと思うのだが。

先日、筑紫哲也のニュースで「ジャーナリストというのは国が間違った選択をしているときの歯止めの役割をするものでもある」「アメリカのジャーナリストは地に落ちた」というような特集を組んでいて、とても面白かった。

ジャーナリストというのは「ビジネス」という言葉だけではやれないものなのかも。


関係ないが、「前髪切り過ぎたときに、もとに戻せる薬」というのを発明したら、かなりの収益があると思う。

私は今非常に変な前髪をしている。





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