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東京大丸でトーベ・ヤンソンの原画展を見た。 ムーミンの作者である。ちっこい黒い線、ひねくれたキャラクター、おとなしいキャラクターが創作意欲を刺激する。 男の子と待ち合わせてお酒を飲んだ。 彼女のいる人だから、なんの進展もないけれど、でもとても楽しい、人の気分を良くする人だ。 私も見習って、いつでも気分良く、人と対峙するようにしたい。
少し遅くなっちゃったけども、7月の読書は、いろいろあってちょっと少なめでこんなものでした。 『嘔吐』J・P・サルトル 『丹生都比売』梨木香歩 『ぶらんこ乗り』いしいしんじ 『オアシス』生田紗代 『安南』クリストフ・バタイユ 『シンジケート』穂村弘 『蹴りたい背中』綿矢りさ 『東京ゲストハウス』角田光代 『ポプラの秋』湯本香樹実 『這えば立て』金子光春
今まで、この日記からホームページに行くのや、メールの登録が変だったので直しました。 これからは普通にできます。 また、更新が遅れてしまっていますが、得意の連続書きをして、そのうち現在の日時(8/15)に追いつきます。 今から海に行くので、帰ってきたらやります。 ホームページにきてくれてありがとうございます。 また書き込みしてくださいね。 みなさまも、よい夏休みなどを過ごしてください。 私は体格もよいし、体も丈夫なのですが、タチクラミみたのをよく味わいます。 この前は、日焼け止めがうっすら肌の上に白く残っちゃうとき、あるじゃないですか?、あれみたいなのが、電車に乗ってるみんなの肌に浮き上がっているのでびっくりしました。でもしばらくすると消えました。 そして、戦争がまったくなくなる世界になることを祈ってます。
中華を食べる。 冷たいラーメンを頼む。冷たいスープに冷たい鯛のお刺身が載っている。 あったかい方がおいしいのでは?とも思う。 最近、注文した後に相手が食べているものの方がおいしそうに見えることがよくある。 それにしても、すぐに体脂肪率のことを忘れることができる自分に驚いている。 明日から食事を気にしよう、と昨日はいつも思っている
母が体脂肪計を買ってきて、家族でひとしきり騒いだ。 体脂肪率は率とは言いながらも、率が大事なのではなく、周りの人と比べてどうだ、とか、平均と比べてどうだ、ということを楽しむものである。 そして、体脂肪率とは、脂肪とは何の関係もない。 率と関係がある。 体重というわかり易い観念から率という斬新な観念にシフトすることで、「やせているけど体脂肪率は高いのよ」などというよくわからない会話を続けていくことができるのである。 ここ5年くらいで体脂肪率はダイエット会話に新風を巻き起こしたと言われている。 また、体脂肪率以外の率は何なのか?体の他の部分は?という問題がある。 実は人間の7割から8割は愛でできていると言われている。 つまり、体脂肪以外は愛が大多数なのである。 しかしそう考えると、また体脂肪率は重みを持ってくる。 愛が少ない人ほど体脂肪率が高いことになるからである。 「では愛のパーセンテージを上げれば体脂肪率は下がるのか?」というとそれよりももっと良い方法があり、要はそんな考え方を止めて、「食事の仕方を変えれば体脂肪率は下がるのではないか?」と考えると、「愛が少ないのでは?」という不安を取り除くことができるのである。
最近仲良くなった(と私が一方的に思っている、でも向こうもそう思ってくれていたら嬉しい)人とラーメンを食べる。私は野菜の入ったラーメンで、その人は辛そうなのだった。 それから、部屋さがしをした。 私は不動産屋に行って、知らない人と世間話(暑いですね、など)をするだけでいっぱいいっぱいだ。部屋どころではない。
焼き肉を食べる。 私は焼き肉って、ちゃんと食べたことがなかったので、教わって食べた。 「下で焼いてる人がいるから。テーブルの下で人が…」 と言うので、網の上に載せるとき、 「すいません。お願いしまーす」 と言っていたら、店員さんが来てあせる。 「この葉っぱでサラダを包む」 と言うので、肉じゃなくてサラダを包んで食べていたが、少し恥ずかしかった。 その後その人は、天井にぶらさがっている電灯が変わった形だったので、 「あれはサトイモですか?」 と、来る店員さんごとに訪ねていた。 できるだけあたたかい目で見ようと思った。 だいたいにおいて、最初から、 「肉は網の下から飛び上がってくる。うまく受け取らないと熱い思いをする」 というようなことを言っていた。でも信じる。
私の人生には、本と男が必要。 おしるこのアズキと餅のように。 今は水だけがある。薄い砂糖水。 それをすすり、 「アズキと餅を入れたらどんなにおいしいか」 と想像する。 80歳になっても、ただのぬるい砂糖水だったらどうすればいいのか?
ホチキスの芯が私の指の肉を少し削る。 最初はゴマのように凹んだ模様が指にできただけだったが、 見ていると、血が滲んできた。 少しの痛みも快楽だ。
私は昔、片思いという言葉が好きで、これは人からも言われたことがある。「片思いって、よく使うよね」と。 「サークルに片思いしてる」「誰々ちゃんに片思いみたいな気持ちだ」「世界中に片思いしてる」という具合に使っていたのだけれど、まあ、たぶん、これこれのことが私は好きなんだ、でもそれが上手くいってない、あるいは、向こう側からは私は必要とされていないが、私には必要、といった意味合いだった。 「片思い」という言葉、少女マンガなどでは「両思い」なんていうよくわからない言葉とともに使用されたりもする。 しかしどうも私が思うには、片思いというのは終わらない気がする。 片思いというのは、のちのち変わって行く、だの、いつか伝わる、だの、そういうこととは全然べつのことで、絶対的なもの。 好きだ、って思うモノや人に対して、人は絶対片思いなんじゃないか、って。 向こうも好きだとしても、それは両方で片思いなんじゃないだろうか。 私は、空に片思いするし、蟻に片思いする。神様にも片思い。 私はおばあちゃんになっても片思いをしているような気がするのだ。
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