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岡本太郎の絵を見る。 とろろ蕎麦を食べておいしかった。 連れて行ってくれた方といろいろお話できて、 とてもよかった。
髪をかけられることを思うと、耳があって良かった、と思う。 籠って、タケカンムリの下にリュウが入ってるけど、なんか、籠のくせに、って感じだ。
本や映画などで、季節の入ったタイトルがある。 『8月の……』、『……の夏』だとか、『冬の……』など。 物の名詞が入ったタイトルなら、ぱっと浮かぶのは映像だったり、触感だったり、 動詞だったら、行動するイメージが湧く。 季節の言葉というのはもっとすごくて、 夏、ならば、汗、だるさ、蝉の声、麦茶のコップ、プール、 そんなものが、うわっと出る。 人は何度も何度も季節を通り越して来ているので、 季節のイメージを丹念に作り上げている。 俳句に季語を入れるルールがあるように、 季節の言葉にパワーを感じる人が多いのだろう。 万人に共通するイメージがあると信じられている。 そんな言葉をタイトルに入れる人は、 他の人と季節のイメージを共有できると信じている可愛らしい人だ。 信じられてるからには私も、よーし、と受け止める。 「なになに、どんな夏なのー!?」としっかり感じてあげる。
失恋したときは、恋だけに苦しむように、 プライドなんかで苦しむことがないように、 注意することが大切だ。 自分のなかにうらみが残らないようにすることは、 女のウデの見せどころだ。
コーラのこと、私は好きって思ってたけど、 コーラのことをちゃんと考えたことってなかった。 コーラの種類に詳しくないし、知識もない。 私は本当にコーラが好きなのだろうか? こんなの、 こんなのただの依存じゃないか。 ほんとうの好きって何? ところで、「依存」って言葉、はびこり過ぎじゃないですか?
札幌一番しお味のスープの素は素晴らしい。 最近は強力わかもとをがんがん飲んでいる。 「お母さんも若いころはよく飲んでたわよ」と言われる。 胃、弱いことで私に意識される、あわれな存在。 ほんとうは、強い子こそ気にかけてあげるべきなのに、つい胃のことばかり考えてしまっている。 肺だって頑張っているのに、私が気にしてるのは、胃だ。 恋って難しい。
人体のなんとか、とかいう展覧会に誘われたが、断る。 だって、血管のひからびたのとかがある、とかいうから。 なんでみんなそんなのが見たいのか、わからない。 ぞっとするものには、できるだけ関わらないで生きて行きたいものだ。 おばけ屋敷とか、ホラー映画も、私はまったく関わらずに生きている。 でも、ふと思い出したけど「キューちゃんは、歯と骨のネタが多いよね」と言われたことがある。 ほんとにそうだ。 だけど、血は嫌だ。 「心臓」よりも「胃」が好き。 「目」よりも「睫毛」が好き。 「唇」よりも「ひげのざらざらしたの」が好き。 「手」よりも「肩のごつごつした骨」が好きだ。 骨とか髪の毛なら、見たい気がする。 なんか、骨とか髪の毛の方が、情念が込めやすい気もする。
髪を切った。 毎年「今年は大人っぽくなる」と思ってきたが、すでに「大人っぽく」なんていう言葉もばかみたいな年だ。 もう「大人っぽく」ということは考えないようにしよう。 つまり、なんか、幼くなってしまった。 ここ半年くらい頑張って伸ばしていた前髪も短くしてしまった。 (真ん中わけして、両耳にかけるという夢、叶わず)。 しかも、寝ているときに、にきびをひっかいたのか、顔に変な傷ができていて、いま、顔がほんとうに変だ。
私は人々に対して、「別れてくれてありがとう」って思っている。 たくさん学んだ。 だから、絶対に、別れてくれた人以上の人を見つける(私にとって、ということ)。 願っていれば、いつかは叶う。 長い目で見る。
「どうする?」 「そうめんか」 「そうめん、つゆ」 「いや、上に玉子とかのっけて……」 「それは、冷やし……」 「いや、そうめんだ」
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