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(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、 拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか? 転送してもらえますので、私から返信します)。
鶴見
マンドリンの練習で鶴見に行く。
ところで私の母はコンタクトのことを「目」と言っている。 それから、パンのことを「おいしいパン」と言い、ただの「パン」と言うことがない。 「おいしいパン焼く」「買ってきた?おいしいパン」など。 可笑しい。
東高円寺
大学の後輩たちがマンドリンの演奏会を開くので、東高円寺に行った。 これで卒業になる4年生が、私が4年生だったときの1年生だった子たちなので、感慨深い。ひたすらかわいく、キューンとする感じを味わった。 私は大学時代、訳がわからないほどマンドリンにはまっていたので、演奏会を開く気持ちがよくわかり、心が震える。その頃の変な葛藤だとかも思い出す。 それで、今日の演奏会が、私たちの頃とは違う演奏会になっていること、なんだかより自由な感じになっていること、しかも何だかみんな若くて青春ぽいことが、まぶしいような、うらやましいような気分だった。
後輩たちは、全然変わってないような、でもなんだか大人になってしまってるような、変な感じだった。
そして、来ていた他の同級生とかとお酒飲んで帰る。
あと、昨日(?)、日経の夕刊にも私が取材を受けた記事が載っていたらしく、会社の人が切り抜いて持ってきてくれたので、コピーさせてもらった。
関係ないけど、J−POPって、変な言葉ですよね。
あと、いくらの中には本当に鮭が入ってるんですかね?
カーソルの動きより速く考えたい
10日付の朝日新聞の夕刊と、10日に発売された『ホットドッグプレス』という雑誌に私っぽい人が載っている。
そういうのっていろいろな人が関わるんだな、と思った。
どきどきすること
大学のともだちたちと渋谷で小説のこととか話してお酒を飲む。 なんだか初々しい話が多くて、楽しかった。 最近友達に会うと、年頃だからか、結婚がどうのとかいう話になり勝ちで、なんかプレッシャーかも(いやもちろん素敵なことなんだけど)、と思っていたけど、 今日は、片思いがどうの、恋じゃなくても楽しい、だのといった話とかで、盛り上がって、そうだよ、いくつになっても、それでいいんだよ、と思った。 まあ、恋じゃなくても、生活の中で、どきどきすることや、わくわくすることをひとつでも多く見つけていきたいよね、と話す。
渋谷
小学校からの友達と渋谷でごはんを食べた。 女の子と喋ると、癒される。
カギカッコ
会話文以外のカギカッコっていうのが、あまり好きじゃない。 「私は通常の意味では、この言葉を使ってません」というような、なんとなく傲慢な感じに見えてしまう。
言葉を、通常の意味で使うことなんてない。 言葉の意味なんていうのは、その場所、その時、その人だけのものだ。
共通認識を求めるのは不可能。 それでも、人は生きていく中で、「こういう時に、こういう使い方をすると、きっと相手にこんな風なイメージを喚起させるだろう」という予想の言語感覚を身に着けているので、それを使う。
どうしても、この言葉じゃ、違う、あるいは「いわゆる……」という意味で使いたい、と思うときは、他の言葉との妙な組み合わせをさせて違和感を持たせるだとか、そういう風にした方がスマートに感じる。
宦官
母が遅くなるとのことだったので、夕食を作る。 ポークソテー、ナスとひき肉の煮物、えのきのみそしるにした。
小川洋子の『博士の愛した数式』を読む。
水掻き
寺尾聰はかっこいい。
湯本香樹実を読む。こういう風に、丁寧に生きられたらなあ、と思う。 私は生き方が雑だ。
最近はアジアンカンフージェネレーションをよく聴く。
26日の朝日の夕刊で、私が書いた小説を書評してくださったのが載っていた(苦手な顔写真入りで)。ま、いろいろ思う人がいるだろうな。
谷間のユリ
池尻大橋でマンドリンの練習をする。
東横線
東横線に乗って、友達の出る、マンドリンの演奏会に行く。 パフォーマンスがいろいろあって面白かった。 途中で地震があった。
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