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昨日今日とマンドリンの練習で、明日からまた会社かあ、と考えると、 はあ、と思ってしまう。 それにしたって、練習は楽しい。 とくに楽しいのは、 お昼と夜で練習場所が違うときに、移動しながらいろいろな人とお喋りできること。途中でお茶できること。帰り道にまた誰かと喋ることができること。 あと、アンサンブルの練習で、他の人と意見を出し合って曲作れること(今日は「音楽は勝ち負けじゃないから、自分たちの曲を弾こう」と言った。なんか、そう言った方がいいのかと思って。あと「仲良いフリをしよう」とか。《私はよく「フリをしよう」とか言ってしまうのだけど、でもたぶんこれって照れだと思う》)。そしていろいろな人の面白い話が聞けること。 ああ、でも……人と喋るのが楽しいのはどうしてなのか、考えるとよくわからない。 話は全く変わるが、私は権威のあるものが嫌いだ。 べつに、権威は常に悪、というということもないのだろうけど、 「権威は嫌い」ぐらいの意気込みがないと、巻き込まれそうでなんだかこわいのだ。 人のたくさんいる集団や、力のありそうな団体と関わるときは、常に注意しよう、気をつけよう、と思ってる。 なぜなら「自分の意見」がわかりにくくなってしまうような気がするからだ。 気がつかない内にコントロールされてしまうのが、本当にこわい。 それで、個人対個人の関わりが好きなのだけれど、世の中、それだけで生きていく訳にもいかない。 権威のありそうなものともうまく付き合って、自分の意見を見失わないようにできたらなあ、って思う。
海外旅行や習いごと、青年海外協力隊などのパンフレットをつい手にとってしまう。 「今から何か変えなくては」 という気持ちばっかりであせって、実際は何もしない。 本気で自分の人生に願いをかけているのは自分だけ、ちやほやさせるのは今だけ(べつにされてないけど)、自分の人生で起こることに責任を取れるのは自分だけ、 ということをよく考える。 しかし、こういうことも考える。 自分の価値観を変えたり、自分を修業させて成長させることができるのは自分だけ、そしてそれは海外や恋愛の力でなく、日常の努力によってだろう、とか。 なんだか、私はいつまでも思春期が終わらない感じがする。 40歳過ぎても思春期が終わらないような気がする。
私は涙腺がゆるく、人前でもわりと泣く。マンガや映画でもすぐ泣く。 とは言え、一人で電車に乗っているときに泣くのは、さすがに、情緒不安定だろう、おかしい、と思う。だけれども、今日会社から帰るとき、本を読んでいたら涙が溢れて困った。(でも号泣って訳でもないので、そんなに周りには気が付かれてはないんじゃないか、とは思うけど)。書名は『対岸の彼女』で、真摯な書き方に圧倒されます。 雪が降っているのに、私はすぐにあったかくなる気分になっていて、今日、春のために白いシャツを買った。今年は、ニットやカットソーではなく、シャツ路線で過ごそうと思う。 梅がもう咲いている、と父が言う。 歩いていても全然気が付かなかった、下ばかり見ていたのかもしれない、雪のことも邪魔としか思えないし、感受性が鈍っちゃったのかもしれない、と私が言うと、 大抵の人がそうだ、だから気を付けて、気が付いたときに10数えるくらい空を見ろ、と父が言う。
3月になりましたので、気持ちをあらためて、これからは休憩に入らないように気をつけます。 2月は休憩に入ったり、日記が滞り勝ちで申し訳ありませんでした。 まあ、でも3月も気持ちをあらためつつも、のんびりやります。 春の来ない冬はないと思っておりましたが、案の定、冬は明けてきましたね。 ・父と昨日、偽造紙幣のことで少しケンカをしたら、 今日、10,000円、とエンピツで書いてコピーして、 「これを使っても偽造紙幣になってしまうんだ」 と言っていました。 ・フルクサス展、というのに行ってきました。 釘に髪の毛巻いたりして、ふざけていました。 ・金子光晴の『どくろ杯』の単行本が古本屋さんにあって買いました。 やったー。 ・マンドリンの練習に行ったら、何度も行っているところなのに道に迷う。 なんでだろう、と思うに、道に限ったことじゃないのですが(人のことでも、手、とかしか覚えられない)、私は視線が細部に行き勝ちで、俯瞰できないからじゃないのかなあ、と思いました。でもディティールこそ全て、だよね。 ・大學のクラスの同窓会を、東京駅でしました。みんな3年やそこらじゃあまり変わらないみたいだ。すごく面白かった。 ・マンドリンコンサートのゲネ、をする。ゲネとは、ゲネラルプローブ(ドイツ語?)でしたか? 弦をこの前買ってきたのだけども、未だ弦がえ出来ず。 ・受験生のみなさん、長い人生ですので、気負わずがんばってください。 ・卒業生のみなさん、別れは人を成長させますよ。 ・12月からぶらさげている靴下に何も入っていない。 ・来年からはセーターを着ない。セーター以外の防寒着を買う。 ・月火水木金土日、以外の、自分だけの曜日で、心の中で過ごす。 ・針供養を個人的にする。 ・「がんばります」とか、可愛いぶった声を出すのを止める。腹から声を出す。 ・蛍光ペンを最近使わない。 ・オレの居場所がないんだ ・そんなことない、みんなあんたのこと必要としてるよ! ・必要? よくそんな恥ずかしいこと言えるな ・言葉は恥ずかしいことに使ってなんぼのもんだからね
・先日、女の子の友だちに手作りのチョコレートをもらったとき、 「あ、チョコレートの日だからだよね?……えーと、あのー、チョコレートの日?」と、 ヴァレンタインという言葉がすぐに出てこなかった。 自分の女子力低下ぶりに驚く。 手作りでお菓子を作れてしまう可愛い女の子は、自分とは性別の違う人のように見える。私は見た目は多分、女性なのだが、中身はおじさんである。この先の人生でも、お菓子を手作りする機会があるとは、全く思えない。 ヴァレンタインといえば、義理チョコというものがあるけれども、あれもあげたことがない。普段、性別を気にせずに仕事したり友達付き合いしていたりするのに、なんでいきなり性別意識してプレゼントあげるのか? そんなの本当に潤滑油? と思ってしまう。 ついでに、よく女の子が「お菓子食べますかー?」って感じにみんなにお菓子を配っていたりすることがあるけれども、あれもなかなかできない。「どうぞ」って言うだけで、どもるほど緊張するのだけどなぜだろうか。 が、もらえると嬉しい。 ・新宿で東京ダイナマイトという人たちのお笑いのトークライヴを見た。 笑いについて悩んでる話だとか、ファンに対する対応を考えている話だとかを普通にしていて面白かった。 ・上野でミュシャ展を見る。 商業用の絵、という描き方が、なんか心弾かれる感じがする。 商業的っていいよねー、と思った。 クッキーの缶だとか、かっこいい雑誌だとかもあった。
池上線の荏原ナントカ(読めなかった)という駅に行く。 マンドリンを弾くためだ。 8時間くらい弾いた? と思う。 最近刺激のあることをしていないので、虫とか食べてみたい。イナゴなど。 あとカエルなど。食べたことがないので。
治療して詰めていたものがとれちゃったので、歯医者に行く(オヤシラズ)。 また何か詰められた。 かわかみじゅんこさんの『パリパリ伝説』に影響を受けて、 海外移住を考えている(架空)(しかもたぶん逃避)。 これから先の私の人生で、「今までの価値観はゴミだった」「オレの今までの人生はくだらなかった」と思うことがあるような気がする(大恋愛とか? 本との出会いとか?)。 それで「海外に行く」とか、自分は言いそうな気がするので、あながち架空ではないかもしれない。 でもいくらくらいお金貯めたらいいんだろう? 資格も一個も持ってないし、貯められそうもない。 ま、でもどこ行ったって同じだろうけど。 それにしても、かわかみじゅんこさんは天才ですよね。 でももう、前みたいなマンガは描いてくれないのかな?
友人とスピッツのライブに行ってきた。 聴きに来ている人たち、きっと、ライブどころじゃない人もたくさんいるんだろうなあ、と周りを見渡した。 職場や趣味の場面での人間関係でいろいろと悩んでいたり、自分は周りに迷惑をかけているんじゃないかと思い悩んだり、自分のことが大嫌いだったりする人もいるはず(しかし、おそらく嫌いなままでいいのだ。私も自分のことが大嫌いで、墓場まで自分のことは好きにならないつもりだ。自分のことが大嫌いでも、元気にふざけて楽しく生きていけることを私が証明してやる)。 私の年代では、青春ソング(?)と言えば、たぶんミスチルかスピッツ(中学高校くらいの頃に、なんか、すごかった)だと思う。 スピッツが出てきたくらいの頃は「好きなコは好き」みたいな感じだったけど、そのうちブレイクして、いわゆる女子高生ブームの中、ハデなコたちも「マサムネかっこいー」と言い出して「ああ、何が一般受けするかってわからないものだな」と思った覚えがある。一般受け、というのは言い方が悪いかもしれないけれど、「みんなが好きそうなものを、みんなが好きになる訳じゃない」ってことを。 いやあ、それにしても、面白かった。 今日はやらなかったけれど、私はスピッツの曲の中では『ラズベリー』という曲が一番好きだ(なんか、ちょっとエッチなやつ)。
この前パスタを食べに行ったとき、左隣は男の子二人、右隣は老夫婦だった。 左隣の男の子たちは絶対、OB訪問だ。 社会人2,3年目くらいの感じの男の子が、 「オレはいつも、周りに何を求められてるかを考えながら行動している」 「矢田亜希子に会いたかったら電通に行け」 等のよくわからないことをずっと喋っていた。 大学生らしい男の子は、 「はい」「はい」 とまともに返事していた。 右隣の老夫婦は、二人ともお洒落をしていて、ゆっくりとパスタを食べ終わったあと、おばあさんの方がすごく大きい苺パフェを頼んで、おいしそうに食べる。それを、おじいさんがじっと見つめていて、こちらが照れるくらいだった。 いやあ、いいものを見た、と思った。
圧力に期待できないのなら絶対量を増やそうと、 血行を良くするために、 お茶をがぶがぶ飲む。 血しょうが増加したはずだ。 しかし、一向に楽にならず。 考えてみれば、水分摂取で血行が良くなるのなら、 夏よりも冬の方が血行が悪くなる理由を説明できない。
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