■日々コレ精進ナリ■
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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。
2002年06月23日(日) |
どうにか仕事を求めるのじゃ |
睡眠も充分、今日も天気は良好!Napierは全国的にも晴れの日が多いそうだ。近くの高台Bluff Hillへ。歩いて30〜40分くらいかな。しかし俺はどこでも高い場所へ行こうとする傾向があるらしい。何故だろう。このHillは登っても120mほどらしく、それほど眺望は期待出来なかったが、まあいい。すぐに下って、また休憩。
栄養バランスがやっぱり偏っているのだろうか、最近食生活が変かもしれない。200gのポテトチップス(日本でいうところのBig Bag)を簡単に平らげることが可能になっている。その割には体重に変動なし。どうなってるんだ?
ラウンジでボケーッと過ごしたあと、その後近くのStables Lodgeに行く。以前この宿でフルーツピッキングの仕事をあっせんしてもらった、という人の話を聞いたので、俺もそこへ仕事があるか聞きに行ったのだが「もう既に3人もいるから無理」と言われた。ん?前のキウイフルーツの時の仕事は15人で作業したけどな?改めて質問すると、それはExchangeの話だった。Exchangeとは宿代を免除するかわりに部屋の掃除をさせられるという家事手伝い、悪い言葉で言えば居候だ。俺はそんな話をしに来たんじゃない、果樹園の仕事はどうだ、と聞いてみると案の定「No(なし)」。まあ、係員の人に勘違いされる時点で無理だとは思ったけど。
日曜日の映画タイム、今日は『MISSION IMPOSSIBLE』。ちなみに来週は『M:I2』。トムさんは髪が短いほうがいいのかもな。もうすぐ(6月末)公開される『Minority Report(マイノリティ・レポート)』も楽しみだな。しかし、CG(Computer Graphics)というのは映画館で見るとすごいけど、小さめのテレビで見るとどうしてもチャチに見えてしまうのでイカン。こないだ見た『TITANIC』も然りだ。
今日はNapierまで移動予定。今回もマヨさんの車に乗せてもらう。そういえば、車に乗る時以外は彼女とはほとんど別行動だな…当然か。本当はNapierにも2日遅れくらいで着く予定だったけど、あくまで予定は予定なのである。
途中、Mahia Peninsula(マヒア半島)に寄ってみるが、なーんも無し。本当に何も無い。羊や牛の牧場のみ。汚い牛の糞を見て。いや、汚いと思っているのは農業をやらない人間だけか?牛自体は糞を汚いとは絶対に思っていないはず。糞の横にある草食ってるくらいだからな。ま、それはいいとして、道を走っているとやたら三色で1セットという感じの羊の組み合わせ(黒・白・まだら)を何組か見て、いくつかの山を越えて、Napierへ到着。
ここNapierはおよそ人口60,000人の町。しかし、すぐ近くの隣町であるHastingsヘイスティングスとHavelock Northヘイブロック・ノースを含めると12万人は超えていると思う、そんな町。たぶん今月頭に長い間いたTaurangaよりも大きいだろう。天気も良い。
が、どうも体調がよろしくない。夕方から寝込んでしまって、22:30に目覚めてしまった。軽く飯を食らい、ワールドカップを見る。韓国−スペイン戦のダイジェストだ。これは…明らかに審判間違ってんで!韓国が買い取ったと思われても仕方がないよこりゃ。セネガル−トルコ戦はフランスを負かせた台風の目ということでセネガルを応援してたけど0−1で負けた、残念。この試合は皆で生中継を見てたんだけど、延長4分くらいで決勝ゴールが決まったんだけど、延長開始直前にトイレに行った人がいて、帰ってきたら試合終了。「Oh NO〜〜!」って叫んでた、ひゃひゃひゃ面白いリアクション。
さて、夕方から寝てたから今日はちゃんと寝られるかな?
2002年06月21日(金) |
国に来るなら国を知れ |
Gisborneには2泊予定。天気も回復して外はかなり晴れている。ここらへんの見どころを歩いてまわる。ここは250年ほど前に、James Cook(キャプテンクックで有名)が初めてこの島を見つけた時に上陸した土地だったそうで、Cook像がある高台に行ったり、海沿いを歩いたり、無料の博物館に寄ったりした。やっぱりマオリ語は日本語の発音に似ている。音数は日本のそれよりかなり少ないけど、似ているからこそ、日本人はもっとマオリ語を学ぶべきなのだろうか、と思える。いつの間に日本は英語“だけ”重視になってしまったんだろう?本来New Zealandは英語の国ではなかったけど、英国人たちの侵略によって英語の国に仕立て上げられたわけだし(英国人って括りはどうかと思うが)。
そんなワケで短いNZの歴史の一かけらを見てきた。だから何だという事はないけれど、以前から俺の中にあった“歴史嫌い”が少しずつ抜けていっているような気がする。過去を知ることは大事だな、と。
久々にTakeaway(持ち帰り)の食事で済ませる。YHAの近くにある中華の店があったけど、結局はfish&half chips&spring rollのいつも通りの3点セットで終了。他人が作るチャーハンも最近食ってねえなあ。
ここ(偶然見つけたBackpackers)は妙に印象に残る宿だ。Visitor's Bookには以前泊まったというU.K.の人が
「ここはまるで宿泊施設砂漠のオアシスだ。もしここの看板を見つけていなかったら俺達はどうなっていたか…」
というようなことを書いていた。なるほど、良い例えだ。しかしながら、俺らは1日で発つことにした。別に急いでいるわけじゃないけど、マヨさんが早くEast Capeを見たいということなので。
ちなみに、East Capeというのは今日の目的地の一つで、New Zealand本土で一番東の端にある場所。けれど、俺はこういう“果て”という場所は大学生の時に行った北海道の宗谷岬でもう充分だ。そもそも端っこというのは、えてして何もないのが相場だから。実際、このEast Capeも驚くくらい何もなかった。あるのは羊のフンと牛の死骸くらいだった。牛の死骸は道路沿いのガケから落ちたであろうもので、ヘンテコリンな体勢で死んでいた。岬には灯台があるのだが、そこまでは歩いて15分ほど。雨も降っていたので、俺は──やめさせてもらった。マヨさんは行った、ということである。
その後はTolaga Bayトラガ・ベイの南にある660mもある桟橋へ。現在はその橋は使われていないけれど、660mというのはかなり凄かった。この時には雨もあがっていたので橋の先端まで歩き、少々はしゃぎ気味になってしまった。
そのまま車をガンガン飛ばし、15時にはこのあたりの最大の町Gisborneギズボーンに到着。最大とはいえそれでも35,000人程度らしいが。今までの何のない集落から考えればなんて便利な町なんだ、と思える。本来ここに到着するのは22日の予定だったけど、あまりにも雨が降っていたのでなりふり構わず先へ先へと進んでしまった。Gisborne YHAに泊まることにしたのだが、ここは驚くほど日本語の本(ほとんど漫画)が置いてあって、ヒマつぶしには最適だ。
近くのスーパーマーケットで久しぶりに買い物をして、買ってきたチョコレートを食べようとしたらそれが袋に入ってない。ん?なんでだ?思い返してみると、どうやらレジを済ませてから袋に入れようとした時にチョコレートだけ入れ忘れたみたいだ。うわーバカ!清算したあと持ち忘れてどうすんだ!1.99$がムダになったし、チョコレートも食えず。はーーー。
今日からしばらくは車でひたすら移動することになりそうだ。Rotoruaを10:30に出発。天気はあまりよくないなあ…ひとまずの目的地はOpotikiオポティキ。東へ進み、そこから、ただでさえ田舎のNZでさらに「ド」が付く田舎のEast Coastに行くという魂胆。バスでも行けないことはないのだが、高いし、申し込みがかなり面倒らしいので車に乗せてもらう、ということだ。
Opotikiには12:30ごろに到着。Visitor Informationで一通りのパンフレットを見せてもらい、宿のそれも見せてもらったのだけど、宿の情報を集めたパンフレットはもらわなかった。──これが不幸の始まりだった。
一応Opotikiで決めている宿があったけれど、まだ13時にもなっていないからということで次の目的地にしているHicks Bayヒックス・ベイまで向かうことにした。雨がやむ様子はない。そのHicks BayはOpotikiからおよそ150km離れている。車をぶっ飛ばして15:30に集落へ到着する。
持ってきていたガイドブックには"Hicks Bay Backpackers Lodge"という宿があるのでそこへ向かう。しかしその宿の様子が変だ。窓にカーテンがかかっている。窓をノックするが返事がない。寒い南島でよくある「冬季は閉鎖」という状況をこんなところで遭遇してしまうのか!?参った。この宿は集落から12km離れていて、公衆電話を見つけるためにもう一度中心部まで戻って、その扉の閉まった宿に改めて電話をかけるが応答なし。どうも「回線は現在使われておりません」の雰囲気だ。これはまずいな・・・。もう一つのガイドブックに載っていた別の宿"Sunrise Lodge"に電話すると、これまた「使われておりません」というふうの音「プププップププッ──」が聞こえてきた…絶体絶命。
この近辺には宿が先の2つしかないようなので、ここからそれほど離れていない集落であるTe Araroaテ・アラロアの情報を見ると、いわゆるBackpackersはなく、次に高い値段設定のMotel(モーテル)しかない。次に近いところであるWaihau Bayワイハウ・ベイには20$前後の宿はあるようなのだが、約50km引き返さなければいけない。二人で話し合ったが、ガソリン100km分を考えれば安いものだということで、50km戻らざるをえない状況に。雨は少し小降りになってきたが、車に乗っている以上はそれほど関係ないかもしれない。
同じ道を引き返すなんてバカげた話だと思いながら5kmほど車を走らせていると、路上のある看板が目についた。
「<< と書かれてある。全く予想しなかった展開で新しい宿を発見することになった。その看板の出ている家に立ち寄り、話を聞くと1人18$とのこと。よし、問題なし!ここの宿の正式な名前は"Backpackers Homestay Hicks Bay"だそうだ。バックパッカーズとしての宿としては営業を始めてまだ2ヶ月も経っていないそうだ。道理でいくらガイドブックを見てもここの名前がなかったはずだ。2ヶ月程度なら、俺たちより前には日本人はいないだろう…と思ってVisitor's Bookを見ていたら、しっかりTadashiという名前の書き込みがあった。その人はヒッチハイクでここに辿り着いたようなのだが、ヒッチハイクのことを"Hich-Hick"などと書いていたが、よくここまで無事にヒッチで来られたもんだ。(ちなみに正しくはHitch-Hike)
しかし、冷蔵庫は一つしかなくて、オーナーの食料が一緒に入っているのには驚いた。さすが"Homestay"を謳っているだけのことはある。オーナーが少し多めに作ってしまったというスープをもらうことが出来た。部屋にはなぜかゲームボーイが置いてたし…。この宿の定員はなんと5人。以後大きくするらしいけど、どうやって?キャンパーバンの走らない部分だけを頂戴する、みたいな事を言ってたな。
なんか今日は妙に疲れてしまったので21:30就寝。なんだ文句あるか。
2002年06月18日(火) |
どうしても観光地はお金命 |
実は今日特に書くことないんだよなあ…。
2002年06月17日(月) |
Rotoruaは何日目なんだ? |
昨日の約束通りマヨさんの車に同乗させてもらう。途中、Te Pukeテプーケにあるでかいキウイフルーツのオブジェで車を停めて写真を撮る。こういうことはバスでは出来ないから非常に嬉しい。
乗っている車は350$(日本円でなんと2万円強)で買ったもので1983年製、修理代に300$払っているそうな。そのため、ミラーが両側違う形だったりボンネットがすぐ熱くなったり、カーステレオから変な音が出たりと、まともでない。途中で故障したらどうしようかと何度も思った。もう少し新しい車を持ってる人のほうがよかったな、なーんてな。
12時過ぎにRotoruaに着いたけど、マヨさんは別に用があるらしいので再び一人に。徒歩で行けるようなところは大体行ったしなあ。ネットカフェで時間つぶし(WEB日記は更新していない)。Taurangaに比べれば値段はだいぶマシだ。3時間で10$。特に今日行ったところはなかなか良い環境で、30〜40kBを1秒でダウンロードできる。いいじゃないか。
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