2003年05月24日(土) |
5月29日山田錦田植え決定(NHK大津放送局取材つき) |
NHK大津放送局から、来週に予定している山田錦の田植えの取材について、打ち合わせにおいでになりました。
おいでになったキャスターの金谷さんは地元海津の御出身で、そのお話を最初うかがったときには驚きました。お母様も弊社のすぐ近くにお住まいで、よく存じ上げている方です。地元の若い方がいろんなところで活躍しておられるのを見ると嬉しいものです。
田植えの現場で、平井(栽培指導)、吉原(栽培)御両名をまじえ、4者で打ち合わせ。でも、なんか話がかみあいません。取材する金谷さんの稲作に対する予備知識が決定的に足りないようです(私も米作りをするようになるまでは似たようなものでしたが)。
弊社のホームページやら、平井さんのホームページやらいろいろとコピーを取っておいでなのですが、どうもその理解までにはいたっていないようです。中学校の先生をご経験の平井さんや、いつも見学者相手に米作りの話をしている私は、ある程度かみくだいて説明できますが、ズブのお百姓さん相手の単独取材はまだ無理なようにお見受けいたしました。
大津放送局においでなら、これから、農業関係の取材もたびたびあるかと思います。この機会を有効に利用して今後の糧にしていただきたいと思います。
落ちあわせの結果、5月29日が田植えの日と決定いたしました。 田植えの模様は、6月はじめ更新予定の、拙ホームページ表紙に御紹介させていただきます。
一週間くらい前から、検索エンジンのgoogleで「吉田酒造」と検索すると、4番目に拙ホームページがヒットするようになりました。
では、1番目はどこでしょうか?
福井県の「吉田酒造有限会社」です。 となりあわせた2つの県に同じ「吉田酒造有限会社」があるという奇妙な偶然!
福井の吉田酒造は「白龍」というブランドでお酒をつくっておられます。九頭竜川が流れているからでしょうか、かの地には有名な「黒龍」という金看板もあり、福井にはホワイトドラゴンとブラックドラゴンの2頭の龍が棲んでいる訳です。
ホームページをごらんいただければおわかりになりますが、白龍さんは弊社同様、こじんまりしたお蔵ながら、若奥さんががんばっておられ、地元での山田錦の栽培や、プライベートラベルなど、ホームページを駆使して熱心に御商売をしておられます。
2年前、弊社のコンピューターにISDNがつながったとき、最初に検索エンジンで調べたのが「吉田酒造」と「竹生島」でした(自意識過剰ですな)。当時すでに白龍さんは立派なホームページを開設しておられ、思わずメールでエールの交換(洒落じゃないですよ)をしてしまいました。
先方からはすぐに丁寧なあいさつがメールで送られてきて、いつかこれくらいのホームページを作って、Web運営をしてみたいなと心に決めたものです。
ただ会社の名前がいっしょだと、たまにお間抜けな取引先が、先方の注文した資材や、請求書を、弊社に送りつけたりすることがありますので、その点は要注意です。
なにはともあれ、福井の「吉田酒造有限会社」さんはインターネット先進蔵です。これからいろいろとWebを勉強させていただき、弊社のホームページも充実させていきたいと思います。
いつか、弊社のホームページが検索エンジンでトップにくるようにがんばります。
2003年05月21日(水) |
酒のない国に行きたい・・・・。 |
完全な二日酔いです。
きのう三重と愛知県の若手蔵元と一緒に、懇親会をやり、カラオケをがなり、知らないうちに旅館の自分の部屋で爆睡していました。
今日起きたら、頭がガンガン、胃はムカムカ、俺もヤキがまわったねえ・・・。
おまけに、今回の交流会の記録のために持参したデジカメには、昨日のコンパニオンさんとの恥ずかしい写真がいっぱい。 きっと酒か女性で身を持ち崩すにちがいありません(反省)
といいながら、好きな狂歌を一首ご紹介。 「酒のない国に行きたい二日酔。三日目には帰りたくなる」 私の場合、翌日には帰りたくなるのは、どうしてでしょうか。
立派な肝臓と消化器官をいただいた御両親に感謝!
2003年05月20日(火) |
三重・愛知の若手醸造家 |
三重県、愛知県の若手醸造家のグループが、滋賀県の蔵元を見学に来られました。
見学先は、出荷量では滋賀県でも屈指の北島酒造(御代栄)と、本年より杜氏さんが引退し、3兄弟が酒造りをしている浪乃音酒造(浪の音)です。
いずれも頑張っておられるお蔵で、設備も充実していますので、一見の価値は充分にあります。
わたくしは両蔵に何度かおじゃましていますので(見ても、うらやましくてためいきをつくばかりだし)、宿泊先の雄琴温泉、湯元館での懇親会から合流しました。
三重、愛知といえば近所の県なのですが、案外行き来がありません。懇親会場できょろきょろしていると、東京滝野川の醸造試験所時代の知人、杉本さん(神杉)が来ておられ、久しぶりに旧交を暖めました。
初めてお出会いする方々も、そこは同じ商売をしている身、一杯飲んで盛り上がれば、もうお友達です。
お話を聞いていますと中京エリアの都市部は、やはり大手メーカーの勢力が強く、ディスカウンターを中心とした不毛な低価格競争があいかわらず続いているそうです。私が外から眺めていても、面白い個性のある地酒は、中京の周辺部の郡部に多い印象をうけます。
日本酒多難な時節で、あれやこれや悩み事が尽きませんが、皆で盛り上がって、元気を頂戴して帰ってきました。
日曜なのにヒマです。 ゴールデン・ウイークが過ぎると、とたんに観光客のみなさんが少なくなり、これから暑くなるほうなので、地元消費もあまりふるいません。
きのうノン・アルコールビールの話から、酒質設計のことに話が展開しましたので今日はそのお話を少しばかり。
「竹生嶋は辛口ですか?」と質問される方がよくおいでになります。10年以上前、1級酒と2級酒だけで商売ができた時代は、おおざっぱな傾向についてお答えができたのですが、今は少量多品種が進み、私どものような場末の蔵元でも、原料米、酵母、仕込みの配合比率を違えて、9種類もの醪(もろみ)を立てています。当然味わいも違いますし、甘辛も商品によって意識的に変えています。
昔のように地元の米で、蔵内の井戸(発酵力に関係)で、蔵つきの酵母(協会7号酵母とか、9号酵母とか選択の余地がない)で仕込んでいれば、おのずと酒質も定まってきますが、今は酒質設計が可能になりました。
日本酒もすでに「原料や環境、杜氏の流儀によっておのずと酒質がきまる」時代から「意識的に酒質を決める」時代になっているのです。
ひと昔前、一世を風靡した「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」というお酒は、当時、愛飲家が志向していた(今でもこのタイプが好みの方は多いのですが)「淡麗で、香り高い酒」を、極端にまでデフォルメした酒質設計の結果、生まれた商品だと私は考えます。
ただしかし、どんな商品展開をするにしても、ひとつの蔵の商品群には一貫した理念なり方針が必要だと考えます。とくに個性が求められる地酒蔵ほど強く「自分の蔵の酒はどういう考え方で造っているのか」を意識せねばなりません。そうしなければ、大手メーカーの物量と声高な宣伝力の前にたやすく蹴散らされてしまうでしょう。
ノン・アルコールビールがよく売れているそうです。
道路交通法の改正で飲酒運転の罰則・罰金が厳しくなったためで、料理と一緒にたのしめる、酔わない大人の飲み物が求められているのでしょう。
酔わない日本酒は先だって、石川県の「福正宗」さんが「宴会気分」という吟醸風の商品を販売開始されましたが、残念ながら私はまだ口にしたことはありません。
酒質設計の面から言えば、アルコールというのは、ちょうどバックボーンのような骨組みの部分にあたり、アルコール分を薄めていくとその骨組み部分が希薄になり、頼りない味わいになってきます。
それを補強するのが、炭酸の刺激か、クエン酸、コハク酸などの酸味、あるいはホップに代表される苦味になるわけです。
ビールの場合は、ノン・アルコールにしても、炭酸の刺激と、ホップの苦味が味わいの中に残っており、比較的容易に酒質設計ができると思いますが、日本酒はそういうわけにはいきません。
ノン・アルコールどころか、アルコール分5〜10%の低アルコール清酒にしても酒質設計がむつかしく、かって、滋賀県の蔵元の研究会で低アルコール酒を20点程度購入して、きき酒をしましたが、お金を払って、もう一度飲んでみたいというものは数点程度でした。消費者さんも「きわもの」イメージが強く、商品として成功している例もあまり耳にしません。
基本的に、こういう研究は優秀なスタッフがいる大手の酒造メーカーにまかせ、わたくしどものような零細蔵元は、低アルコール清酒やノン・アルコール清酒には手をださないほうが賢明だと考えています。
むしろ、飲んだら酔う従来型清酒の、味わいや風味を追求してくことが大切だと考えています。
なるほど、料飲店でお酒を飲むお客様が減り、廃業に追い込まれた飲み屋さんもけっこうあります。弊社の売上も、特に地元の居酒屋さんや家庭でお使いになられるレギュラーの金紋本醸造(いわゆる上撰クラス)や、銀紋普通酒(いわゆる佳撰クラス)の売上は、前年対比を下回り苦戦しています。
しかしそれは、新しい商品展開や、販売チャンネル、得意先の開拓、提供方法の提案などで対応していけばよいのです(ありふれた考え方なのですが、会社の幹となる商品戦略は本道を歩むべきで、奇策では対応できません)。
最後にクイズをひとつ、「完全に止まっている時計と、1日に1分ずつ遅れる時計とどちらが正確でしょうか?」
答えは、1日に2度正確な表示をする「完全に止まっている時計」です。 (たしか出典は、1970年代にベストセラーになったカッパブックスシリーズの多胡輝『頭の体操』だったと思います。)
市場の浮き沈みにいたずらに右往左往することなく、確固たる自分のスタンスを堅持していきましょう。ただし情報のアンテナは高くかかげ、敏感に。
2003年05月16日(金) |
Face Hugger |
成人病検診で胃の内視鏡検査をうけてきました。
数年前、胃のポリープが見つかって呑んで以来2回目です。 そのときは、組織検査で良性とわかり経過観察をつづけてきたのですが、今年はもう一度呑んでみようと受診いたしました。
前夜9時から絶食、当日の朝6時からは水もダメという状態で京都府立医大の内視鏡検査室に出頭いたしました。
蔵元の近くの病院でも内視鏡検査をやっているのですが、もし万が一何かあったときは大学病院の方が話がはやいので、こういう検査のときは県境をこえることにしています。
のどの麻酔薬を口に含み、たった3分でノドの奥がマヒ状態、ツバがうまく飲みこめません。マウスピースを噛まされ、ベッドに横向き寝て、まな板の上の鯉状態(こういうときは、あわてずさわがず、相手のなすがままにしているのが一番賢明です)。
さっそく女医さんが、直径1センチ強ほどのファイバースコープをスコスコと挿入しはじめました。
喉から食道へはいるときにちょっと抵抗がありましたが、案外抵抗なく入っていきます。痛みは感じませんが、やっぱり「入ってくるな」という感覚はあります。スコープの当たり加減で時々ウッと嘔吐しそうになりますが、胃の中はカラッポ悲しいかな出るものがありません。
映画「エイリアン」に出てくる、宇宙飛行士の顔にへばりついて、尻尾を口中から挿入していき、体内に侵入していくエイリアンの幼虫(face huggerというらしいです)のシーンをつい思い出してしまう、おバカな専務でした。
どんな姿か知らない方は、検索エンジンで“face hugger”あるいは「フェイス ハガー」と打ち込むとSF関連のサイトがヒットして、グロテスクな姿がみられます。ちなみにこんなモンスターをモデルにしたマスクやモデルが販売されているのですね。知らなかった。
操作している女医さんは気さくな方で、私が涙目でモニターを見ていると、「はいここが声帯、今食道を通っています。これは胃のヒダヒダ、ちょっと荒れていますねえ、ポリープは見当たりませんねえ、なくなっちゃったのかなあ」などと説明してくれますが、マウスピースを噛んでいるのでしゃべれません。
結局、胃や食道に軽い炎症があるけど、気にするほどではないというお話でした。はじめたばかりの「ほろよい日記」が「闘病日記」にならず、まずは一安心。
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