物事は本気にならなければ本物にはならないですね。たとえば仕事。本気で取組まなければ納得行く仕事はできません。たとえば勉強。本気にならなければ勉強した内容は役に立たないです。たとえば恋。本気で愛さないのなら、横に居るのは誰でもいいです。じゃあじゃあ、本気ってどういうことなの?って問うてみました。
それは生活の時間の大半を使うことなんですね。物理的にも、精神的にもってことなんですね。朝起きても、電車に乗っていても、ボケっとしていても、風呂に入っていても、常に頭の隅にはそのことがある状態。そして、それに対して何らかの行動を起こしていること。また、その状態に持っていこうと努力すること。これが本気なんですね。だから、一つ以上の事に本気になるなんてことはとても難しい。
では、僕は今何に本気なのかって考えてみると、実に中途半端でまだまだ本気で何かに取組んではいないような気がします。また、その努力も怠っているような気がします。さて、皆さんはいかがでしょうか?本気になることがいいことと決まったわけではないけれど、本気の人生なら死ぬときに後悔しないでしょうね。
芸というほどではありませんが、今、昔とてもお世話になった先輩のお店のホームページを製作中です。これでビジネスになんて色気は全然ありませんが、世の中のしかもお世話になった人にこんな形で感謝の気持ちを形にしてお返しができるのがとてもうれしいのです。
それと今は収入源がありませんから、多少の足しになることもありますし、とても楽しくお手伝いさせもらっています。今から4年前、カナダに留学中に勉強の片手間に始めたホームページ作製の技術が、社会人時代には生かされ、そして、今一人でそれなりのものが作れるようになってきたという、この流れには不思議な感じです。
今、世間で騒がれているITにも、そして、世界共通語となった英語を操れること。これは私の財産です。そして自分のプロフェッションとして、これから言語聴覚士という、人々の生活の質向上のための技術と知識を身につけようとしています。自分のやりたいことをやりつつ、社会貢献を目指すという目標はだんだんと現実に近づきつつあります。
これまでの環境に感謝。そして、切り開くことができた自分に自信。なんてすばらしい財産を手に入れることができたのだろうと、ただただ、ほくそえむのです。嫌なやつ?
今、学校で解剖学・生理学・病理学・耳鼻咽喉学などなど、医学の基本を勉強しているのですが、人体の仕組みには畏敬の念を抱くばかりです。自然ってすごいですね。人間ってのは、大きな自然の仕組みに組み込まれているほんの一部にしか過ぎないことを見せ付けられる感じです。
なんだか、私も含めて人間は自身の体について、あまり意識していないようです。体の外観はそれなりに意識しても、体がどのように機能するかなんて意識しないですよね。でも、したほうがいいですよ。
自分の体の神秘、そして、その奇跡の仕組みが組み込まれていることを意識し始めると、俺って自然の力に生かされてるだけじゃん!って思えるようになります。人間って傲慢な生物です。自分の力じゃ生きられないんだから!
「ひねくれ者」と言われそうですが、私は別にひねくれているわけではありません。一般的に「常識」と言われるものが本当に「常識」なのか?って一歩下がって評価する姿勢を持ちたいと考えています。
別に表とか裏とかという二つに一つの選択が絶対ではないのですが、すべての物事にはひとつ以上の見方と解釈がありえるのだということなのです。
人の話をじっくり聞いてあげる時、この考え方は非常に役に立ちます。まず、話し相手の言っていることを自分の持っている「常識」で単純に判断せず、話し相手の考える「基準」というものを意識し始めます。それから、自分が話すときにも、相手の「基準」にあわせた物の言い方をしているかどうかを意識します。自分以外のすべての物・人は、私達が容易に知り得ない、複雑なバックグラウンドを持っているのです。まず、そのバックグラウンドを知ろうとすることがコミュニケーションや、物事の理解の第一歩なのです。「俺はバカだから...」という人の、その背景には何があるのでしょうか?
表があれば裏がある。
常に結果だけではなく、その原因を意識することが大事ではないでしょうか?
最近、ボケ〜っとしていることが多くて困ってしまいます。まったくもって何にも思考しない状態です。それが一時的に起こるのであれば、それは単なる「ボケ〜」で終わるのでしょうが、このところその「ボケ〜」の範囲に収まらなくなってきているのです。これを一般的には「無気力」というのでしょうか?
忙しく、プレッシャーの多い毎日から、突然時間があって、日々のプレッシャーがあまりない学生という身分になって、自制が効かないほどに気持ちが緩んでいるのでしょう。「これはいけませぬ!」ということでアルバイト探し、それから授業後の図書館での勉強と、それなりに自分に刺激を与えるために動いています。
まだ、心に体がついてこなくて苦しいですが、何事も根気です。粘り強くやっていきます。継続は力なりって言葉、ようやくその真意が見えてきたような気がします。
創造力は生まれつきの才能ではありません。創造された"結果"に才能がみられることはあっても、創造するという行為は万人が持つ基本的な能力であります。本を読むこと、テレビを観ること、映画を観ること、新聞を読むこと、音楽を聴くこと...
あなたはどんな創造力を発揮していますか?私は常々思います。本を読むのではなくて、本が書きたい。テレビを観るのではなくて、映像を創ってみたい。情報をただ受けるだけではなくて、自分ならではの情報を発信してみたい。音楽を聴くのもいいけど、自分で音楽を奏でられるようになりたい。仕事でも、学業でも同じです。
「自分で考えて創造できる人間」このことに気付いた人は、変に気取ることもないし、劣等感を抱く必要もないのです。なぜなら、知っている知っていないというレベルで能力を判断しないからです。
知らなくてもいい。私は創造している。たったそれだけの自覚と実感で、人間は自分の能力に自信を持つことができるのです。
「心でっかちな日本人」という本を読んでいます。
欧米は個人主義で、日本は集団主義だという通説に異論を唱える本です。その趣旨は、日本人は集団で協力して何かを行うという行動ではなく、皆がしてるから俺もやるという行動をとるそうです。集団で協力して目的を達成することよりも、集団と同調しておくことのほうが個人としてメリットがあるという判断を下すからです。
アメリカ人の方がよっぽど純粋な意味で集団主義だと本は言っています。
日本人は(僕も含めて)周りの空気というものを敏感に感じながら生活しています。逆にそれ無視では日本社会の中では浮いてしまいます。浮いてしまうことは、日本社会で上手に生きることができないということにつながるのでしょう。
2002年01月01日(火) |
あけましておめでとうございます。 |
沖縄で年を越しました。 ワン公の遺骨は海ではなく山に還してきました。
沖縄は暖かいです。 日中は20度でした。 本土に帰ってきたら今年一番の冷え込みですか。 大変。
今年はいろいろ大変ですが、生みの苦しみです。 楽しくやり過ごすつもりです。
本日より神戸の実家に帰省中。 正月は沖縄で過ごします。 家族で行くんですよ。 便乗です。はい。
今年、あの世へ旅立ったうちのワン公の骨を 沖縄の海にと思ってます。 きれいな写真が撮れたら載せますね。
訪れた会社の壁に掲げられていた言葉。
"Wise Man often changes his mind,
Fool Man often wants no changes."
「賢者はよく心変わりする。 愚者は変化を望まない。」
ゆっくりでも変わりつづけること。
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