障害を持って生まれてくる子供達を毎日見ていると、非常に複雑な気持ちになることがあります。自分が結婚して、子供を授かった際に障害を持って生まれてきたらどうしよう。と考えてしまうのです。もし、お腹の中に居る胎児が、自閉症や精神遅滞を持って生まれてくると分かっていたら生みますか?
私はこうした子供を訓練する立場にこれから向かおうとしていますが、明確な答えを出す事はできません。あなたならどうしますか?
障害があるかないかを決めるポイントの一つに、本人がそれによって日常生活に不便さを感じるかどうか?ということがあります。もし、日本の社会が、自閉症や精神遅滞を初めてとした種々の障害を受容して、こうした障害を持つ子供や大人が不便なく暮らせる仕組みを確立したとしたら、障害なんて概念さえなくなるのです。
私が外国で見た光景は、まさに社会に障害者の方が溶け込んでいる風景でした。バリアフリーはもちろん、様々な障害に対して社会が対応しているおかげで、障害者が居ても特に不自然さを感じないのです。カナダでは、路線バスが車椅子で乗車する人のために15分ぐらいを平気でかけます。また、そうしたリフトが全部のバスに設置されていて、ドライバー一人で対応できるようになっています。
設備を揃える事がすばらしいとは限りませんが、そうした社会の受容の姿勢が普段何も気付かない健常者の人の障害者への気持ちを日常的なものに変えていくのです。私が目指す言語聴覚士という仕事が、当たり前のように社会に認められる日がくれば、自閉症や精神遅滞の子供本人、そしてその家族はいまよりずっと暮らしやすくなるのになあと思うのです。
こうした話しはイデオロギーや思想の話しになりがちですが、環境が変われば意識が変わるという人間の特性を考えれば、それほど難しい話しではないと思うのです。年度末の無駄な工事はやめて、こうした環境作りに目を向けて欲しいものですね。
三月も終わりです。三月に関してはとても長く感じました。前半は試験があり、中盤は実習の準備、そして後半は実習と、とても充実しているからでしょうか?中身が濃いと、一日一日の時間はすごく短く感じるのですが、振り返ってみるととても長く感じるのです。逆に、暇過ぎると、一日一日は長く感じるのに、振り返ってみるととても短く感じるのです。振りかえったときに長く感じる一日を過ごしていきたいですね。
今日は、ずっと頭が痛く、帰って来て実習日誌を書こうと思ってメモをみたら、いつもよりメモが少なくて困ってしまいました。思い出して書こうとしますが、今も頭が痛いし、なかなか思い出せません。精神的には非常に充実しているのにも関わらず、体の調子が今一つなため精神が抑圧されている感じです。もやもやしてます。
明日は、特養での実習です。
今日は、久しぶりの休みでしたが、雑用を済ませて後はテレビかパソコンかというデジタルな一日でした。デジタルといえば聞えは良いのですが、実際には完全な受身の生活ですからまるで脳細胞は働いていません。こうした受身の状態で休みを過ごすと頭がボーっとしてしまってよくありません。また、テレビやパソコンはずっと同じ画面を見つめてしまうので、目の疲労につながります。
以前から私は物理的な視野と、精神的な視野というのはとても密接に関係しているのではないかと考えています。実際の目で広い視野を持つ人は、気持ちの上でも広い視野を持っているのではないかと考えるのです。都会に暮らしていると、どうも視野が狭いし、眼の先にあるものはすぐ目の前の建物や人になってしまいます。そうした建物や人が少ない場所に行けば、無意識のうちに遠くを見ることになります。近くを見るのと、遠くを見るのでは視野の広がり方が異なるのです。
テレビやパソコンは、まさに目の前に対象物があります。まだ、街の中なら動くもを見たり、ちょっと遠いところにあるものを見たりしますが、テレビ・パソコンは目の前でじっとしています。そして、強い光を放っているものを見つづけることになります。まばたきの数も減るそうですから、いかに目を酷使しているかが分かります。
広い視野とか、狭い視野という視点ではなくても、テレビやパソコンから流れる情報を受身に見ているのは脳には良くないですね。五感を精一杯使った生活を取り戻したと思っています。野球も開幕しましたが、テレビではなくて実際に観戦しにいこうっと。
今、テレビで松井秀喜の特集をやっています。その中で松井が高校生の時の星陵高校の監督のことばがとても良かったので、掲載します。
心が変われば 行動が変わる 行動が変われば 習慣が変わる 習慣が変われば 人格が変わる 人格が変われば 運命が変わる
運命が変わらないかなあって思っている方は、まずは自分から取組んでみてはいかがでしょう?私はこれから自分に取組みます。
昨日は、知らないうちに寝てしまって更新できませんでした。今日も相変わらず実習に行ってきました。様々なタイプの自閉症の子供をみましたが、いわゆる自閉症の典型的な特徴を持つ子供と、そうではない子供がいることを学びました。かなり幅が広い範囲を自閉症と呼んでいるそうです。こうした障害を広汎性発達障害と総称するようですが、自閉症の他に学習障害やADHDなどが含まれます。これらはすべて原因がいまだに良くわかっていない障害なのです。
この世の中には良く分からないことがたくさんあります。人間は常に分からないものへの探求心を持ってきました。そうした探求心が人間の社会を発展させてきたのでしょう。しかしながら、あまり良く分かっていないものに対して名前をつけてしまうことで安心してしまったりする悪い面も見られます。自閉症などは典型的な例かもしれません。確かに、カナーという学者が発見したような特徴を持つ発達障害児も居ますが、決してそうした枠に当てはまらない子供もたくさんいるわけです。
分からないが故に、大きなくくりとして自閉症という障害名をつけてしまったのでしょう。しかし、こうした障害児を日常的に見る言語聴覚士などは、自閉症とひとくくりにできないという要素を子供と接する中で感じているようです。ひとくくりにしてしまう事で、彼らへの対応は一律な対応になってしまう恐れがあります。こども一人一人に個性があるように、障害にもその個性が反映され、一人一人まったく違う障害を呈しているのです。そして、そうした個性に合わせた訓練の仕方を考えていかなければなりません。
物事を理屈で考えていくと、どうしてもカテゴリをつくって物事を整理したくなります。しかし、世の中にはそうしたカテゴリに収まらないもの、また、収めるべきカテゴリがないものがあります。カテゴリに収めてしまったほうがすっきりはするのでしょうけれども、カテゴリに放りこんだ瞬間に物事の本質や特性というものが薄れてしまうのです。
国と国との戦いに、個人個人の命の尊さが薄れていくようにです。
イラク戦争もだんだんと死傷者が増えてきました。よりよい生活を送れるための補助をする仕事を目指す私としては、簡単に人が死んでいくことがなかなか受け入れられません。戦争が終わってしばらく経つとまた戦争はするべきではなかったというような話しが出てくるのでしょう。いつまでたってもこんな歴史を繰り返すのでしょうかね。
今日は、ダウン症の子と自閉症の子の2人のこどもと、構音障害を持つお年寄り3人と失語症を持つ女性1人の計6人の訓練を見学しました。1人のこどもの訓練は、最初から最後まで私にやらせてもらえました。だんだんとこどもと遊ぶ事、遊びながら発達の段階を見ようとする余裕が出てきた感じです。実際はまだ見れていませんが。
今回の実習先では小児と成人の両方が見れ、しかも付いている先生が非常に良い先生で、実際の訓練に参加できるので見学実習とはいえ非常に中身の濃いものになっています。まあ、返ってきて実習日誌や観察記録を書くのは非常にしんどいですkれど。
今日は特別養護老人ホームでの訓練を午前中に見学し、午後からは病院に戻って失語症の方の訓練を見学しました。特別養護老人ホームでは、数名の方とフリートークをさせてもらいましたが、フリートークとは言え、こちら主導で行うフリートークは非常に難しいものでした。本来であればフリートークの中から様々な症状を観察したり、検査的な要素を盛り込んで症状を確認したりするのだそうですが、私にはフリートークを続けることに必死でした。
なんせ皆さん痴呆をはじめとした脳の機能障害をお持ちの方々ですから、私の話しに興味を持とうとしない人、質問とはまったく関係のない話しを始める人など様々です。フリートークが続かない原因を単純に自分の能力のせいと思うと自信を失いそうです。バイザーの先生のフリートークのように雰囲気を盛り上げていく技術はまだありませんが、少しづつ改善できればいいなと考えています。
今日も百聞は一見にしかずの一日でした。
実習が始まりました。やはり教科書や授業だけの知識では何にもわかりやしません。実際の症状を見たり、臨床の先生に話しを聞かないと身につかないですね。百聞は一見にしかずということわざはまさにこういう時に使うのでしょう。
初日と言う事で多少疲れましたが、明日も楽しみです。今日は短くてすいません。早く寝ますね。
自分がどれだけすごいかを自慢されるととても困ります。なぜなら、価値観が違う人のすごいことは、私にとってまったくすごくないからです。しかし、そういうことなど気にする様子もなく、どちらかというと聞き役になることが多い私にべらべらと話す人がいるのです。
別にその人自身が「俺ってすごいじゃん。」って思うのは構いませんし、自慢したがる気持ちも良く分かりますし、多少の自慢話ならお付き合いします。中には、私の価値観から見てもすごいなと思える人も居ますし、自慢話のすべてを否定するつもりはありません。
しかし、自慢話が高じて他人の価値観を否定する人は勘弁です。
ああ、今日は気分の悪いことがあったので、愚痴になってしまいました。すいません。明日から実習です。
連休中のホテルはとても忙しくなります。朝から夕方まで一息入れる暇さえありません。普通、嫌な仕事をしていると時間が非常に短く感じるものです。別に今のアルバイトが好きなわけではありませんが、毎回、時間が経つのがとても早く感じます。恐らく、仕事の特徴に原因があるようです。
学習心理学という分野で、スモールステップという理論があります。小さな目標を立てていくことで達成感を呼び起こし、最終的な目標へ近づいていくという学習の理論です。大事なのは、小さな目標はその人の能力で必ず成功する目標を立てることで、こうした成功体験を繰り返して物事を達成していくという心理学的に非常に有効な手段です。
私のホテルでの仕事は、決まった時間内にいかに多くの部屋のベッドを作り上げていくかです。一つのベッドを作る方法はすべて同じ手順なのですが、一つ一つの部屋のベッドを作り上げる毎に達成感があります。早く作れたという達成感。きれいなベッドにできたという達成感。効率的に仕事ができたという達成感。こうした達成感を積み上げていくことで、小刻みに達成感を感じる事ができます。
達成感を小刻みに感じる事で、仕事に熱中できます。さっきよりも「早くきれいに効率的に。」が常に新たな目標になるから熱中できるのです。熱中することで時間が短く感じます。面白いもので、時間が短く感じる体験というのは、その時間間隔とは反比例してとても充実しているように感じるものです。退屈な時は、時間が長く感じる割には、思い返すととても短く感じたりするのです。
人生も小刻みに達成感を感じていきたいですね。今は短く感じても、振り返ったときに充実感がある人生がいいですね。
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