知らんけど

2003年06月16日(月) 口内炎

疲れているのか、口内炎が三つもできて大変です。おいしい食事も痛みとの闘いで味わうどころではありません。摂食障害について勉強をしていますが、食べる楽しみを奪われるとは苦しいことなのだなあとあらためて実感です。

土曜日はUSJに行ってきました。USJってわかります?ユニバーサルスタジオジャパンです。あいにくの雨でしたが、かなりのお客さんの数で、長いところでは90分待ちがありました。やはりテーマパークは楽しいなあ。現実から一日だけ逃避して、つかの間の夢の世界を楽しむことができるのですから。ロサンジェルスのユニバーサルスタジオは最高におもしろかったので、日本のは期待していなかったのですが、日本のユニバーサルスタジオも悪くないですね。

昨日は、バイト先の同僚と十三に飲みに行きました。十三と書いて「じゅうそう」と読むのですが、かなりの下町です。昨日も、そこを行き付けにしている人に大衆酒場なるものに連れて行ってもらいました。育ちのいい私は十三の大衆酒場なんて行ったことがなかったので、すごい楽しかったですね。飲み屋の親父が、客に向かって「てめ〜、こら、安っぽいもん食っとんちゃうわ〜」と食ってかかるし、ビール頼んだら、勝手に店員が飲んでたりするんです。これまでに味わったことのない異空間でした。

さて、口内炎もできてることだし、今日はささっと寝ます。



2003年06月13日(金) 作戦

このところ、「何かしなければ!」という危機感から「○○大作戦」みたいな自分のための作戦を練ろうと考えているのですが、作戦名で挫折気味です。

今のところ浮かんだのが、「作戦 怒りのアフガン」、「作戦 怒涛の追撃」、「作戦 六甲おろし」などというパクリものばかりです。なかなか、自分の気持ちを鼓舞してくれるような作戦名が思い浮かばずに困っています。まあ、作戦名は置いておいて、この作戦で以下のようなことを考えています。

1)スポーツクラブに通って体を動かす。
ストレス解消が主な目的です。最初は合気道の道場に通おうと思っていましたが、新たな人間関係も面倒くさいので、スポーツクラブにしました。ボクシングを使ったエクササイズでストレス解消したいと思っています。それと、大好きな水泳も再開です。酸素を取り入れて頭の活性化も狙っています。

2)勉強を楽しんでする。
今のところ、一つ作戦を既に実行していて、学校である検査のやり方を学ぶためにグループを作って活動をしています。いつも笑いが絶えないナカナカ良い感じの活動ができています。今後は、そうした楽しい学習を自分自身でもしていけるように工夫したいと思っています。ということで、本格的に勉強を始めます。

3)遊びの企画を実行する。
これも一つ実行に移しましたが、今後も続けてやっていきたいですね。前回企画したのは、ビール工場見学+ボーリング大会。盛り上がりました。次回は、座禅体験とか絶食療法体験とかラフティングとか和菓子作り体験とか考えています。自分から動くこと、就職しても大事な意識ですからね。

4)意識の改革
先日、解剖学の権威といわれている先生が来て講演されました。その中で、先日、日記に書いた時間のことについてトーマス・マンの言葉を引用されていましたので紹介します。部屋の中に掲示しておこうと思います。

「生活体験の中の豊富な時間は長く感じ、何もしなかった退屈な時間は短く感じる。」

無駄な時間を過ごすか過ごさないかは、私次第だと心を入れ替えて豊富な時間を作っていきたいですね。

さて、作戦名を考えよっと。



2003年06月11日(水) 疾走

ギターを買ったのは良かったのですが、練習が思うように進まないのです。だから、ギター教室にでも行こうかと思って近くのヤマハ音楽教室を尋ねてみました。

ギター教室はあるにはありましたが、個人レッスン一回30分で月3回のコースしかありません。しかも、お値段が張る!月謝9,500円です。「高っ!」と思ってそそくさと帰ろうとしましたが、受付のお姉さんが綺麗なもんだから、しばらく勧誘されるがままでした。アホんだらです。というわけで、ギター教室を探しています。グループレッスンで月謝安めで、近くが良いんですけどねえ。

最近、学校で今月の欠席率みたいなものを貼り出すようになりました。私の欠席率の高いこと!いいんです。出ない私は悪くない。面白い授業しない先生が悪いのです。まあ、先生のことは別にしても、31歳の人間として、人間らしい生活を行うべきだということも感じています。とにもかくにも学校に行って、授業に出席し先生の目を盗んで出席しながらにサボるという高等な技術を使うことも学生の義務の一つなのかもしれません。ということで、明日からはしっかり行くことは行きます。内職用の本をたくさん持って。

今日は、話しに脈絡がありません。

学校の帰りに電車の一番前の車両に乗りました。久しぶりにこどもの頃に感じた運転手さんを見ているときのワクワク感を感じました。やはり電車の運転はいつ見てもすごい技術なような気がしますね。今日の運転手さんも、あっさりピタッと車両を止めていたので感嘆でした。今からでも電車の運転手になれないのかな?それにしても一番前は気持ちの良いものですね。前の視界がパーッと開けて、疾走していく感覚が気持ちが良いのです。まるで自分が走っているかのような感覚。

何事もやはり一番前で風を受けるのが気持ちが良いのです。風が強いほど風車は良く回ります。風を受けるほど、私達自身も人間としての役割を感じるのかもしれません。風当たりが強いからと行って逃げずに、風に向かっていくと案外気持ちが良いものなのかもしれません。



2003年06月10日(火) 大人を卒業

時間に流されている。最近、そんな感覚が強くて焦っています。朝が来たと思ったらもう夜だし、夜が来たと思ったらすぐに朝なのです。

年を取ったら時間が経つのが早く感じると言われますが、実際にそう感じています。確かにこどもの頃は、学校に行っても遊んでいても時間はとても長く感じました。楽しい時間も、嫌いな時間も、今よりは長く感じていたような気がします。なぜ大人になると時間が短く感じるのか?そうした話しはいろんなところでされいるのでしょうね。科学的に証明されるものなのか大変興味がありますが、誰か研究していたりしないのかな。

まったくもって非科学的な憶測ですが、恐らく大人はこどもほど物事に熱中していないのではないだろうか?ということを思います。何かに熱中している時って、熱中している間は永遠に時間があるような気がしませんか?はっと我に返って時計を見ると意外と時間が経っていなかったりするのです。3時間も4時間もやっている感じだったのに、実は1時間程度だったということ、私は何度か経験があります。

こどもの頃は、そういうことが日常で、大人のように我に返る瞬間なんてなかったですよね。時間に対する概念というか、観念というか、とにかく時間に対してそれほど意識が高くなかった。暗くなったから家に帰るし、眠くなったら寝るという生活でしたしね。こうした無邪気さが大人にはないのです。そうした無邪気さが、色々な経験や知識によって上塗りされて表に出て来なくなったのでしょう。また、大人といわれるには表に簡単に出てはいけない社会にいるのかもしれません。時代という側面もあるでしょう。

私は、無邪気さを取り戻したいと思うのですよ。上塗りしてきた経験や知識という垢をこすり落として、無邪気さを表に出したいのですよ。そして、とにかく物事に熱中していきたいのです。生きる目的とは?なんて考える暇がないほどに生きる事に熱中したいわけです。

もう、大人になる努力なんてしないことにしました。大人はもう卒業です。



2003年06月09日(月) テンション上がらず

月曜日からテンション上がらず、意欲も起きず、寝坊してしまって一時間目の授業をサボりました。サボってもどうってことのない授業というのが寂しい限りです。

2時間目以降の授業も、ほへ〜?というような手抜き授業の嵐で、授業を聞いていてもどんな側面からも面白くなく退屈でした。普段はそうしたときは、教科書や本をじっくり読み込むのですが、今日はそんな意欲も湧かず、ほへ〜としていました。先生達よ、情報が整理された授業をしてくれい。それができないのならせめて余談が面白い授業をしてくれい。

授業が終わってから、梅田の紀伊国屋へ。脳みその画像診断の本を探しに行き、「言語障害の画像診断」という本と、「失語症を解く」という本を購入しました。現在、言語病理以外の本も含めて3冊の本を同時進行で読んでいます。どれか終わらさないと、わけがわからなくなりつつあります。さて、本を探しているとクラスの子がたまたま同じ売り場に来たので、帰りにお茶をして帰りました。梅田のビッグマンの下に「Neko」というカフェがあります。前から行ってみたかったのですが機会がなかったので、クラスメイト連れてそこに行きました。なかなかナイスなカフェですよ。

帰宅後、明日までの課題を仕上げました。脳性麻痺の課題だったのですが、お題が長い!お題だけで指定された文字数の1/3ぐらいはあるのではないかと思うくらい長い!適当に自分の意見を書くだけのレポートなので、30分そこそこで終えた後はまた本を読んでいました。「ん〜、こんな生活でいいのだろうか?」と思いながらも「ま、成るようにしか成らねえや。」と思いなおして今に至ります。

今月からスポーツクラブに通います。後、勉強したくなってきたので勉強します。



2003年06月08日(日) タイトル変更予定

さんかくのしそうというタイトルをやめて、新たなタイトルをつけようかと思っています。ただ、候補さえ挙がっていないのでいつになるかは決まっていません。

さんかくのしそうは、良い悪いとか白黒とか○×とか二つに一つという見方をせずに様々な角度から物事を見ていこうという意味で付けたタイトルなのですが、最近、ちょっとそうした客観的な立場をとる自分の態度に疑問を持ち始めているのです。客観的な視点を持ち、その客観性から自身を改善していくという考え方は大学の時に知った「メタ認知」という概念が最初です。教育学の先生が、こうした視点で物事を見ていくことが大事だと言われていたのが非常に新鮮で、これまではそうした視点を大事にしてきました。

しかし、今、私が大事にしたいもの、それは自分らしさの確立、ありのままの自分で居られることの開放感なのです。そうした自分らしさを発揮していこうとする際に、「メタ認知」は非常に邪魔になります。客観的態度が、自分のすべての態度に対して疑問を投げかけるからです。自分が自分に対して疑問を持つことで、自分らしさが見つかるわけがありません。自分自身に批判的になることで、だんだんと本当の自分がぼやけていくのです。

そうした、今の私の態度を根本から変えて行かなければ、勉強がどうのこうの、遊びがどうのこうのなんてこのサイトに書いても、私自身にとって意味を成さないと感じています。こうした意識改革は下手をすると、私の今の生活を否定する事にもなりかねません。しかし、フルの人生を考えたときに、ここで自分らしさを取り戻すことは損にはならないでしょう。

さて、どんなタイトルにしようかな…



2003年06月05日(木) 失敗こそが生きる道

長居にラグビーの試合を見に行きました。日本代表VSオーストラリアA代表の試合です。日本代表はボロ負け。オーストラリアA代表はフル代表の一つ下のレベルなのですが、やはりレベルが高いです。日本は世界のレベルにはまだ追いつけないですね。やはり体格の違いが大きいのかな... 大相撲から何人か力士を借りたりすればおもしろいのにと素人的な発想で、どうにか日本が強くなって日本にラグビーが浸透しないかなと考えていました。

木曜日は大嫌いな先生で、イヤイヤ学校に行きましたが、何とかやり過ごして、楽しくラグビーを観て過ごしました。阪神も勝ってるし、気分はいいです。

どうも最近ウジウジと考える事が面倒くさくなってきています。理屈っぽいことを考える事も嫌いになってきました。そう、そして好き嫌いをはっきりと言うようになってきています。自分でも驚くほど、「○○が嫌い。」とか「○○は好き。」と言うようになりつつあります。人に対してもそんな感じで、自分自身でもハラハラドキドキです。でも、いいやと思っています。良い意味で「短絡的」に生きていければ、それはそれでかなり刺激的なのではないかと思っています。

理屈よりもやってみること。

そこを大事にしたいですねえ。多少の失敗は成功への近道ですよね。失敗がないことは、同時に何もしていないことを意味すると思っていたほうが良いかもしれないですね。岡本太郎氏は言います。失敗は生きていると実感できる最良の材料だ。と。



2003年06月04日(水) 勉強の環境

今日は学校の帰りに仲の良いクラスメイトとビールを一杯、本当に一杯だけひっかけにカフェに行きました。というか、お茶しにカフェに行ったのだけれど、なぜか二人して生ビールを頼んでいたのですが。なかなか素敵なカフェでしたよ。トランジットというカフェで、雑貨屋さんのシュビドゥビの姉妹店だそうです。茶屋町にあります。

そのカフェで2人で話していたのは、勉強のこと。今日は、学校で二回目の国家試験対策の授業があって、なんとなく2人で勉強しないとね〜みたいな話しが出ていたのです。で、勉強する環境を整えたいねという話しの中で、自分の家では勉強できないよねという話しになりました。意志さえ強ければ、どこだろうと勉強はできるとは思いますが、意志が強くない私達は自分の家以外で勉強できるところはないだろうかと話しました。

図書館とか、カフェとか出ましたが、図書館は閉館時間が早いし、カフェは金がかかるということで却下。そういう場所って見付けられないねという結論で話しは終わったのですが、私の中ではまだまだホットな話題として考えています。貸しオフィスとか借りるとどうなんだろうと思い、ネットで調べてみました。そしたらこんなのがありました。レンタル自習室というものです。これが意外に高いのです。

勉強しやすい環境に必要不可欠なものってなんなのでしょうね。やっぱり意志なのかな。



2003年06月03日(火) さぼる

面白くなさそうな授業は、欠席回数が単位の当落に影響でない程度にさぼることにしています。

どんなに退屈と思われる授業にも、いくらかは意味のあることが言われたり呈示されたりしているのでしょう。けれど、そのいくらかの意味ある事柄を、他の大多数であるつまらない話しや何を言っているかわからない話を我慢してまで探し出す根気がありません。よっぽど、本の方がエッセンスが凝縮されていて楽しいのです。これは私の独断と偏見ですが、面白くない授業は授業料泥棒であると同時に時間泥棒です。

臨床に出て実際に言語聴覚士として働くに際して、こんなに1ヶ所にじっと座って話しを聞いているだけでいいのか?という疑問は拭えません。例えば自閉症の定義だとか診断基準などは教科書を見れば明記してあります。私が居るクラスは大卒のクラスですから、この程度の記述は自分でそれなりに読めるでしょう。それよりも私が必要としているのは、臨床家として実際にどのようなことができるか?という点です。こんなに知識偏重なのは、なんだか知識偏重の頭でっかち言語聴覚士を生み出しそうで恐ろしいです。

また、ただでさえ授業が臨床からかけ離れているのに、国家試験と臨床がまるで乖離している状態なのです。この資格制度問題ありだと思います。

と、まあ、批判ばかりなのですが、私はこうした問題点を踏まえて、自分があるべき姿を見失わないようにただ黙々と自分らしさを貫くだけだと考えています。一般論や枠にはまった考え方などくそ食らえという気持ちで。



2003年06月02日(月) 不思議です

優先座席という座席がどの電車にもあると思いますが、昔からこの電鉄会社の押し付けがましいマナー強要が嫌いでした。譲る人は別に優先座席だろうが、そうでなかろうが譲りますし、譲らない人はどこの席に座っていたって譲らないのです。

昨年の途中から、阪急電車で家から大阪まで通っています。阪急電車は去年から、「全席優先座席」ということを始めました。押し付けがましさは残りますが、この考え方の転換には脱帽でした。この席では譲らなくてもいいとか、譲るべきだとか、そんなややこしい一般小市民の言い訳をばっさりと切り捨てたわけです。ここまでばっさりやってくれると気持ちの良いものです。[阪急電車]

全席優先座席になっても、私は譲らなければならないと思って譲る事はありません。疲れているときは座って帰りたいですし、しんどいときは年寄りではないけど席譲って欲しいとも思います。ただ、私の場合、「この人立ってるのしんどそう、しかも他に誰も席を譲る気がないな。自分も別に立つの平気だし。」と気付いたら席を譲ります。これは別にモラルがどうとかこうとか言う問題ではなくて、私の人間性の問題です。

モラルという話なら赤信号の話しもあります。私は左右を良く見て、車が来ていないなら堂々と渡ります。でも、先日、東京から来た友達はそれを見て驚いていました。横断歩道の渡り方に地方性などないと思うのですが、こうしたことって意外とあるようです。私は、しーんとした交差点で一人ぼさっと立っている感覚がよくわかりません。後、私が嫌いなのが「車内での携帯電話のご使用は...」という放送です。別に携帯電話でなくても大声で話しているおばちゃんや中高生は他の乗客には耳障りですよ。なぜに携帯だけがピックアップされるのかはよくわかりません。大声禁止とかならわかるけど。車内放送で宣伝流すほうがよっぽどうるさいです。最近、JRでも阪急でも車内放送で宣伝するのが増えています。関西ならではなのかな?世の中、私には良くわからない感性でいっぱい。なんだか不思議なことばかりです。


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