さんかくのしそうというタイトルを変更しようかと考えた事もありましたが、タイトルは残したままにして、ホームページの使い方をちょっと変えていこうと思っています。
とりあえず、なんとなく気持ちの変化をそのままトップページに反映してみました。と言っても、かなり中途半端な状態です。暫定のトップページということでご了承下さい。どんなホームページとして変えていきたいかということを検討中です。これまでは自己表現の場として利用してきましたが、その範囲を広げていきたいなと考えています。ただ、やることが増えて更新が滞るということは避けたいので、何とか労力のかからないものにしていきたいと考えています。
ホームページのあり方を変えるにあたって、やはり柱になるものを据えないといけません。私が今楽しくやっていること、すきなことなどを中心に柱を組んでいくつもりです。やはり、基本は日記になるのでしょうけれどね。まだ、具体的な方向は見えてきませんが、単なる記録ではなく、そこから何かのヒントが生まれるような使い方ができればと考えています。
だらだら書いてしまいました。何だか最近書く意欲が湧きません。と言って書かないといつまでたっても書く意欲なんて湧きませんから、だらだらでも書いておきます。
ちょいと、書く意欲をなくしまして、ここのところ書いていませんでしたが、順調に生きていますのでご安心を。
さて、明日から七月です。先日、アルバイトも最終出勤となり、今後は土日はフリーとなりました。フリーとは言っても、土曜日に授業が入る日が多く、たいして変わりはありません。さて、明日の七月から気持ちを入れ替えて頑張りますよ。頑張ると言っても好きなことをやるだけなんですがね。あ、後、嫌いなことはできるだけしないというのもあります。
どちらにしても、最近、すべての面で乗ってきていますので、ここらでリズムを作っていきたいですね。松井と同じです。夏からが勝負!
一頃に比べるとだいぶん勉強に対して前向きになってきました。普段の生活の中でも、フィットネスクラブを始め、前向きにそして積極的に取組めるようになってきた今日この頃です。
最近、グループでの課題が多いのですが、できるだけ率先して自分がやるようにしています。別にリーダーシップを発揮するわけではなく、とにかく自分から動くということを大事にしています。グループのためというよりは、自分のためですね。それによってだんだんとメンタル面は刺激を受け始めています。本格的に動き始めて、家でもだんだんと勉強時間が増えてきています。ポイントは、イヤイヤやっていないということです。楽しくできること。それがなければやる意味はありませんからね。意欲がなければ学びも気付きもありません。
グループでこうしてやっていると、何にもしない人って出てきます。何の役にも立たない人、いざという時に度胸のない人、結構、そういう人多いのですね。私は見栄っ張りですから、そういう人がいると「俺が全部やる!この腑抜けめ。」と思ってしまうタイプなのです。最後の「腑抜け」は余計だったかな。まあ、そうした私の性格もあって、グループの中で自分から動くということは大変な刺激になっています。
さて、明日は授業。そして、日曜日はバイトの最終日です。働いているホテルの経営母体が先日倒産しまして、先月の給料をまだもらっていません。手渡しで支払っているようですが、私のところには何の連絡もない。こんなずさんなことやってるからつぶれるのです。世の中、良くわからない人、組織が良くも存在できるものだなと感心するばかりです。まあ、人それぞれありますから、私にはわからない苦労をしているのでしょうけれどね。だから?という気もしますが...
今日は、夜から頭痛がひどい。
フィットネスクラブに正式に入会しました。その帰りに駅の改札口の横にあった本屋さんで、2冊の本を購入しました。1冊は本と呼べるのかどうかもよくわかりませんが「アマデウスの魔法の音 集中力」と呼ばれる怪しいものです。もう1冊は「好きなことだけをして生きていける人はここが違う」というこれまた怪しい本です。
たぶん、先日のフィットネスクラブの体験で、心身ともに相当に疲れていたに違いありません。こんな本を2冊も買うなんて... と思っていましたが、この2冊が意外と気に入りました。「アマデウスの魔法の音 集中力」の方は、実際にモーツァルトの音楽が入ったCDがメインで、それを聴けば集中力が高まりますよ〜というウソのような本当かどうかがわかりにくいものなのです。しかし、クラシック音楽などまるで聴かない私にとってはこれが新鮮。帰宅してからリピートでモーツァルトを聞きっぱなしです。意外と効果あるんじゃないの?と思いました。なぜなら、勉強しようって気になったし、もう一冊の本も読んでしまいましたから。
というわけで、もう一冊の本「好きなことだけをして生きていける人はここが違う」読みました。これがナカナカ嬉しい本で、岡本太郎氏の本以来、なぜかこういう自分らしく生きようぜ!的な本に出会うのです。いつも漠然と自分は孤独だなと思う瞬間があるのですが、この本によれば自分らしさを追求してやりたいことをやっている人、あるいはやりたくない事はやらない人は孤独な傾向があるらしいです。で、好きなことだけをして生きるには、その孤独さえも楽しむ覚悟が必要だとありました。うん、そうなんですね。しかし、近頃の私は孤独を楽しめないのです。なぜか、周りの目を気にしたりする。自分らしさと言うのを失っているのかなあって本を読みながら感じました。
しまった!と後悔した本の買い物でしたが、実に面白い本だったのでラッキーでした。私はやはり今回の本とか岡本太郎氏にあるような、かけがえのない自分らしい自分だけの人生送りたいですね。
今日は長い一日でした。朝起きて部屋の片付けの続きをして、色々な雑用をこなして、お昼は友達と一緒に梅田で取りました。授業まで時間があったので、学校のラウンジで心理測定法の勉強。授業を受けて、SLTAという失語症の検査のビデオ撮影をして、そのままフィットネスクラブへ。今日は始めてエアロビのようなことをするクラスに入って踊りましたよ。本当はミットを叩くようなファイティングスタイルのエクササイズかと思っていたら、格闘技系の動きを入れたエアロビだったのです。
充実した一日は長く感じるのですね。こどもの頃のような熱中している気分がよみがえってきました。さて、ちょっくら心理測定法の勉強をして寝ようかな。
作戦『この弱虫ヤロ〜!』は順調に進んでおります。
さて、今から部屋の片付けを始めます。脱ぎ散らした洋服を洗濯し、洗濯し終わった洋服をしまいます。散乱した本類は書棚にちゃんと戻します。ゴミはゴミ袋を一つにまとめてゴミ収集場所に出します。最後に軽く掃除機をかける予定です。
大体の掃除はここで終わりですが、今日はここからが本番です。机の上に散乱しているプリント類をしっかりと分類しなおす作業まで行います。
前から思っていてナカナカ行動に移せなかったのですが、こうした整理ができていない状況では気持ちも乗ってこないのです。整理された部屋の整理された机を見れば、「勉強しよっかな。」という気持ちにもなるはずなのです。大胆な改革なんて叫ばなくても、問題の根源は意外と足元にあるのかもしれません。当たり前のことが当たり前にできていないのに、案外、そうした当たり前のことが目に付きません。自分の手にメガネを持ちながら、メガネはどこ?と探しているようなものなのかもしれません。
世の中にはそうしたことがたくさんあると思います。当たり前を当たり前と思わずに疑ってみる事で大きな問題が解決することがあるのではないでしょうか。
まずは整理整頓、そして掃除から。
新梅田シティにある人口森の中に蛍が放し飼いにしてあるのを見に行きました。ひっそりとした森の中に情緒ある光が待っているのを楽しみにしていたのですが、そこは人込みでした。
まあ、みんな同じような期待を抱いて来ているのでしょうけれど、まったくもって情緒のかけらもない蛍見学でした。それにしても、私も含めてなぜ蛍なのでしょうね。都会に住んでいる私達は、蛍をわざわざ見に行くのです。なんだか、蛍を一生懸命に探す、自分や周りの大勢の人達を見ながら不思議な感じになりました。
昔、中学生の頃に広島は庄原市というところに住んでいた事があります。広島市内から芸備線という電車に乗って、中国山地の山の中へ約2時間。そこは自然溢れる小さな町でした。西条川という川には、季節が来ると鮎が自然に泳いでいるようなところです。私の家は、その庄原市内の中心地にありました。家から少し歩くと住宅地の中を流れる、いわゆるどぶ川に蛍が飛んでいました。どぶとはいえ、とてもきれいな水が流れていたのでしょうね。子ども心に、自然に蛍が飛んでいる光景が不思議でした。なぜなら、広島に越す前に住んでいた東京では、蛍祭りという蛍を籠に入れて持ってきて、等々力渓谷というところで蛍を鑑賞するという祭りをわざわざやっていたのを毎年見ていたからです。
田舎では普通の光景が、都会では祭りなのです。私が小学生だった頃に比べると、都会に自然が少なくなったような気がします。昔は大阪でもその辺にツクシなどが生えていたのに、最近では滅多に見なくなりました。私が意識していないだけなのかもしれませんが。
いずれにしろ、都会にいると五感で感じる機会が減っていく事は確かなようです。人間としての感覚がこうして鈍くなっていくのでしょうか。都会の人もそれとなく感覚が失われていっている不安があるから、わざわざ蛍を見に行くのかもしれません。蛍を見に行くことも含めて、これからも感覚を研ぎ澄まして、人間らしい感じ方を維持していきたいものです。
フィットネスクラブに通い始めました。目的は、以前にも書いた通り「ストレス解消」と「頭の活性化」です。しかしまあ、実際に行ってみると、「お腹を引っ込ませたい。」「姿勢を良くしたい。」などなど、現実的な欲望が前に出てくるものです。腹筋背筋を中心に軽く筋トレしました。それからプールで泳ぎました。
調子に乗って内股の筋肉をつけるマシンを使ったのですが、これがひどい筋肉痛に。歩くたびに内股が痛くて、妙にがに股になってしまいます。葦の筋肉も落ちてるのだなと実感。平均的な男子に戻るべく、今後も頑張ります。
土曜日は久しぶりのフリーな一日。ダラダラ過ごしています。本当は部屋を片付けて、心機一転と行きたかったのです、内股が... 2時ぐらいには出かけてパソコンを見に行くつもりです。勢いがあれば購入まで行くかもしれません。しかし、毎回大きな買い物には優柔不断な私のことですから、売り場をうろうろしているかもしれません。梅田のヨドバシカメラのVAIO売り場でうろうろしてる怪しい人物を見つけたら私だと思ってください。
2003年06月18日(水) |
作戦 この弱虫ヤロー |
昨晩は色々と考え事をしていて眠れませんでした。眠い目をこすりながら今日も学校へ。当たり前のことなのですが、先週の木曜日からもう学校はサボらないと心に決めてどんなにしんどかろうが通うことにしています。
先日、日記に書いた作戦ですが、作戦名が決まりました。「作戦 この弱虫ヤロ〜」です。これは名前自体、直接心を揺さぶるようなものではありませんが、これを誰かに言われていると思って小声で自分につぶやいてみると、これが意外とむかつくのです。自分で自分に「この弱虫ヤロ〜」と蔑んで言ってみると闘争心に火がつくのです。「なんだこのヤロー!」状態になれるのです。
結局は自分との闘いなのです。どんな闘いでもそうですが、お互いの闘争心に火がつかないと闘いとしての意味はあまりありません。自分との闘いとは、弱い自分と理想の自分が戦います。弱い自分に闘争心をたきつけるには、やっぱり現実を突き付けてやるのが一番です。そこに、「この弱虫ヤロ〜」作戦の意味があります。やろうと思っている事ができないのは、「面倒くさい。」とか、「だるいなあ」といっている弱虫の自分です。もし、自分でやろうと思ってる事ができないのなら、本当の弱虫になってしまいます。なんていっても、弱虫ですよ。そんな風に言われるのは小学生ぐらいまで。大人がそんな言われ方される筋合いはないのです。
やりたいことをして生きていけばそんな楽なことはないのでしょう。やってみないとやりたいかどうかがわからない事も世の中にはたくさんあるようです。まずは、やってみるためのきっかけを作る事、私は地道に「作戦 この弱虫ヤロー」を実行していきたいと考えています。
この弱虫ヤロー
あ〜、むかつく。
甲子園にタイガース戦を観に行きました。結果は、阪神のさよなら勝ち。今年の阪神はやはりこれまでとは違いますね。観客も大騒ぎでした。
野球は大好きなのですが、応援の仕方を観る度に、面白い国民性だなって感じる事があります。みんなが一丸となってチームを応援するのは楽しいことですが、ふとそこに個々人の寂しさを感じたりするのです。と言うと、野球ファンの方に怒られそうですが、私自身も一野球ファンとして敢えて言ってみます。野球を通して日本人の国民性を探るみたいな。
昔、オーストラリアに住んでいた時に、ある友達がエホバの証人の信者でした。ある時、エホバの証人の大会があるから一緒に来ないか?と誘われました。宗教に興味を持った時期もあった私は、エホバの証人という宗教がどのような宗教かは理解していましたし、誘ってくれた人もかわいい女性の友達だったということもあり、一つ返事でその大会に行ったことがあります。そこはラグビーの試合が行われる大きなスタジアムでした。そして、そこで集まった人々が一斉に旧約聖書を開き一斉に音読し始めました。音読が一通り終わると、今度は歌を歌います。約四万人の信者が一斉に同じことをするのです。
その誘ってくれた女性が、その合間に私に囁きました。「これだけの人が同じことを信じて、同じことをしてるってすごいと思わない?」と。言われた私は鳥肌が立っていた事を思い出します。これだけの人が同じことを信じ、同じことをしているということをすごいと思う彼女に対して鳥肌が立ちました。なぜなら、私はそれが「怖え〜。なんだこれ?」と思ったことだったからです。宗教とはこういうものなのか。と妙に納得した思い出があります。
甲子園で野球を観ていると、そのときを思い出すのです。宗教が人々に生きる目的や意味を与えているのと同じように、阪神ファンも阪神という野球チームから何かを求めているのではないかと思ってしまいます。そういう不思議な空間なのです。
さあ、阪神に神は宿るのか?これからの残りのシーズン楽しみですね。
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