知らんけど

2003年08月26日(火) 甥っ子手なずける

 「実践!感想文」と「実践!やってみよ」をBlogの方に移しました。Blogの方は、とりあえず「快楽主義なのだ!」という怪しいタイトルにしてみました。Blogを使っていて、日記という形態にも限界あるし、Blogにすべて移してしまおうかどうか迷っています。でも、さんかくのしそうも残しておきたいのです。

 Blogは主義・主張・思考を中心にして、さんかくのしそうは日常の出来事中心にしてもよいかななんて思っていますが、さて、ちゃんとした線引きが出来るかどうか...ちょっと時間かけて考えてみます。Blog止めてまた戻すかもしれませんし、まあ、気分次第です。

 今日は、朝からギャ−ギャ−泣き叫んでいた甥っ子の声で目が覚めました。どうも母親(私の妹)が仕事に行った際に、「お母さん行かないで〜〜 ウギャ〜!!」という事だったようで、眠い目をこすりながら部屋の外に出ると、オムツ一丁で玄関先で泣き叫んでいる甥っ子を発見。「朝からまったく...」と思ったのですが、そんなに母親を追いかけたいのなら、納得いくまで追いかけさせてみればいいじゃんと思って、「お母さん、探しに行こうか?」と言ってみると、ピターッと静かになり、そそくさと洋服を着始めました。

 で、もう近所にはいるはずのない母親を追いかけて、眠気まなこの私31歳と泣いた後で顔がぐちゃくちゃの甥っ子2歳が、通勤通学でごった返す駅前まで手をつないでテクテク歩いていったのです。ひとしきり歩いて気が紛れたのか、途中で買い与えた缶ジュースが嬉しかったのか、機嫌はすぐになおり帰宅したのでした。「俺ってなかなかこども扱いいけてるじゃん。」と思いながらも、変に疲れた朝でした。

7時半起床。
甥っ子の相手。
学校で嚥下障害勉強。
マンガ喫茶で「Dr.コトー」の3・4巻読む。



2003年08月25日(月) 何が表現したいのか?

10時に起床。
学校に行く。
自閉症のレポートを完成。
嚥下障害の勉強。
ヨドバシカメラでブラブラ。
マンガ喫茶で「Dr.コトー」を読み始める。(面白い!)
Blogの使い道をダラダラと考える。
掲示板を探す。

言語聴覚士関連の掲示板を作り直そうと思って、レンタル掲示板を物色しましたが、なかなか思い通りのものがなくて断念。ログ保存が無制限で携帯からもアクセスできるものがいいなと思っていましたが、デザイン面や広告表示の仕方などで満足できませんでした。色々とやってみたいことはあるけれど、やっぱりCGIの扱い方勉強しないとやりたいようにはできませんね。

今、ネット上で興味深々なのがBlog(ブロッグ)です。アメリカで爆発的に増えている個人情報発信サイトです。日記を中心にしたホームページと何が違うかと言うと、Blogを作る際にHTMLの知識が要らないということと、ビルダーのようなホームページ作成ソフトを必要としないことでしょう。それと、書いた記事にカテゴリーが振られて、半自動的にすべての記事がカテゴリー化されたり、他のBlogにある似た内容の記事にリンクが貼れる(Track Back)というすごい機能がついています。

まあ、これまであった個々の機能が一つの形にまとまったものと考えれば良いと思います。ちょっとこのBlogを何か活用できないかなと考えています。よく考えてみると、私が情報を発信できるような立場の人間ではないということが一番の問題です。言語聴覚関係のBlogをと思ったりしましたが、ん〜、何を書けば良いか分からない。沖縄について書いてみようかと思っても、実はあんまり良く知らない。ちなみにこんなの(→Blog)作っては見たものの思案中です。さんかくのしそうを丸々移管するのもありかな。

このサイトも含めて、ん?自分は一体何を表現したいんだろう??って考えてしまいます。



2003年08月24日(日) 怠けた週末

9時に起床、2度寝してしまい11時に完全起床。
部屋の片付けをぼちぼちする。
ギター、ジャグリングの練習をぼちぼちする。
4時ごろから近くのドトールで読書&勉強。
今日は嚥下障害の勉強。

なんとも怠けた週末でしたが、今までみたいに怠けたことに対しての罪悪感は感じませんでした。気持ちの盛り上がりは好調で、なんとなく生活自体に楽しさが出てきたよう気がします。

とにかく生活の瞬間瞬間を一つ一つ楽しもうと思うことがいいのかもしれません。努力というわけではなく、「いいじゃん。ありのままで。」とふと肩の力が抜ける瞬間が増えてきたということです。

まだまだ、もっと楽しくなる要素があると思いますし、貪欲に「快楽」を求めていきますよ。「快楽」を求めるための努力は怠りません!

TOPページにも書きましたが、アール・クルーのライブに行きます。一緒に行きたいという人がいれば、是非連絡して下さい。ちょっと高いですけどねえ。スムーズジャズギタリストの代表的なアーチストです。



2003年08月23日(土) 二つのことば

9:30に起床。
起き抜けにテレビ(あさパラ!)を観る、というか眺める。
甥っ子と遊んだりして過ごす。
15:30頃に散歩がてら最寄の図書館に行く。
図書館では、自分で「あるがままの生き方」というテーマを設定し約20冊を選んで片っ端から斜め読みする。
ブラブラと散歩しながら帰宅。
なんとなくボーッとしながら過ごす。

斜め読みした本の中からオッと思ったことばが二つありました。

1、『Enjoy yourself!』

 この本の筆者がアメリカに行った時に、ホテルのビーチサイドでボーッとしていたそうです。昔から祖母にギチギチの教育をされてきた筆者は、そういうボーッとしている自分に対して罪悪感を覚えたそうです。立ち上がって部屋に帰ろうとしたちょうどその時、アメリカ人のご婦人がやって来て筆者に「Feeling good?」と話しかけてきたそうです。英語のわからない筆者は、その後何を言われたのか分からなかったそうですが、ご婦人が最後に「Enjoy yourself!」と言って去っていったそうです。筆者は、なぜか涙が止まらなかったといいます。

 Enjoy yourself!という表現。この筆者の心境において、このことばは深いなあって感じました。日本語に直訳すれば「楽しんでね!」ということばにしかならないのですが、実はyourselfがつくことによって意味がとても深まります。英語ならでは表現でしょう。「自分で楽しみを見つけてね!」というニュアンスも感じられるし、「自分自身を楽しんでね!」というニュアンスにも感じられます。どちらにしても、自分を飾らずに素のままであることが楽しみの条件であるというニュアンスです。私も、Enjoy myself!しよっと。


2、『快感』

 脳に関する本を数種類読んだのですが、いくつかの本に「快感」ということばが出ていて興味が湧きました。いずれの本も、人間の脳は常に「快感」を求めているのだそうです。そして「快感」こそが生きる力なのだとまで言いきっていました。「快感」が感じられないと人間は生きる気力をなくすそうです。確かに、どんなことでも楽しくやりたいし、心地好さを感じながら生きたいですよね。我慢することで何かが得られるのも快感ではありますね。我慢して得られると思っていたものが得られないと、とても不快ですが。とにかく、人間は、というか人間の脳は常に「快感」を求めているそうです。

 単純に「楽しく生きよう。」「気持ち良く生きよう。」って思いを深めましたね。あと、「生きる事は楽しい。」って生きるという前提を「快感」として脳に入力すれば、生きている間に起こる大抵の事は楽しいって思えるんじゃないでしょうかね。それと、すべては「自分のため」だと思うことが、「快感」を簡単に生み出す方法じゃないかとも思いました。みんな本当はすべて自分のためなんですよ。そう思うとなんだかすっきりしてくるんですよね。このすっきり感も「快感」なんでしょうかね。



2003年08月22日(金) 時間が足りない

7時半に起きて読書。
9時頃から洗濯。
10時過ぎに家を出て学校へ。
学校では自閉症のレポートをする。
4時ぐらいに学校を出て、スポーツクラブへ。

そんな感じ。
一日って短いなあ。
時間が足りないです。

明日は土曜日かあ。
毎日が日曜日みたいな夏休みだからあまり関係ないけど。
学校で勉強できないのは残念です。
サイトの更新でもしようかと思います。
晴れればデジカメ持って散歩でも。

昨日、ふと思いました。
患者さんにQOL(Quality Of Life)=「生活の質」の向上を促す前に、自分自身のQOLが高くないと言語聴覚士なんて偉そうに言ってられねえなと。

自分自身の生活の質を上げようっと。



2003年08月21日(木) わかってもらえた

夏休みに入ってからの普段の生活と変わることのない朝を迎えました。多少、いつもよりも早く起きたのが違うくらい。

学校へ行っていつものように勉強をしていたのですが、夕方にある先生がフラフラと私の勉強しているところにやってきました。「どうや、最近の調子は?」という質問から始まり、30分ぐらい話し込んでしまいました。先生が最近興味を持っている事、これから研究したい事などを話していたのですが、最後にひょんな事から私の沖縄移住の話しが出ました。先生はびっくりされていましたが、「お前、思いきったなあ。それもいい人生かもしれないな。頑張れよ。」と肩を叩いて去って行かれました。

これまで色々な人に沖縄移住の話しをしてきましたが、今日はなぜかとても嬉しく感じました。一番、私の意図していることを汲み取ってもらえたような気がしたのです。もちろん、ただ沖縄に行きますだけではなくて、そこに至った経緯なども話しました。その話しを聞いてもらった時に、今までにないうれしさを感じたのです。「ああ、この先生、俺の思ってることを理解してくれたな。」と。

他人の気持ちを推し量ることは容易なことではありません。今までも、完全に人の気持ちなんてわかるはずがないと思ってきました。それはそれで間違ってはいないと思います。しかし、問題は話している相手が、どう感じるかということなのです。先生が、完全に私の気持ちをわかったかどうかを確認する手段はありません。でも、私はこれまでにない「わかってもらえた感」を感じたのです。そして、それは喜びだったし、頑張るぞというモチベーションにもつながりました。

わかるわからないの問題ではなく、わかろうとする態度が人の心を動かすのかもしれません。



2003年08月20日(水) 老健見学

テレビからは「目覚ましテレビ」、ステレオからはAC/DCのハードロック、携帯電話からはサザンの着メロ、クーラーは冷気を吐き出す。

今日は、朝から介護老人保健施設に見学に行くために朝7:00に起床。でも、最近11時ぐらいまでガーガー爆睡している人間にとって、7:00はまだ夜中。という訳でタイマー設定ができるすべての機器を7:00に動き始めるようにセットしました。しかも、携帯を始め、テレビ、ステレオ、エアコンのリモコンを部屋の隅々に離して置いたので、一斉に機器がうるさく動き始めたら、機器を止めるのに部屋中をかけずりまわらなきゃいけないのです。一発で目が覚めました。これはお勧めの方法です。

介護老人保健施設、業界っぽくいうと「老健」、で言語聴覚士の仕事振りを見学してきました。言語聴覚士が働く場は他にもいくつかあります。病院、施設、学校、保健所、開業などといった場などですが、「老健」は、ここでいう施設にあたります。施設には他に、「特別養護老人ホーム」(特養)というものがあり、「老健」とはちょっと違う基準で老人が入所する施設になっています。その違いについてはこちらをご覧下さい。(all about japan:特養と老健の違い

なんだろうなあ、とても不思議な空間でした。やはり痴呆老人の方が多くて、家族では面倒見きれないから施設に預けられているようで、ことばは悪いですが「現代の姥捨て山」そんな感じでした。施設の職員の方は本当に誠心誠意、こころを込めて働いていらっしゃるのはよくわかるのですが、やはりあれだけ老人がいるとどうしてもルーチンワークになってしまうんですよね。流れ作業のようにレクリエーション→訓練→お風呂→体操→食事と流れていく老人を見ると、個々の老人の方は何を感じているのだろう?って思いました。スケジュールが決まっている方が良いらしいとは言えです。特に痴呆が進んでしまった方々の考えていることは計り知れません。

言語聴覚士は、入所されている方の失語症の訓練、通所で来られる方の構音訓練や嚥下訓練を行われていました。「てんやわんやで忙しい。」と言語聴覚士の方は言われていましたが、私から見ると、とても余裕を持って訓練されていました。午前中だけで5人の方の訓練をされていました。やはり同じ言語障害をお持ちの方でも施設に入っている方は、あまり回復の可能性がないので現状維持の訓練になるようです。人と会話する機会も減りますし、とにかく刺激を与えることだけでも訓練としては大事なことなのでしょう。

このところの勉強の知識が、現場のイメージとピピッと繋がって、何だかワクワクしてきた一日でした。さて、明日も7:00起床をキープしよっと。できるかな...



2003年08月19日(火) やーめた

一回書いた日記でしたが、なんとなくやっぱり素直に書いていないので書きなおします。

とは言っても、結局は同じ内容なんですけどね。朝起きて学校行って勉強したというのが大枠で、新しいノートパソコンでなんか楽しく勉強が進んで、行きと帰りの電車の中で沖縄関係の本を読んで面白い!みたいなおまけが付くぐらいかな。(沖縄ナンクル読本は沖縄に移住を考えている人には面白いエッセイ集ですよ!)

昨日の日記は文体が違うことに気付かれましたか?昨日は昨日で、あのような文体で書きたい気分だったので、ちょっと堅め?の文体で表現してみました。色々な文体というのがあって、その文体によって色々な個性の表現のし方ができるわけです。人に読ませる文章を書くならば、そうした文体を考えなければいけないのかもしれません。でも、私はあまりこだわらないことにしました。こだわった時点で、本当の自分の考えや気持ちを自由に書くことができなくなってしまうような気がしたからです。

こうして公に文章を書くからには、読者の視点を意識する責任があるという方もおられるでしょうけれど、ん〜、別にお金いただいているわけじゃないし、私のありのままの表現を愉しんでくれている方もおられるでしょう。じゃあ、今までと同じでいいじゃん。ということになったのです。今日の日記も、昨日の文体にならって書きましたが、全然素直な表現ができないのでこうして書きなおしています。

何か得体の知れない価値観に、無意識のうちに縛られてることってあると思います。文章ひとつ書くのをとっても、色々あるんでしょうね。私は、気にしないことにしました。



2003年08月18日(月) 滑稽な人生

一度は八時半に目覚めたのに、「もう起きなきゃなあ。」と思ったのに、結局起きてみれば十一時半。爆睡。なぜ、遅く起きることに罪悪感を感じなければならないのか?夏休みだし、別に悪い事をしているわけではないのに。本当に早く起きたいと思えば起きるのだろうし、別に起きる必要性がなければ遅く起きればいいという単純な話だと思う。恐らく何か早く起きる事を美徳とする価値観に縛られているから罪悪感を感じるのだろう。

そうした罪悪感を感じながら起きた朝はさほどいい気分ではなかったが、それを振り払いたいのもあって、朝食(昼食?)も取らずにそそくさとシャワーを浴びて学校に向かった。電車の中では、むしゃくしゃしていた気分を振り払うためにメモ帳を取り出して前向き思考を呼び起こすためのことばを書き連ねて、むしゃくしゃした気分を振り払おうとしてみた。「今日も明るく行こう。」「楽しくやろう。」と自らに暗示をかけてみるが、そんなことをしている自分を客観的に見る自分がまた別のところにいて、「お前怪しい宗教家?」と頭の中で話しかけてきて暗示どころではない。

何が、そんなに気分を落ち込ませるのか?この日記でも自分を鼓舞するために色々ときれい事を並べてきたが、なぜそんなに必死になってきれい事にこだわるのだろうと考えると、意外とそれに対する答えはない。昔の調子の良かった自分に戻りたいという気持ちなのか?いずれにしろ必死になって自分の心をコントロールしようとして、まったく自分に無視されている自分が滑稽だ。

学校のラウンジで、宿題として出ているレポートをやり始めた。なんとなく方向性だけつけたが、後は喋ったり、食べたり、寝たり。「怠惰な人間」という立て看板つけて見世物にしたら意外と面白かったかもしれない。それぐらい典型的なだらけぶりだった。人間の本来の姿といえばそうなのかもしれないから、まあ、後悔はないけど。

帰りにまた本屋に寄った。「また」というのは、ここ最近毎日のように本屋に立ち寄るからだ。ずっと感じている生活上の閉塞感に対する特効薬が、本屋に行けばあるかもしれないと期待しているのだと思う。そんなの無いのわかっているのに。で、誘惑たっぷりのタイトルが並ぶ「自己啓発」「心理学」の書棚に向かってしまう。しばらく本を吟味するが、「やっぱり本じゃ本当の答えは見つかんねぇ。」と思いなおして本屋を出る始末。心は空虚。なんだか満たされない。その満たされない気持ちが、なぜか性欲に転化されてしまって、帰りの電車の中で女性を見ては「やりてー。」とか「彼女が欲しい。」とか、まるで動物のような気持ちになってしまう。まあ、動物だから仕方がないけど。

あるべき姿にとらわれている自分。自分で自分を首締めて苦しんでいる自分。それを1歩下がったところからみて嘲笑している自分。何だか滑稽な人生だな。



2003年08月17日(日) 口のきき方

妹が次から次へとパソコンに関して質問をしてくる。英会話を学んでいる母親が、英語が喋れる私に英語のことを色々と聞いてくる。世の中、やたらと無神経な質問をしてくる人が多くないでしょうか?

私は、自分でパソコンをやってきました。あーじゃないか?こーじゃないか?と自分で試行錯誤しながら覚えてきました。英語に関しても自分の積極性や絶えぬ好奇心が会話力を高めてくれました。マニュアル見れば済むことや、辞書を調べればわかることを人に聞いたことなんてあまりありません。でも、自分で考えたり調べることを普通だと思っていない人が世の中にはたくさん居て、そういう人達と一緒に働いたり生きていかないといけないとはまったくもって面倒くさいのです。彼等が自分達ではどうにもできないんだという老人や子供とかだったら話しは異なりますけど。

質問すること自体はとても大事なことです。質問するには疑問を持たなければなりません。そして、疑問を持つとは、物事に対して深い関心を持っていなければできないことがほとんどです。そうした好奇心旺盛な人と話すのはとても楽しいし、質問される側だって色々な発見があるのではないでしょうか?しかし、質問にもレベルがあると思うのです。自分で考えた挙句の果てにやはりどうしてもわからなくなって人に聞くのならそれはとても価値のある質問でしょう。でも、何の調べもなしにいきなり質問してくるのはとても失礼に感じるのです。

たまに調べる手間も要らないようなことさえ聞かれたりしますが、そうなるともう開いた口がふさがりません。感情を顔に出すタイプの私は、如実に嫌な顔をします。汚いことばで申し訳ありませんが、「自分で考えろ、ボケ。」と思ってしまうのです。社会人の時には、新入社員にこれを言ってしまい、泣かしてしまったこともあります。こんなことで切れてしまってはいけないのでしょうけれど、自分の仕事が忙しい時や、自分の時間を楽しんでいるときに、本当に何の工夫の後も感じられない質問をされると切れてしまいます。

後、こちらが知っていて当たり前みたいな口調で質問されるのも困ります。こちらが答えられないと、「なんだ知らないのか。」みたいに言われるのがとても嫌ですね。またまた汚いことばで申し訳無いのですが、「俺はお前の辞典か、ボケ。」「俺の時間と労力をこんなことで無駄にしやがって、金払え、ボケ。」と思ってしまいます。加えて、「お前は一体何様じゃ?ボケ。」とも思います。本当に汚いことばの羅列で申し訳無いのですが、最近、こうして思ったことを口に出す事が多くなってきました。耐えられないのです。挙句の果てに、こういう質問をする人は言います。「冷たい。」「やさしくない。」

私が教える仕事をしているなら答えますよ。「あ〜、君にはこんなのもわからないのね。じゃあ、手取り足取り教えてあげますよ〜。」ってな感じで。

誰か特定の人に対してではありませんが、自分でパソコン買っておいてアホみたいな質問してくる妹と、たくさんの教材に囲まれて英語を勉強することに生きがいを見出そうとして、それを見せびらかすために私を使う母への愚痴でした。


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