昨日は、帰りも遅くて異常に疲れていたので、何にもせずに寝てしまいました。今、病院の控え室でこっそり更新中です。
いよいよ、二週間を切ってさすがに気持ちはうきうきです。「早く終わって欲しい。」というのが正直な気持ちですね。沖縄がどうのこうの言う前に、私は実はさびしがり屋なのかもしれません。(今頃気付くなって感じですが。)
その昔、私がまだ19歳の頃、オーストラリアで一緒に暮らしていた日本人の友人が、「たけちゃん、たけちゃんはさびしがり屋だろ。間違いないよ。」と言っていました。19歳の私は、今よりもプライド高いし、さびしがり屋さんなんて呼ばれて「そんなことないよ。一人でも平気だよ。」なんてむきになって言い返していましたが、今となってみれば、ただの強がりでした。
しかし、それからも強がってきました。今でも、強がらないわけではありません。やはり、30いくつにもなって「僕ちゃんさびしい。」なんていえないわけで、こうしてひっそりとホームページに書くのが関の山です。
しかし、さびしがり屋であるということを自分自身の中で認めることで、じゃあ、自分にとって大事なものは何か?ということをもっと素直な気持ちで考えることができるようになったと思います。お金以上に、名声以上に自分にとって大事なのは、自分を理解してくれる近くの人なのです。
やるべきことを先延ばしにしてブルーになっているところです。昨日、ウロウロしてきた時の写真です。
 (左)伊佐〜普天間、米軍基地と北谷を望む。(右)美浜ビーチにて。
さて、先延ばしした課題をはじめることにします。
2003年12月06日(土) |
「私」が社会を形作る |
ここのところ、「私であることとは...」という視点で日記を書いていたら、反応が多くて喜んでいます。
私は、ここに自分で書いていることを実践できている人間では決してありません。日記として書く内容には、自分の望みを書いていることもたくさんあります。
今回、反応を多くいただいた内容に関しても、私が実習という評価される状況の中で、評価を意識するがゆえに自分らしさを失っていくことに対する焦燥感の現われなのです。「高く評価されたい。」「認められたい。」という気持ちが悪いわけではありませんが、それが行き過ぎるとなんだか自分の体に自分の精神がフィットしていない感じがするのです。
批判されたり、怒られたり、諦められたりしても構わないのですよ。本当は。自分が納得行く形で生きているのならば。自分の人生に責任を持って生きているのならば。批判されないように、怒られないように、諦められないようにやっていれば、世間的に優秀な人にはなれるでしょう。しかし、それが逆に私らしさを押し殺してしまっている自分への手かせ足かせになることもあるのです。
「良い」とは何なのか?「優秀」とは何なのか?
そうやって、社会一般から自分を突き放すことで、自分らしさを取り戻したいのです。そうした思いを持っている方が多いのかもしれません。
社会が私を形作るのではなく、たくさんの「私」が社会を形作っていく。本当はそういうものなのです。だから構わないのですよ。私のままで。
こんな体や精神を持って生まれてきた私はですね、
誰にも変わることはできないのですよ。
俺って、私って、なんてダメなんだ。と思うことありますよね。
しかしですよ、ダメならダメでいいじゃないですか。
ダメな自分でいいじゃないですか。
だって、この体、この精神を誰かのものと変えることはできないんだから。
ダメでも自分、良くても自分。
そのままの自分。
2003年12月03日(水) |
そのままでいいんじゃない? |
完璧でなくていいんです。 常に褒められるひとじゃなくていいんです。 正しいだけが能じゃない。 間違ってもいいんです。
結局、それが自分に向いていないときもある。 そのときは、そのとき。 また、別の道を探せばいい。 それが、楽しくて仕方がないときもある。 そのときは、頑張らなくてもより良い自分を求めるものです。
完璧でなくていいんです。 常に褒められるひとじゃなくていいんです。 正しいだけが能じゃない。 間違ってもいいんです。
しかしまあ、やることが多すぎて頭が回りません。ただでさえ、帰ってきてグターっとしているのに、帰ってきてからもすることがたくさん。実習の本質を見失いそうで恐ろしい。提示されたものをやりこなすことが一番になって、見て感じたことを熟成する余裕がないのです。
ま、愚痴を言ったところで仕方がないので、私が将来学生を指導する立場になった時の勉強ということでいい経験をしていることにしましょう。やはり、高知の先生はベテランだったせいもありますが、やりやすかったなあ。
若いのになんじゃそりゃ?と言われそうですが、疲れています。毎日、気疲れですね。そして、その疲れをほぐす瞬間が無いんだから疲れます。東京にいた頃を思い出します。やはり、地元が一番だ。
ということで、今日の日記は愚痴っぽくなっておしまい。愚痴をはけるのも、このサイトだからです。
ふひ〜。レポート二つ、初期評価三つ、その他の簡易評価三つを今日中に仕上げないといけませんでしたが、できません。レポート二つ、初期評価二つだけ仕上げたので明日持って行きます。それも推敲していないので×を食らう可能性大ですが… 全て書けたのですが、最終的に細かく修正入れようと思うと時間がかかる上に、これだけあると頭が混乱してくるのです。
あまりスーパーマンになろうとせず、頭を下げて提出をずらしてもらいます。やっぱり寝ないとね。レポート書くのが実習の目的じゃありませんから。
今日は、いつもの病院を出て、通所リハビリと訪問リハビリというものを見学してきました。病院でのリハビリと異なり、この二つは地域リハビリと言われます。通所は、在宅で療養されている方が施設まで来てリハビリを行うというもの。訪問リハは文字通り、リハビリのスタッフが在宅療養されている患者さんのお宅まで伺いリハビリを行うものです。
以前から、地域リハビリには大変興味があったのですが、今日、実際に一日見学してみて、「これだ!」という気持ちを強くしました。私は、やはり地域に出て行きたいんです。病院というコンクリートの壁に押し込まれた患者さんにいくら訓練をしても、だから?という感覚が拭いきれなかったのですが、今日、気持ちがすっきりしました。
病院内で、いくら日常動作の改善やコミュニケーション能力の向上があったからといって、病院内で何の役に立つのか?ということ。それから、退院してしまってから日常生活の中で患者さんは実際のところどうなのよ?という部分が見えないままになるということ。この二つが、私には疑問でした。こんな状態で本当に患者さんのためになるのか?という疑問です。
やっぱり、人が人らしく生きていくとはどういうことか?を考えると病院は人らしく生きられるところではないのではないかと感じます。やはり、生まれ育った地域、家、家族なんですよね。きれいなベッドに寝たいんじゃない。見慣れた風景を見て、思い出がある部屋に、寝慣れた布団を敷いて寝たいのですよ。
一日中ホテルでお勉強です。勉強というか、実習に必要なことをやってました。レポート、評価のまとめなど、意外にすること多くて夜中までかかりそうです。とは言っても休憩しつつだからなんですけどね。沖縄に来てるのに、一日中ホテルかよっ!と思いましたが、実際のところお金もないし、車もないしでどこにも行けないんですよ。これじゃあ、別にどこでも一緒ですね。で、考えたわけです。恐らく、実際に沖縄に移住したとしても本土で住むのと変わらないんだろうなあって。
確かに海はきれいですし、週末にちょっと島に出かければ世界有数の海が待っています。でも、それは私の中で優先順位そんなに高くないのですよ。実習でこちらに住んでみて、結局、毎朝通勤して夜帰ってきて、一人で飯食ってテレビ見ながらビール飲んでるんだろうなあって想像できてしまう。
要するに、前にも書きましたけど、ここでの生活を楽しむかどうかは、私の気持ち次第、行動次第なわけです。それならね、沖縄じゃなくても良いわけですよね。当たり前のことですが、こちらで一週間過ごしてみて気が付きました。私は、これまで各地を転々としてきたわけですが、もうそろそろ環境のせいにするのはやめようと思います。1つの場所にじっくり腰を落ち着けて自分自身を変えていくことを考えるのもいいんじゃないのかと思うようになりました。
やっぱり決め手は「人」ですね。地元はやはり心和む仲間が多く居るんですよね。それに気が付きました。これまで、仲間とかなんてあまり気にせずに生きてきましたが、ちょっと地元にこだわってみようかなと思い始めています。
というわけで、沖縄移住はとりあえず中止ということになりますね。これからゼッタイにないとは言いません。人生何が起こるかわかりませんから。でも、今の時点で沖縄はなくなりました。実習後もしばらくこちらに居るつもりでしたが、早めに帰ります。飛行機のチケット変更しなきゃ。
人生は気付きの連続。そして、その気付きの中で方向が変わっていく。どんな方向に行っても、決して間違いじゃないのです。全ては正しいのですよだ。
やっと週末です。
今後もこうやって週末を待つ生活が待っているのでしょうか?ん〜、微妙。私は週末を首を長くして過ごす生活は、できれば避けたいです。オンオフの区別のない生活がしたい。全てがオフでありたいなあ。仕事も遊びだし、遊びも仕事。それが、私の人生の目標です。
実習先の病院から、「うちに来ない?」って誘われました。本気かどうかは分かりませんが、こう言われるとお世辞でもうれしいものです。話を伺うと、技術や知識云々で誘われたのではないようです。人間性や経験を重視したいとのことでした。そういう基準に少しでもひっかっかる要素が自分にあることをうれしく思います。
でも、行きません。
すでにできあがった仕組みがあるところに行くのは、私の性に合わないと思うからです。できあがったところに行くと、自分自身の行動に責任が持てない。絶対に甘えます。怠け者ですから、簡単に甘えるのは目に見えてる。誰かがやるだろう...ってね。だから、私には私自身が主体的に動かざるを得ない環境が必要なのです。
主体的に動くことができる環境に自分をおけば、恐らく既存の仕組みに甘えられる環境に居るよりも満足度が大きいと思うのです。やりたいようにやれる環境に自分をおくってのは、より責任が伴うものですしね。生かされるのではなく、生きたいって思ってるだけなんですけどねえ。
今週は長い!やっと木曜日が終わったという感じです。沖縄での実習は珍しく、朝からイヤイヤ病で困っています。高知の時はイヤイヤにはならなかったのですが…
やっぱり、楽しみがないんでしょうね。楽しみよりも苦しみが勝ってしまっているのでしょう。まあまあ、苦しみと言ってもそんな「苦しい〜」というわけではないのですが、楽しくないという意味で苦しいですねえ。
楽しみをみつけないといけませんね。頑張ります。
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