知らんけど

2006年03月08日(水)

ジムで最後にフロに入るが、そのときに洗い場で後ろの人のシャワーがかかってくることがある。冷水がかからない限り、僕はそんなに気にならないのだが、中にはすごく気にする人がいる。今日、面白いことをしてみた。僕の後ろの人のシャワーが僕に良くかかる。「あー、気づいていないんだな。」と思い、ひとつ実験してみることにした。

実験とは言っても簡単なもので、僕もわざとシャワーをその人にかけるのである。僕は鏡でじっとその人の反応を見る。すると、シャワーをかけられたその人は僕の方をチラッと見る。もう一回かけてやった。そしたら、嫌そうな顔して僕の方をチラッと見る。笑えてきてしかたなくて、含み笑いでなんとかこらえた。

自分が他人にかけておいて気づかず、自分がかけられたら嫌がる。人間ってなんて愚かなんだろう。おかしくてしかたがない。愚か過ぎる。いや、僕もそうなのだ。人間てみんなこうなのだ。みんな愚かなのだ。その愚かさに気づくことさえなく死んでいく人たちはある意味幸福だし、ある意味不幸だ。僕はこの人間の愚かさに感謝しつつ、その無知の知を生活に生かしてこうして楽しむことにしようと思う。



2006年03月07日(火)

仕事→勉強→ジム→ネット→読書→睡眠

こんなに規則正しい生活をしていると時間が経つのが早い。先週大学の後輩と食事に行ってから一週間経ったのに、まだに三日しか経っていないような気がする。これはいいことなのか?悪いことなのか?ま、どうでもいいか。



2006年03月06日(月)

前回の会議で、ある議題が持ち上がった。俺以外の参加者は2人で、2人とも俺よりも経験年数は上の先輩。年齢は俺が少し上だが、一人は来年度より昇格する予定で、上司となる人である。その議題について、「考えないといけませんね。」という話になった後、その2人の反応は「どうしましょう?」と無責任に漠然とした問いを投げかけただけだった。はあ?なんだそれ?

仕方がないから一年目から書き溜めておいた提案書を少しだけ手直しして2人に後日渡すことにして、「僕の提案書をたたきにしてください。」と告げ、その場はなんとなく収まった。その2日後に提案書を2人に提出。提案に対する対案や、それらの議題に対する基本的な取り組み方や進め方が、今日の会議で示されるのかと楽しみにしていたら、「この提案に対する意見があれば出してください。」だって。切れそうになった。いやちょっと切れた。

お前ら何も考えてないだろ!?

「すごいですね〜。」と言われても全くうれしくない。俺が何か意見を言うと、「僕も今それを考えていたんですよ〜。」だって。笑っちゃう。何か言う前に形や行動で示しやがれ。本当に腹が立つ。良くもまあこんな子供みたいなことして仕事だなんていえるよな..

俺がすごいんじゃない。あなた達が基本的な仕事をしていないだけだ。提案した方は本当にバカらしく感じてしまう。あまりにも短絡的だから、俺から思わず「これでいいんですか?」と聞いてしまった。「これはあくまでも提案であって、たたきなんですよ。これをベースにして話をしているようですが、いいんですか?」って確かめた。なんで俺が提案しておいて、その提案に批判的な視点を投げかけるんだ??一人芝居は劇団ひとりにやらせとけ!

2人は考えるのも面倒くさそうだった。時間を気にしたり、「大きなテーマ過ぎて分かりにくいから具体的には?」みたいな「具体的に」作戦など使ってきやがる。「具体的に」作戦は本当に失礼だ。こちらはコンセプトを話してるんだ。そのコンセプトに具体性を持たしたらコンセプトの一部に限定されてしまうではないか。具体的な部分は自分で考えるか調べろ!大体、代表として来てるわけで、扱っている題材自体が非常に大きなしかも大事なものなんだから大きなテーマにならざるを得ないだろう。

もし、言うなら、「一つずつ検討していきましょう。優先順位をつけるならこれがやっぱり一番大事だと思うんです。これを決めれば、後の物も必然的に決まってくるところがあるんではないでしょうか?」ぐらい言って欲しい。物事の進め方さえ提案できない「先輩」方にホント失望した。本当に先輩ですか?



2006年03月05日(日)

起きてそのまま第7回兵庫県総合リハビリテーションケア研究大会へ。同僚の発表を聞いてから後は単独行動。夜はホームページリニューアル。その後、漫画喫茶へ。野球とK−1を観戦。



2006年03月02日(木)

gyaoというネットで様々な番組を観ることができるサイトがある。今、そこでNHKのプロジェクトXを観ることができる。

熱いね。熱い。この熱さは何なんだろう?今の職場でも前の職場でも感じられなかった熱さを感じる。僕が求めているのはこの熱さだ。それに気づかされた。熱さの裏側には冷静な目的や目標がある。いや、夢と言うべきか。僕は今までビジネス書を中心に本を読んでいるが、目的やら目標やら夢ということが語られている本はたくさんある。それがある意味基本であることは明確だ。しかし、そうした字面だけでは全く伝わらない何かがある。

たくさんの仕事をすることではない。頑張ることではない。評価を得ることではない。俺は何かやり遂げたいんだ!夢中になりたいんだ!そんな心の叫びを自分自身の中に感じるのに、それをぶつける対象として今の職場がない。いや、職場のせいにするべきではないのかもしれない。

同じ番組をテレビでも以前に観ている。ところが、今回は全く感じ方が異なる。不思議だが、以前は「すごいな〜。」で終わっていたのに、今回は「俺もやりたい。」と涙が出た。まだまだ俺の魂は死んでないな。生きなきゃいけない。真剣に。



2006年02月27日(月)

通常通りの仕事。仕事後はジムで時間が来るまで勉強し、21時からランニングとスイミング。だいぶランニングが楽になってきた。

ダイエットのためとか、体力をつけるためとか、ジムに通う人は何かと理由をもっているようだが、僕はそんな目的は持たない。ただ、行って20分走って、15分泳ぐだけである。目的を持つと、それに潰されてしまうことがあるから要注意だ。なんでも目標目標という世の中だが、そんな簡単なものではないと思う。意思が強ければいいが、意思の強さというのはただ単なる意思の問題ではなくて、それ以上の何らかの動機付けがあるはずなのだ

僕が中学生の時の同級生に、灘高校に行くために寸暇を惜しんで勉強している友人が居た。そして彼は灘高校に行き、東大の理�掘憤絣愽堯砲帽圓辰拭�今何をしているかは知らないが、ずいぶん前に東大病院で脳外科医をしているような話を噂で聞いた。

中学生の時、僕は彼に「なんでそんなに勉強するん?」と尋ねたことがある。彼は「妹みたいな障害を持った人を治したい。」と答えた。彼の妹は小児麻痺で、装具をつけて学校に通っていた。

ただ、医者になりたい奴とはわけが違う。こうした人間にこそ本当の意思の強さがある。「いい体が欲しい。」それだけで意思が強くはならない。

僕はそんなたいそれた目標はない。ただ、汗を流したいだけ。だから帰ったらビールも飲む。(これがうまいんだ。)大事なのは循環させること。今までは溜め込んでいたが、今は汗を流すことで循環している。何かを減らそう。なんて思わなくても循環すればきれいになるのだ。そんな気持ちで運動すれば楽珍なのに。



2006年02月26日(日)

朝から摂食嚥下の勉強会。一日中。帰宅後、勉強会に刺激され勉強しようと思ったがダラダラとネットをしてしまう。んー、逃げているな俺は。気づいているが意思が弱い。

喫茶店で読書をすることが日課のようになっていたが、実はこれは逃げではないかと確信に近いものを感じ始めている。色々な本を読んでおられますね。と誉められるとちょっとうれしいが、実際のところとりとめのない読書をしている。それはそれでよいのだろうが、どこか本当はしないといけないことから逃げているような気がするのだ。

本当にしないといけないことは分かっている。しかし、そこに行動がついてこないのは単なる怠慢というより、どうしたら良いかが分からないという幼稚な理由だけだ。とにかく「やると決めたらやる。」「まずはやり始める。」ということが大事なのは頭では分かっている。しかし、していない。その目的が明確ではないのだろう。

自信というのは結果から得られるものだ。結果は成功かもしれないし失敗かもしれない。ただ、結果が失敗であろうと何かを自分は行ったのだという意味での結果であるし、それは失敗であろうが自信につながる。

それを自分でこうして書いているにも関わらず、実際の頭はこう考えていないし体も動いていない。よし、今からやる。



2006年02月25日(土)

午前中は仕事をし、午後から知人と会う予定が知人が来るのが遅れに遅れ17時ぐらいに来る。ファミレスでだべる。久しぶりだ目的のない時間を過ごせたのは。リラックスできた。



2006年02月24日(金)

ジムに通い始めて5日目。まだまだ、単に筋肉が張ってるだけなのだが、その張りがなんとも気持ちよい。別に痩せようとか、筋肉つけようとか、そんなたいそうな目的はない。ただ、体を動かして汗を流すと同時に「無」の境地になりたいだけなのだ。ランニングマシンで2km走っていると、そのうち自分の息遣いだけが聞こえ始める。テレビを観ながら走っている人もいるが、なんてもったいない..50mプールで泳ぐと大体300m過ぎるあたりから、頭の中はリズムだけになってくる。

何も考えなくて良い。とらわれから解き放たれる。座禅にも似た心境になれるのがジムの楽しみだ。もちろんキレイな女性のキレイなお尻を見るのもとても楽しい。美しいものは美しいのだから仕方がない。

それといつも更衣室でむさくるしい男どもの裸姿を見ていていつも思うことがある。人間は気持ち悪い生き物だ。ということである。知っているか?人間は動物であることを。いつも更衣室でみるあのツルンとした裸の人間が、動物園の檻に入れられているのを想像して欲しい。気持ち悪いだろう。そして弱弱しい。様々な道具を駆使して人間は動物界で頂上に君臨しているように見えるが、実は動物としての側面だけを見ると非常に弱い動物なのだ。

筋肉をつけて肩で風を切って歩く男を見るとプッとふきだしそうになる。犬にも勝てないだろうに。人間の弱弱しさを目の当たりにすると、僕らの存在がいかに自然の一部かが良く分かる。それを人工的なもので多い隠すことで、人間は自分達の優位を保ってきた部分があるのかもしれない。

ジムの更衣室で男の裸を見て、人間は大きな自然に生かされているという気付きを得られるなんて、毎月の月会費も決して高くないな。



2006年02月22日(水)

民主党のメール騒動だが、バカらしい。そんなこと国民の税金を使う国会で話をするな。裏も取らずに証拠として公表するなんて小学生並みだ。仮にそれが本物なら、だからどーしたのだ?もっと国民にとって大事な事を議論しやがれ。このことが話題になること自体に腹が立つ。

だからどうした?

何かあったときに、この質問を何度か投げかけると物事の本質に近づけます。逆にこの質問を投げかけて答えに窮したり、屁理屈を述べる人は何も考えていないのと一緒です。僕にとって正しい答えは「ん〜、だから何なんだろうね〜。良く分からないけど、こういう感じがするんだ。」です。

物事の本質を見極めるというと、何か究極の答えがあるような気がします。しかしながら、そんなものはない。分からないというのが答えです。究極の答えを捜し求めようとするその態度、そして結果何も分からないと分かることに本質があるのです。それに気づかずにそれらしい答えをベラベラとバカみたいに得意げにしゃべる人には何の魅力も感じません。


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