
ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
MAIL
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2001年03月20日(火) ■ |
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晴天 |
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今日はとってもいい天気だ!
こんな日に家でくすぶっているのも、 就職活動してるのももったいない!!
え、なんで今日あいてるのかって?
1次面接うかってたら来るはずの2次面接案内のハガキが来なかったの。 (よーするに、1次落ち。 でもマクドナルド食べるのはやめません。)
だから今日1日暇といえば暇っ。
朝から洗濯して、お弁当作って、お出かけ準備ばっちりだ!
さぁ、どっかの河原でごろごろしてよーッと。
というわけでごろごろしてました。 暖かくて気持ちよかったです。 たまには「ぼけ〜〜〜〜〜」として頭を休めるのも大切です。
お弁当は作りすぎたので(?)姉にも食わせてみました。 美味しかったらしくて、ちと嬉し。
うーん、またそのうち作ろう。暇な時にでも。
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2001年03月19日(月) ■ |
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緊張 |
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緊張感というものは1日に使用できる料が決まっているのでしょうか?
本日の日程。 午前10時JR学研都市線野崎駅徒歩10分にて適正検査。 午後 2時JR塚本駅徒歩10分にて2次面接。 午後 5時地下鉄御堂筋線西中島南方徒歩3分にてグループ懇談会。
朝一の適正検査は3回連続の2回目。 同じ会社で3回も適正検査やらされるのも珍しいが、 その結果を返してくれるのはもっと珍しい。
クレペリンって知ってます? 前回やった適正検査なんですが、それによると私は、 「処理能力が早く、積極的で、仕事のとりかかりがよい」 らしいのです。 嘘ですね。
とにかく、寝すぎたためかも知れませんが、 この結果の見方を説明されてる間が今日一番眠かった。 だって、 「見たらわかるやん?」 って感じのことだったので・・・丁寧に説明されてもなぁ・・・。
そうして午後には面接。 受ければ受けるほど面接慣れしていくって云うけど・・・、 同じ形式の面接に出会った事がほとんどないんですよ、今のところ。
今回は面接官対学生が3:1。 これはつらかった。 頼むから、質問してる以外の人ももうちょっと興味深そうに聞いてくれっ! え? 花粉症だって? そりゃ、しょうがないなぁ・・・。 しかし、今日のはとことん自信がない。 2次面接がこの会社の試験の山場らしいという事なのだが・・・。 うーん、ま、駄目でもいいか。 良い経験させてもらったと思えば。
ってな感じで、今日一日分の緊張感はここまでで使い果たしてしまった。
夕方5時からのグループ懇談会で、(実際には2人だった!!!)
「今日は質問会のような形で、選考ではないので緊張しないで良いですよ。」
云われた時にはとっくに緊張感なんぞうせていた。
ふぅ〜、明日はゆっくりするぞ〜。
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2001年03月18日(日) ■ |
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疲労 |
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疲労というかなんというか。 私は結構健康的なタチで、 疲れが溜まってきたりなんかすると、自分ですぐに分かるんですね。
はっきりって、今日一日、だるかった。
とある、日本料理屋(料亭?)の説明会にも云ってきたのだが、 眠い・・・。
これ・・・なんか私とはあってないわ。
1次面接予約もせずに帰ってきてしまった。 さようなら。 もう二度とあう事もないでしょう。(多分)
家でもテレビを前にうとうとうとうと。
なんかやっぱりだるぃ。
駄目だねっ、こういうときは早く寝ようっ。
明日のスケジュールもかなり楽しい事になってるし・・・。 10時半就寝。 こんなまっとうな時間に寝てもいいのだろうか!?
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2001年03月17日(土) ■ |
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移転 |
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義理は果たさねばなりませぬ。
旧バイト先の引越しがありましたので手伝いに行って参りました。 無論、バイト代は支給されます。(多分、されるでしょう)
引越しといっても、社内のある建物から別の建物まで動くだけなのですが。
でもこれが結構大変。 全部の机、全部のOA、全部の人間を移動させるわけですから。
なんか、私が顔出すと、
「お前やめたんちゃうんか?」 「何しにきてん?」 「やっぱりここに就職するんか」
関西弁における最大級の親愛表現(?)ですが文字にすると怖いですね。 とにかくそんな感じで歓迎してもらえました。
まー、いいストレス発散になったんじゃないですか? たまにはこうして身体を動かすというのもよいものです。 ・・・・最近岩、登ってないなー。
そうそう、ところで大阪営業所の「超巨大ベビースターラーメンの人」に、 「メル友になって」といわれてしまいました。(笑)
「街中で川口、山中(両方とも仮名)コンビを見かけたらご一報を!」
というのが最初のメールでした。
だからどーしたって云われても困るんですが・・・。
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2001年03月16日(金) ■ |
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焦燥 |
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昨日中に連絡がなかったため、ジャス□は落ちたらしい。 だからというわけではないけれど、 今日の午前の筆記試験、何故だかとても不安だった。 何を思ったか、外食産業を中心に活動し始めた私。 一言で外食などといっても幅は広い。 ファーストフードあり、ファミレスあり、喫茶店なんかもそうだ。
個人の理念と会社の理念とを、 それぞれをそこそこ考えなければいけないはずである。
そんな中で、一社「ん、これは!」と思ったのがあった。 それが今朝受けた会社だ。
セミナーに参加した時はそれほどでもなかったが、 色々な会社を回っていくうちに、なんか良さげな気がしてきた。 仕事は大変そうだが、なんか自分に合いそう。
勘とは人間の生まれ持った感覚だけではなく、 その人のそれまでの経験、人生における積み重ねがミックスされ、 なんだか自分でも説明できないものとして現れてくるものらしい。 と、確か「ワタミ」の社長が云っていた。
ならばこの会社に対して感じたのはきっとその「勘」であろう。 そう思った。
筆記試験、というか適正検査だったのだが、 こんなものの結果は、はっきり言って自分ではさっぱりわからない。 できなかったと思っても受かってたりするし、 できそうなのに落ちてた人もいる。
そして、今日はさっぱりできた気がしなかった。 マークシートは全部埋まらなかったし、(いつも無理やりにでも全部埋める私が!) レポートはいつもの筆先三寸が発揮できなかったし。
今まではそれでもなんとなく「なんとかなるぁ」的な考えがあった。 でも、今日はなんだがそうじゃなかった。
「あ、これで駄目だったら、この会社もう駄目なんだなぁ」
なんだか凄く不安だった。 これで落ちてたらいやだなぁ。 せめて面接までたどりつかないと、なんか悔しい。
午後は午後とてセミナーです。 アレ○という会社でした。 別に逆らったからといってポ○されるようなところではありません。 あ、その団体が名称変更した団体でもありません。
ちょっとジョークにしてもブラック過ぎるので、 この辺でやめておきましょう。 こんなネタ命がいくつあってもたりやしない。
というわけで北海道に本社がある会社です。 無農薬やなんかを売りにしておられます。 なかなかグッドではないでしょうか? 午前の会社と、午後のこの会社が私の上位志望企業ってところですね。
後は、未だセミナー参加できずの「くら」。 以前からご紹介申し上げている和食レストラン。 そんなところですね。
ふぅ、やっとまともな日記が書けた。 ちょっと約一週間分、これからがんばってさかのぼって書きますね。
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2001年03月15日(木) ■ |
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不安 |
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ジャス□からの電話連絡がこない。 合格(内内定)だったら今日中に連絡がくる手はずなのだが・・・来ないな。 落ちたのだろうか・・・。 いや、一応夜まで待ってみよう・・・。
そういえば、マクドからのハガキも来ない。 んー、1次面接にして落とされたか?? 採用人数が無茶苦茶多い分、応募者も多いのだね。 むぅ、仕方あるまい。
ということで、気持ちを切り替える。(我ながら素早い。)
そうそう、適正検査ってよくあるけど、プログラミング適正検査って知ってます? 今日の午前、それ受けてきたんですよ。 なかなか・・・・面白かった。 なんか言葉では説明しにくいな・・・。
うーん、プログラマが使うところの「フローチャート」、(でよかったっけ?) みたいなのに、数字が入っていて、 指示に従ってどんどん書き換えていく。
てぇ感じなのですが(伝わらんな、全然)。 ちゅぅか、私は何故このような会社を受けているのでしょうか、不思議だ。 保険・・・というには随分リスクを背負っている気もするのですが、 とにかくたまには他の業界も受けてみようという遊び心(!?)かもしれません。
次ステップへ進めればそれも良し。
午後のセミナーは若干集中力が足りなかったかもしれない。 わけのわからない事ばかり考えていた。
「あ、人事のこの人、長塚京三にそっくり。」 「あ、この人前バイト先の鷹島さん(偽名)みたいな体型、 でも阪本さん(偽名)みたいな顔」
(これを書いているのは実は翌日なのだが、 今日の午後のセミナーでも高島政伸っぽい喋り方の人がいた)
いやいや、それはそれでいいことなのですよ。 実際、こうして覚えた名前は翌日電話をした時にもきちんと忘れずにいたのですから。 大切なのは、どんなしょーもないことも何かに役立てる事。 今日のオチは少々強引だったかな?
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2001年03月14日(水) ■ |
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坊主 |
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って、言っても今年の私は誰からも何ももらえませんでしたわ。
ていうかむしろ。
そんなもん関係あるかー! 私は忙しいんだ!!
いや、感情に負けて思わず書いてしまいましたが、 本心であり、本心でなし。
くそ忙しくて疲れていたので、上述の通りなのですが、 やっぱり、そういう時こそ生活に潤いが欲しいじゃないですか。
なんか梅田あたりで道路歩いてて、 横断歩道を渡りながら、 一緒に歩いてる男の子に向かって、 恥ずかしそうに鞄から包みを渡す女の子。
「そっか、今日はホワイトデーだもんなぁ〜」
若干の違和感を感じながらも妙にほのぼのとした気分になれましたとさ。 いやぁ〜、若い者はよろしい。
え?私ですか? うーん、内緒。(何もないくせに:くすっ)
そうそう、就活の話になりますが、 今日の午前、とある秤メーカーの会社説明会+グループディスカッション がございました。
会社説明会のビデオの声を聞いて爆笑しそうになった私。
この声は・・・永井一郎!? ああ、どう聞いてもガンダムのナレーションにしか聞こえないわっ!! なんてわけのわからない事で一人ニヤついていた私。 勿論そんな事はどうでもよく。
グループディスカッションの内容は次の通り。
「人類は原子力により絶滅に向かいました。 絶対に助かる事ができるシェルターに入ることができるのは10人だけ。 貴方は次の13人の中から3人を除かなければなりません。 誰を削りますか?そしてその理由は? ・プロサッカー選手(18歳男) ・自衛隊員(32歳男) ・自衛隊員の妻(29歳、妊娠中、女) ・バイオ技術者(57歳、男) ・バイオ技術者の孫(8歳、女) ・あなた自身(47歳、男) ・貴方の筆頭秘書(27歳、女) ・世界をまたにかける商社マン(35歳、男) ・薬学部教授(42歳、男) ・中国から留学してきた医大生(20歳、女) ・歌手(29歳、女) ・大使館員(46歳、アメリカ人、男) ・コンピュータ技術者(38歳、男) 」
これを、6人の人間で40分間話し合います。 安易な妥協は許されません。 多数決もいけません。
って、勿論この問題、模範解答なんて存在しません。 話し合いの進め方、意見の出し方、意見の出させ方、 そういうところを見てるのでしょう。
でも、一番もめたのは「あなた自身」をどうするか。 こういうときに自分が生き残るべきか、率先して死ぬべきか。 意見は真っ二つに別れました。 一度、貴方も考えてみてください。 貴方なら、どうしますか??
んで、午後はワタミフードサービス(実名!)のセミナーに行ってまいりました。
以前、集団面接で、
「他、どんな会社を回ってますか?」 「ワタミのセミナーに行ってきました。 社長が来て話をされたのですが、 『こいつはすげぇやつだ』と思いました。」
お前がすげぇよ・・・そんな事云えるなんて・・・ と思っていたこともあり、
また別のところで、
「ワタミのセミナー云った? 社長の話し聞きながら涙こらえるの必死やったわ」
といっていた人もおり・・・。
一体何者なんだ!? 関西にはワタミって店はねーんだぞ!?(2001年4/11難波にオープンです。) これは・・・一度行ってみないと!!
なんて思っていたものでとりあえず行って見ました。
熱い人でした・・・。 なおかつ優しい人でした。(多分) 確かに良い人だと思う。 そして社長になって尚冴え渡るバイタリティ。
「この会場は5時に出れば飛行機の時間に間に合うそうなので・・・」
をい・・・。 だからってそんなギリギリまでいて良いのか!? しかも・・・2時間のセミナー、全部社長が喋るつもりか!? うーん・・・すげぇ人だ。
云ってる事も凄いし。 いや、大した事はいってない。 どっかで聞いたようなことばかりだ。 なのに、この説得力は何!?
「夢には日付をつけて、必ず実現させるんだ。」
なんてことを、恥ずかしげもなくいえますか?貴方は!?
「現代社会に必要なのは、愛情です。」 「私たちの仕事は『ありがとう』を集める事なんです」
なんて事を、新興宗教じゃなくていえますか?あなたは!?
企業が学生相手に喋る事全部が本当だなんていいません。 多分に嘘が混じっている事でしょう。 また、我々に伝えていない事実もあることでしょう。
でも、その逆に、 こういう場で学生に言ってしまう事には、 企業側にもそれなりの責任があって云っている筈です。 云ったが最後、取り返しのつかなくなることもあるのですから。
それが故に、 「こいつはすげぇ奴だ」 と、私も思いました。
でも、この会社を受けるかどうかと言うのはまた別の話。 因みに、関西には店舗がないのでほとんど知られていませんが、 関東では凄いことになってます。
東証1部上場の欄をチェックしてみよう。 & 暇な人は 高杉良著「青年社長」を読んでみよう。 (↑そして貸してください)
って、さぁ。 なんか一つにネタを絞ればよいのに 全部書いちゃうからなかなかまとめて日記かけないのよね・・・。
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2001年03月13日(火) ■ |
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家族の標本〜我が家の場合〜(その5) |
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焼場の都合で、骨上げは今日になってしまった。
私の場合、今日の午後にはずせない予定があったため、 今日の午前に骨上げが入ったのはギリギリというところだった。
親族のほとんどが集まる。 そうして、昨日までばーさんの形をしていたものが運び込まれてくる。
「小さいな」 誰かが呟いたとおり、 前から小さいと思っていたばーさんは、 思っていたよりずっとずっと小さな姿になっていた。
身体のあちこちを患っていたばーさんは、 それでなくても小さい体の骨を更にボロボロにしていた。
少しでも形の残っている骨を、各自拾って壷に入れてやる。 ここでは「違え箸(たがえばし)」というらしい左右互い違いの箸を使うため、 それぞれの箸から箸へと渡す儀式は必要としないらしい。
小さくなってしまったばーさんの骨は、 ほとんど全て、小さな小さな骨壷に収まってしまった。
なんとなく、今日は良く喋るうちの家族も言葉少なだったようだ。
午後、例の和食レストランの工場見学へ行ってきた。 以前仲良くなったメンバーの姿は見えず、どうやら私だけが残ったらしい。 と、いうことに気付いてしまうのはなかなかつらいものだ。
今日はまた見たことある人、ない人、色々な人と出会い、話しながら、 商品開発の現場、物流のスタート地点、倉庫、例か25度の世界を見学した。
こうして、私たちは企業に対する志望度をどんどん高めていくのだろう。
来週月曜日には2次面接が行われる。
学生:企業側=1:3
の面接だ。
「皆さん、集団面接より個人面接のほうが得意って言ってましたよね?」 担当、石川氏(仮名)の相変わらずお茶目な発言である。
そら集団よりは個人の方が得意だけど、 相手が集団だったら話は別でっせ??
でも、泣き言ばっか云ってるわけにはいかない。 いけるもんなら、いけるところまで行かなくちゃ。
後悔するのは、できるだけの事をやってからがいいもんなっ!
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2001年03月12日(月) ■ |
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家族の標本〜我が家の場合〜(その4) |
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目が醒めたら朝の7時ごろだった。
私は連日の疲れで寝てしまっていたらしい。
といったところで、親父などもっと疲れて、もっと眠かったであろうに、 一つも寝ていなかった顔をしている。
私の朝一番の仕事は今日受けるはずだった面接の予定、セミナーの予定を、 全てキャンセルしたり変更したりすることだった。 昨日が日曜日で電話の繋がらなかった企業が多かったのだ。
それが終わった頃には、親族が少しずつ集まり始めていた。
親族は葬儀、告別式の間、それぞれの役割を完璧に果たしたと思う。
私と奈美姉は受付係を。 伯母は喪主を。 喪主の挨拶は実子である親父が担当し、 実務的な事は喪主の長男である忠志兄がほとんどこなした。 母親や兄貴、兄嫁は母方の祖母の面倒まで見なくてはいけなかった。 今度こけたら、もう歩けなくなるのではないか、そんな不安もあったからだ。
ともあれ、 親父は実の母親の告別式において、立派に挨拶をしたと思う。
茶番だな。 葬式なんて親族の見栄と、知人の偽善。 所詮はただの茶番だな、ニヒルな考えが心を支配する。
葬儀における役目を全うしようとすればするほど、 その瞬間におけるばーさんへの悲しみが薄れてしまうのだ。
結局、今回も私は涙ひとつ流さなかった。 血も涙もないわけではない。
伯父の時もそうだったが、この人たちの葬儀に私の涙がは似つかわしくないのだ。
「あほか!何泣いとんねん!!」 そう云われそうな気がした。
でも、きっと親父の時には泣くんだろうな。 親父には涙が良く似合うから。
そして、今日は実家で泊まった。 両親と、兄貴夫婦と、もう一人のばーさんと私。 6人そろっての食事はこれが初めてだった。
いや、ばーさんは疲れて先に寝てしまったようだったので5人か。
とにかく、残ったものたちはまたこうして新たな生活を始める。
生きているものは、そうせざるをえないのですから、ね。
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2001年03月11日(日) ■ |
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家族の標本〜我が家の場合〜(その3) |
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容態が安定していると昨日書いた。 正しくは、膠着している、というべきだったかもしれない。
寝ているばーさんの横で、父親と私はまた話しこんでいた。
若い頃のばーさんの話、私の知っているばーさんの話。 負けん気が強くて、最後まで嫁と同居しなかった。 金はないくせに、一人暮らしを好んだ。 ケンカばかりだった伯父とばーさん、親父とばーさん。 でも、戦後女手一つで息子二人を育てたばーさん。
わがままばっかりだったけど、こんな時には結局みんな集まってくれてる。 後は・・・兄貴夫婦だけだな。 今日のAM8時45分、新婚旅行から帰ってくる予定になっている。
「間に合うかな・・・」 従姉たちは、「せめてそれまではがんばって」と語りかけていたものだが、 私はそうは思わなかった。
もし、間に合わなかったら? 兄貴夫婦はショックだろう。 ばーさんだって、かわいそうじゃないか。
もう、こんな状態の人にプレッシャー与えてあげるなよ。
「最後に会えたら・・・」 従姉たちは云う。 確かに兄貴には悪いけど、でもやっぱり仕方ないよ。 会えた人は、会えた人で。 会えなかったら、会えなかったで。 それなりに、それぞれの心に残るんだから。
危篤のばーさんの横でそんな事を考えるのは不謹慎なのだろうか?
明け方あたりから、容態が変化した。 急変、というわけではない。 少しずつ、身体のあちこちにつけられた管から血が混じり始めたのだ。 呼吸も心なしか弱くなっている。
しかし、すぐにどうこう、というわけではなかったので、 親父は予定通り兄たちを迎えに関空へ向かった。 寝不足で、こんな状態のばーさんを残して。 親父を行かせるのは凄く気がひけた。 今日ほど、きちんと車を運転できない己の愚かさを悔やんだ事はなかった。
やがて伯母が来た。 「おばあちゃん(このばーさんね。)の夢見たんよ。 私のこといつもどおり呼んでたんやわ」
そして気になったので朝から来たそうな。
私は伯母に一通りの状況を説明した。
そしてしばらくして、ばーさんは息を引き取った。 当初からの親父と伯母の意向で、延命処置はしなかった。
8時15分。 それは兄貴たちの飛行機が予定より早く日本に到着したのと、 ちょうど同じ時間だった。
その夜は通夜となった。
珍しく家族がそろうというのは結局こんな時ばかりだ。
伯母と忠志兄は、通夜から葬儀への手順をてきぱきとこなしてくれた。 昨年の伯父の時のノウハウが生きているのだ。
通夜には思った以上にたくさんの人が来られた。 そして、帰っていった。
後に残ったのは3人。 私と親父と、忠志兄である。 伯父の時と同じメンバーだ。
色々な思い出話をしながら親父は明日の挨拶を考えていた。 こうして夜は・・・ふけていく・・・・。
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