
ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
MAIL
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2001年10月16日(火) ■ |
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その名は・・・ |
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さすがに今日は途中で雨が降ったため、 昨夜の様に夜9時までボルダリングやってるなんてことはなかった。 ていうか昨夜はがんばったねー。
で、家に帰ったら、なんか様子がいつもと違う。 なんか妙なにおいがするぞ。 これはもしや・・・。
犬? なんか一月ほど前親戚の家で犬が子供を生んだという話を聞いた。 母親がもらってくるとかこないとか言ってたけど・・・ どうやらそれが今日だったらしい。
黒いラブラドルレトリバーのメス犬。
言っとくけど・・・可愛い。(←既に親バカ)
なんて名前をつけるかでかなり悩んだ。
母親なんぞは 「この犬の母親がゴンコ云う名前やから・・・」
・・・。 このままではポンコとかドンコとかつけられかねない! やばいぞ!!
父親 「そういえばお前の大学にこの犬を盲導犬として連れて通学してる人おるらしいな。 あの犬は確か・・・アトム?」
アトムと来れば・・・ウラン。 いや、どっかにそんな名前の猫がいるのを聞いたことがあるからそれも却下だ。
なんとかまともで、かつ呼びやすくて、それなりに可愛らしい名前が良い。 友達のうちでそういうのにすばやく反応してくれそうな奴をピックアップしてメールを送ってみた。
色々な案が帰って来た。
クロ、ブラック、(この辺りがやはりもっとも多かった) こげぱん、くろにん(こげぱんからうみにんを連想してしかもむりやり黒にしたな)、ウィッキー、クロエ(やっぱし黒いから?) アンドリュー、フランソワ、ドビュッシー(おしゃれすぎて呼びにくい。) すみれ、あずき、クリ、もみじ、かえで、(秋ですからねぇ) 瑠璃、琴糸、(母親がついてこれまい。) ヒカル、リンダ、はなこ(ここらへんが結構いいかも。) 秀、DANIEL、アツヒロ、(メスやゆーとるやろー!!) タマ、ジジ、モモ(猫ですか?) あじぽん(あじぽん!?)
皆様ご協力ありがとうございました。 協力していただいた皆様にはメールでお伝えしましたように。
ラブラドルだから・・・「ララ」と決まりました。
あ〜、名前が決まるとますます可愛い。(バカ)
よし、犬よ、今日からお前はララだ!!
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2001年10月15日(月) ■ |
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魂から魂へ |
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ここ最近大学に期間限定で設置されたボルダリングウォールにはまっている。 ボルダリングウォールとは、なんか何回も日記で説明している気はするが、 ボルダリングをするための人工壁である。 ボルダリングとは、クライミングの一形式で、 ロープを使わずに小さめの壁で、テクニカルなムーブを必要とするスポーツである。
大学に置かれているのは、約110〜120度くらいの前傾壁。 学生課が年々廃れていく体育祭の活性化を狙って設置したものだった。
大学に設置されているため、俺はいつでも無料で使用できる。 ただ、大学内の山岳系団体は、 そのかわり一般の学生の補助やサクラ的役割も果たして欲しいと頼まれているのだ。
正直ちょっと面倒くさいと思ったがやってみるとなかなか面白かった。
場所が屋外ステージの真横なので、軽音部などがデモ演奏をやっていると、 ギャラリーが集まりすぎてかなりやりにくいものはあるが、 それはそれでいいんじゃないか、人が集まって、と思っていた。
が、今日のはさすがに無理があった。
応援団が演舞を始めたのだ。 その人の集まり具合と、太鼓のうるささといったら軽音の日ではない。 たまらず、我々も見学者へと早変わりしてしまった。
昼休みが終わって人が引き始めた頃には、 後輩たちも授業に行ってしまい、しばらく俺は暇だった。
そしたら今度は軽音のコンサートが多目的ホールとかいうところであるとかないとか。 当然暇そうだった俺は、(暇だったのだが)連れ込まれても抵抗できない。
まぁ時間は調度余っていたし、 別に聞いてて苦になる音楽じゃなかったのでしばらく大学生のふりを続けていたものだ。
今日のウォールは日が暮れてからが盛り上がった。 工学部の研究室の人々が、研究の合間に遊びに来たのだ。 結構な人数で壁にとりつき、仲間内でそれぞれ登り方を検討する。
そういうところに自然と入り込んでいき、さり気なく(さりげなくはないかな。)助言する。 そういうことがだんだんできるようになってきた。 それ程うまい助言ではないのだが、それでも彼らの動きは少しずつよくなっていく。 そしたら登れるようになった人が別の人に教えてやり・・・・
そんな好循環が続き、しばらく楽しんだ後で彼らは研究へと戻っていった。
そろそろお開きかな、帰ろうかな? と思っていたら今度は食堂前でダンスをやっていた兄ちゃんたちが集まり始めてた。 さすがにダンサーってのは身軽なのか、バランス感覚が優れているのか。 一般の人々よりずっとスムーズに登っていきやがる。
なかでも、今まで俺が考えてきたのとは違う方法で登る奴もいた。 あれにはかなり熱くなった。
「ぉぉぅ、そういう解釈もありなのか!」 妙に燃えてしまい、その後また帰るタイミングをなくしてしまったのだった。
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2001年10月14日(日) ■ |
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絶叫マシーン。 |
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昼頃目覚めたら、二日酔いはなかった。 もとより二日酔いするような飲み方はしていないが。
昼頃目覚めて朝昼兼用の食事をしてテレビを眺める。 「新婚さんいらっしゃい」「アタック25」を見る模範的な日曜日の過ごし方。
そして父親が俺に声をかける。
「ほな、車の練習行こうか。」
・・・・来たな。
10月5日に久々に乗った時に、「また頼む」と父親に言ったのを彼はすっかり覚えていた。 2,3日前に突然
「日曜日暇か?」 「ん?暇やけど?」
こんななにげない会話はここにつながっていたわけである。
うちのガレージから車を出すと言う、 我が家周辺のドライブコース最大の難所を辛くも突破し、 ちょっと離れたところにあるパチンコ屋で車庫入れの練習。 次にちょっと離れたところにある靴屋で車庫入れの実践。 靴屋でちょっとした買い物をして実家へ帰宅。
帰りの車庫入れはまた一際難しい。
うちには2台の車があり、車庫は縦に長く微妙に上り坂になっている。 で、父親が休みで車が2台ともあったから、 当然、俺が今乗ってるこの車は既に止まっている車の後ろに止めなくてはいけない。 当然、車間を開け過ぎれば車の一部が歩道に飛び出してしまうし、 当然、車間が短すぎれば車同士がぶつかってしまう。
これ、登り坂でAT車でやるって大変ですよ?(MTでもむずいか) それは、うちの父親がやっても難しいと言う。
「ちょっとやってみるか?」
やってみないことには成長はない。 やってやろうじゃねぇか。
いかにAT車といえども登り坂ではアクセルを踏まなければ進まない。 ここは思い切って・・・えい!
ぶぅぅん!
お、行った行った。もういっちょ! そして。。。。ブレーキ!!
どうだ・・・!? 多少は近づいただろう!?
・・・・・。 父親が静かだ・・・・。 目を丸くしている。
「ちょっと外でて見てみ」
え? で、見てみると・・・・。
げ!
車と車の間に・・・1〜2cm隙間があるかないか。 俺は絶対もっと離れていると思っていた。 これは完璧に偶然の産物だ。
それだけに・・・。 次から、いやもしかしたら一生ここまで完璧な車庫入れは出来ないだろう。 だって、マジ、一発で決まっちゃったもん。
今度からはかなりビビること間違いなし。
さ・・・次はいつ乗れんだろう・・・。 後、2,3回は親父を隣にのせんとよぉはしらんわ。
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2001年10月13日(土) ■ |
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自棄酒? |
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バイトが終わって、これから帰ろうかなーって時に名取さん(仮名)から電話があった。 「飲もうや。」
名取さんは大学のサークルの友達で、しかも実家がうちと同一市内にある。 大学2年ぐらいの時に名取さんの家族が引っ越してきたのだ。
俺が実家に帰った頃から、 「近いうちに一緒に飲みに行こう!」 との約束はしていたのだけれど、具体的な日付をいつにするかはまだ決めていなかった。 別に急いで帰る必要はなかったし、調度よかったので合流。
友達と二人で飲みに行くと言うのは非常に久々だ。 なかなか金のない学生を長くやっていた私たちにそういう機会はなかった。 まして、我々は学生の中でも特に金のない人種だったのでなおさらだ。
名取さんとは久々に色々な話をした。 主にお互いの近況だったが、名取さんのほうはあまりうまく行ってないことがあるらしい。
しかし、お互いこうして愚痴でもなんでも言える人間が近所にいるのは大事なことだ。
俺の廻りは飲めないやつと忙しいやつが多いので、 なかなか飲みながらそういう話をすることと言うのが少ない。
以前は京都で近所に住んでいた山名君などがそうだったが、随分遠く離れてしまった。 そんな今では名取さんってぇのは貴重な飲み友達だな。
こういう友達はずっとこのままの関係でいたいなぁ、と漠然と思う。
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2001年10月12日(金) ■ |
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報復攻撃 |
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8月9日の日記をご覧になった方はご記憶でしょうか。 ええかげん2ヶ月以上前のことですが、足を捻挫してしまいました。 あの時、私は自分のことを「もはやアホの大将」と記述していましたが・・・。 そろそろ「アホの帝王」と呼んでもらわなければいけないかもしれない。
今日医者へ行ってきた。 整形外科医である。 実はまだ、捻挫した足が痛い。 ついでに捻挫してない方の足首も痛い。
レントゲンを取ってもらった結果、骨には異常はないらしい。
「しかし、2ヶ月も治らないものなんですか?」 「安静にしとったら2週間ぐらいで治る。 その間あんまり歩いたりとかせんほうがええで。」
ここで私の夏の日記をもう一度読み返していただけると幸い。
その足で平気な顔して山に行ったり(しかも縦走だ)、 クライミングしたりしてますね。 こら、治らないのは当然だわ。(わかりきった話ではあったが。)
もちろんそんなことは口が裂けても医者にはいえない。
「ははは。気をつけます」
適当なことを言って病院を出たが、 今日の午前中、大学に期間限定で設置されたボルダリングウォール (ロープナシで登れる小さい人工壁↑)を登っていたことを少々後悔してしまった。
因果応報。 やっぱり怪我したときは後のケアが大切。
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2001年10月11日(木) ■ |
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早起き |
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昨夜はちょっと夜更かしした。 でも、朝5時半にはきちんと起きて、朝飯、着替え、洗顔(順不同)をすましバイト先へ向かった。
バイト先には7時過ぎ集合予定で7時半出発予定だったのだが、 それよりもちょっと早めに着くと言う、非常に優秀な到着時刻だった。
今日の現場作業は主に、写真をとるだけ。 しかも、俺は写真を撮る時に、黒板とポールを持って立っていればいいという役目だった。
はっきり言って歩くのが苦でなければ楽な仕事だ。
今回は渓流調査ということだったのだが渓流の数も少なく、 楽勝だね♪
と思っていたらマジで楽勝に終わった。
午前中には全部の仕事が終わってしまったのだ。
現場での作業には現場手当てと言うものがつくのだが、 このままでは時間が少なすぎて、現場手当てをつけても内業の方が儲かっている計算になる。
が・・・・。 あまりの眠たさにそんなことはやがてどうでも良くなった。
帰って寝よう・・・・。
あっさりと諦めた。
ま、次のバイトは土曜日。 そん時はもうちょっとまともに働くさー。(怪)
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2001年10月10日(水) ■ |
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体育の日 |
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嘘です。 今年から体育の日は10月10日にこだわらなくなったようですね。 でも目の日であることはさすがに変わらない。
今後、この日が誕生日だった人はそういうしかないようですね。
もっとも、体育の日と、目の日では知名度に大きな差がありますが。
そんなことはどうでもよく。
今日は久々にバイト先に復帰してきました。
本当にしばらくほったらかしにしてても、こうしてまた雇ってくれるから良い職場だ。
おまけに夕方には、
「急な現場が入った。明日行けるか?」
とまで言われる始末。 俺が二つ返事でOKしたのは言うまでもない。
ていうか返事する前に決定されてたな。 ま、いっか。
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2001年10月09日(火) ■ |
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ま、色々と。 |
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今日はまぁ、山で使った荷物を片付ける。 その為に1日用意していたようなものだ。
が、結局は2時間もかからずに終了した。 大体昨夜帰って来て夜遅くにほとんどやってたんだな。 後は、テントを干したりする程度のことが残っていたが、 これはさすがに夜するわけにもいかずとっておいたのだ。
それと。 2ヶ月ほど前から実は足首が少し痛む。 普通に歩いている分にはどうもないのだが、時にいたむ時がある。
こいつをほったらかしてたら後々良くないかもしれない。 そう思い、整形外科へ行ってみた。
・・・・が。
「整形外科は月水金だけで今日は内科しか診察してないんですよ。」
明日の水曜日はバイトの予定が入ったから・・・・。 次は金曜日の夕方にでも来てみるか・・・。
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2001年10月08日(月) ■ |
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鈍行の旅、再び。 |
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予定通り、随分ゆっくり起床。 余裕を持って朝食。 ゆるゆると撤収。 そして・・・出発。 目指すは10時10分発のバス。
木下君は確かに俺より帰宅に要する時間は少ない。 が、彼は今日帰ったらまた明日から働かなければならないまともな社会人だ。 俺と違って今日のうちに山で使った荷物を片付けなければならない。
だから、今回はできるだけギリギリにならないように帰ることにした。
昼過ぎには小淵沢駅前で食事を取り解散した。
そこから、俺のひとりの戦いが始まった。 まず、帰りは急行料金とか絶対払いたくなかったので、鈍行で帰ることは決定済み。 果たして鈍行で実家に帰りつけるのか?
何故か今年の夏ですっかり見慣れてしまった時刻表を開き調べてみると・・・ をを、なんとか終電より大分はやく帰ることが出来そうだ。
でも、それだと面白くないので、どっか友達の家にでも寄っていこうかな〜。
テレフォンリンリンリン♪攻撃で名古屋の「すぅ」に連絡をとってみたのだが・・・
・・・・ダメらしい。 ちぇ。 今度また奇襲かけてやる。
他に行くあてもなかったので諦めて帰ることにした。
ぼーっと、駅のホームで電車を待つが・・・・来ない。 いや・・・・来てる・・・・ていうか・・・・行った・・・・!?
だよな・・・・あの・・・隣のホームに来てた・・・あの電車・・・・・?
慌てて時刻表を見ると、その電車は別のホームから発車することになっていたらしい。
で、次に来る電車は・・・・1時間半後・・・・。
一応時刻表によるとそれでも実家まではなんとか終電ギリギリにたどりつけるらしい。 かなり昔古本で買った新井素子「ひとめあなたに・・・」を読み終えたりしながら、 眠い目をこすりつつ、きっかり終電で実家にたどり着いた俺だった・・・。
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2001年10月07日(日) ■ |
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真・木下君の誕生日 |
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小川山、というか、クライマーにその様に呼ばれる廻り目平周辺は、 さりげに標高1570m程あったりもする。 だから10月と言えど、日が出ていない時間は結構寒いのだ。
起床、出発が遅れて岩場が混雑するのは嫌だ。 が、寒くて登る気がしないなんてのはもっといやだったので、ちょっとゆっくり目に起きて、 すいてそうな岩場を探して登ることになった。
という作戦は結構あたりだったらしく、何故って結局どこも混雑してたからである。 連休に来た時点でその程度のことは覚悟していたので、 それではと、あちこち動き回って人の少ないところ、少ないところを登ってきた。
今日も十分登ったのでテントに戻ろうとする時、 昨日からの木下君の提案で焚火用の枯れ枝を集めて帰ることになった。
最近は焚火禁止のキャンプ場も結構あるようだが、ここはOKだった。 木下君の誕生日パーティー(当日祭)も兼ねて久々にやってみることにした。
今日は夕食以外に、木下君持参のパスタ(ニンニク醤油ソース)や、 俺持参のコーンクリームスープでおやつにしたり、 夕食も焚火を囲んでカレーライス。 食後には木下君誕生祝いとして持ってきた日本酒も出て、 なんとなくキャンプの醍醐味を満喫した気分だった。
すっかり遅くまで様々のことを話し合ってしまった。
「明日朝10時10分のバスで帰るから・・・ 明日はもう登らない方がゆっくりできるね。」
珍しく無難な方向に話がまとまった。
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