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ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
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2001年11月05日(月) ■
金沢六日間 �〇廚錣娘最�

昨夜藤原さんとの岩登りから帰って来た時には既に日付が変わっていた。
その疲れを残したまま、今日からバイトで金沢の土石流調査に向かう。

このような慌しい日程は想像が付いていたので、
錫杖岳に出かける前から、6日間の荷物は用意してあった。

朝7時に会社につけるように、5時半に起き、準備万端で出発。
そして予定通り到着。

どうやら幸先の良いスタートを切れたようだ。


金沢に向かう車中のナビ、現地での作業も滞りなく終わり、宿にたどり着く。

風呂に入ろうかと思ったときに始めて気付く。
歯ブラシも、下着もきちんと用意して合ったのに、
何故かタオルだけは持ってくるのを忘れていた。

宿で借りると150円らしい。
これが1回の金額だとすると6回で恐ろしく高いタオルになってしまう。

コンビニで安いのをひとつ買って来るか・・・・。

そう思って外を見ると激しく雨が降っていた。
幸先の悪いスタートか・・・・。

<次回予告>金沢六日間 ��雨が降ろうと・・・


ゆっくりと睡眠をとり、体力はばっちり回復。
やる気も十分だった俺だが、
天気は微笑まなかった。

これは木下君の呪いなのか?
それとも天の与えたもうた試練なのか!?

次回
「金沢六日間 ��雨が降ろうと・・・」

男だったら気合と根性!!




2001年11月04日(日) ■
初の人工登攀 ��錫杖岳


確かに、雨は降らなかった。
その天は天気予報を信じてよいかもしれない。

確かに、冬型の気圧配置でかなり冷え込んだ。
それは山間部でも同じだった。
いや、むしろ、山間部でこそ更に冷え込んでいただろう。

が、登攀中に突然振り出した雪。
これは完璧に予報外だ。

まさかそこまで寒くなることは予想していなかったため、
俺も藤原さんも秋山装備できている。
冬山装備で迎え撃つ冬の寒さよりも、
秋山装備で不意に襲われる初冬の寒さの方が寒いのではないか?

そんな風に感じられる。

これは少しこの季節の山を舐めていたのかもしれない。
頂上から白いものをかぶった北アルプスの山々を見ながらひとりごちる。

北アルプスの高峰たちは、その頭頂部を白い雪に覆われ、
麓部分を赤く紅葉させ、
その間に当たる部分を見事なグラデーションで彩っていた。


「寒いけど、綺麗やね。写真撮った?」
「こういう景色は写真に撮って後でみたら結構大したことないんですよ。
 しっかりと目に焼き付けておかないと!」
偉そうなことを言っているが、これは単にカメラを下のテラスに置き忘れてきたからに他ならない。

「寒いしすぐ降りようか。」
ほとんど人のいない同ルートを下降し始めたとき、
俺の頭の中では帰りの運転についての悩みで一杯だった。



<次回予告>

朝も早くから家を出て、
7時半に大阪港を出発します。

そして六日間、金沢でバイト。

寒そうだが大丈夫なのだろうか?
そもそも今は当日の午前1時45分なのだが、
きちんと5時半に起きられるのだろうか!?

次回
 「金沢六日間 �〇廚錣娘最圈�

更新は早くとも1週間後。
まずそんなことはあるまいが。




2001年11月03日(土) ■
初の人工登攀 ��運転技術

俺たちは舐めていた。
連休の道路というのはこんなにも渋滞するものだったのか。

午前7時、天保山に集合したのち、
大津SAからは命知らずの藤原さんの命令で運転を変わる事になった。

「高速道路やったら運転できるやろう。」

高速道路には信号もなければ歩行者もいないし、迷子もほぼありえない。
だから、一般道を走るより楽だろうから運転しろというわけだ。
これに関しては後に職業ドライバーのうちの親父が別の意見を述べていた。
が、まぁそのことは忘れよう。

ともかく、そうして極度の緊張のうちに久々の長距離運転が始まったわけだが、
気合とは裏腹にいきなり目に入った「渋滞」の文字。

結局、
「無理せず80キロぐらいではしっていいよ」
との涙がちょちょぎれそうな助け舟も役に立たないほどに、
俺はほとんど高速道路らしい運転をしないまま郡上八幡でおりて藤原さんと交代した。

郡上八幡からは藤原さんの運転だったため、
俺は安心して助手席でくつろがせて貰った。
高山市内をつっきって新穂高温泉郷の方へ向かう途中、
何故か高山市内でこれまた予期せぬ渋滞にあう。

本当なら今日は8ピッチのうち、2〜3ピッチを登って、
(ロープ1本を使って登れる一区切りを1ピッチ)
そこでビバーク(露営)する予定だったのが、
渋滞のせいで着いたら暗くなっていたのと、雨が激しかったという2つの理由のために、
出発を明日の朝とし、今日は近くの無料露天風呂を2つほど巡って車中泊となった。

温泉はやはり良い。
できれば下山後にも時間があれば入りたいものだ。

そして車の中はやはり寒い。
足を伸ばして快適に眠れるというのは良かったが、
ビバーク予定だったのでシュラフ(寝袋)を持ってきていなかったためもんのすごく寒かった。

って、その予定を立てた藤原さんはなぜシュラフを持っているのだろう・・・・。



<次回予告>初の人工登攀 

天気はいい、という予報だった。
冬型の気圧配置、という予報でもあった。

我々は、11月の山をなめていたのかもしれない。


そして、足首の捻挫をも・・・・


次回
「初の人工登攀 ��錫杖岳」

ま、一応は成功でしょう?






2001年11月02日(金) ■
初の人工登攀 �.▲屮澆隆靄�

百田君が二つの「アブミ」を使って前傾している岩を登っていく。
それを下から眺めている俺。
少しでも自分の物にしようと必死だ。

ここは不動岩。
ゴールデンウイーク頃に上多さんとよく来たところだ。

明日から藤原さんと一緒に行く錫杖岳での岩登りに必要なアブミという道具を百田君に借りるため、
そして初めて手にするその道具の使い方を覚えるためだけに、今日は来た。

藤原さんと一緒に行く錫杖岳で行なう登攀では、
もしかして自分の手足だけで登れない難所が出てきたときのために、
アブミという道具を使って突破する事体も考えられる。

アブミというのは馬の鐙(あぶみ)と同じその名が表すとおり、
足を引っ掛け、それを足がかりとして進むための道具である。
使い方としては、アブミ上端の金具を岩場のボルトに引っ掛け、
3〜4段あるプレートに足を乗せる。
2つのアブミを交互に使っていけば、
ボルトが豊富にあるところでは岩に足をつけずとも上まで登れてしまうというわけだ。
(わかりにくいか?)

とまぁ、そんな説明を百田君がし終えた後で、

「じゃ、早速やってみ」

ということになった。
実は2日前山名君と一緒に人工壁に行った時の腕の筋肉痛がまだ残っていた。
あんまり今日やりすぎても、明日のためによくないな・・・。
だから今日は控えるつもりだった。

が、使ったことのない道具を本番でいきなり使うということは避けたかったので、
とりあえずここでアブミを一度使ってみることにした。

・・・・。
さっきの説明だと、アブミは足を乗っけるだけで楽に使えそうに見えますが・・・。

実はこれで結構、上手に使わないと腕の筋肉を使ってしまいます。
もうちょっと練習する時間があればよかったな・・・・

と思ったのだが、残念ながら明日出発なのに荷物の準備がちっとも整っていない。
筋肉痛の上さらに痛めつけた腕をさすりながら、
まだ日は高い不動岩に百田君と山名君を残し、今日は珍しくさっさと帰宅したのだった。




<次回予告>

「高速道路は全部運転してもらうで」
藤原さんはいつもどおり涼しい顔で恐ろしいことを言う。

連休を舐めていたため渋滞に悩む一行。
到着後、予定外の雨にまた悩む。

新穂高温泉で、露天風呂廻りと洒落込むぜ!!!!

次回
「初の人工登攀 ��運転技術」

君は、生き残ることが出来るか!?
(これ、前に使ったな。)




2001年11月01日(木) ■
「ゴールドラッシュ」

確かこの本を買ったのは松本駅ではなかっただろうか。
9月の中旬、松本より京都へ戻る時、
電車内での退屈を紛らわすために2冊の本を買ったのだった。

どちらも柳美里さんの著書。
「家族シネマ」と「ゴールドラッシュ」。

よく考えたら、これは読書ペースの遅い俺にとっては随分無謀な買い物だったかもしれない。
いかに鈍行の列車とはいえ、途中の駅ですることもあるだろうし、
列車の座席で眠ることもあるだろう。
要するに旅本来の楽しみを享受する時間もあることを考えれば、
この時買った2冊の本を両方読みきることは考えられなかったわけだ。

実際その日は「家族シネマ」を読み終わるに留まった。

京都に戻ってからは、それまで読みかけだった本を読むなどしており、
「ゴールドラッシュ」にはしばらく手を出さなかった。

その文庫本にしては見た目が少し分厚いというのも、
十分にとっつきにくい要因の一つではあったかもしれない。
(といっても京極某に比べれば当然ものの量ではないのだが。)

そんな風に、読みたくて買ったはずなのに何故か敬遠していたその本を、
先週東京へ行った折に荷物の片隅に混ぜておいた。
東京では読む時間がほとんどなかったが、
帰ってきてから気が向いて読み始めたところ・・・・

これがなかなか止まらない。

一気に最後まで読んでしまった、という訳ではないのだけれど、
読んでない間続きが気になってしょうがなかった。

こういうのは久しぶりだ。

どうやらハマッたな。
巷で噂になっている「命」「魂」「生」も読みたいのだが、
まだまだハードカバーでしか出ていないので手が出ない。

図書館で借りたら?

という意見もあるのだが、借りたら返さなくてはいけないので却下である。
(ジャイアンか俺は)

ということで早く文庫になれなれなれ〜。

<次回予告>初の人工登攀 �.▲屮澆隆靄�


藤原さんと錫杖岳に行くことが決まった。
それは明日。

そのために必要な「アブミ」とは?
百田君と不動岩で特訓に挑む俺!

その結果、腕は激しい筋肉痛を引き起こす・・・かもしれない。

次回
「初の人工登攀 �.▲屮澆隆靄棔�

特訓と言えば星○馬!(古)




2001年10月31日(水) ■
サークル拡大中・・・

先日、学生課の人から電話があった。
ボルダリングウォールの件で色々と連絡を取り合った人だったのだが、
その人から、うちのサークルに興味をもつ学生が現れたとの連絡を頂いた。

それが確か2日前。
電話したのも2日前。

「じゃ、2日後大学で会いましょう」
と言って電話を切った。

その日が今日。
相手は昼休み都合が良いと指定してきた。
昼休みと言えば1時間程度。
決して長い時間ではないので、こちらとしては食事を奢ってでも、
サークルの説明を一通り、そして彼自身のことを色々聞きたかった。

が、実際あった彼はどうやら急いでいるらしい。

「簡単にどんな活動しているか教えてもらえますか?」

2日前にも電話で聞いたその台詞は、どうやら本当に簡単に聞きたかったものらしい。
別に卒業した俺がわざわざ大学にまで赴く必要はなかったのかもしれない。

いや、相手の人となりが見たかったのだ、と自分に言い聞かせ、
ご要望どおりの“簡単な”説明をはじめる。



「それでどうだったんですか?」
「可もなく、不可もなく・・・かな」

数時間後、京都の某クライミング事務で俺と山名君は話し合っていた。
当然議題はその1年生について。
可もなく不可もなく・・・今後の動静に期待といったところ、としか言いようがなかったのだ。

話しているうちに、話題は大学に設置されていた人工壁の話やサークルの話にも及んだ。
その時、それを聞いていたらしいお兄さんが話し掛けてくる。
どうやらジムの従業員らしいが・・・・

「○○大学ですか?実は僕も・・・」

世間は狭いものである。



<次回予告>

ついに読んだ。
柳美里さんの、あの作品を。

どうしてここまで遅くなったのだろう?

買ったのは確か9月の中旬頃ではなかったか?


次回
「ゴールドラッシュ」

世の中、金なのか!?。



2001年10月30日(火) ■
ララの観察 その��

バイトから帰って来たのは夜だった。
昨夜会っていないので約2日ぶりに見るララは、
ほんの少しだけ大きくなっているような気がした。
東京に行っている間も4日間でだいぶ大きくなったように見えた。

と、必ずしも気のせいばかりではない。
何と言ってもまだまだララは第1次成長期の真っただ中なのだ。
それに、一昨日までは出来なかったことが出来るようになったらしい。

低い台の上、つまりコタツの上ぐらいの高さのものに飛びつくことが出来るようになったのだ。
歯もそこそこ強くなったらしく、前よりも積極的にガムを噛むようになってきた。

これだけだったらかなり褒めるに値することだろう。
帰って来た母親に、今まで見たことないぐらい申し訳なさそうな顔で

「大変や、マウスのコード噛み切ってまいよった」

とさえ言われなければ。

なるほど、ララは上記の二つの新技能を生かしてかような行為を働いたわけか。
ま、しょうがないか。
前からマウスに興味を抱いてるみたいでやばいな、とは思っていたし。
しょうがないしょうがない。

「ごめんな」

母親よ、あんたが謝る必要はない。
むしろこれは俺の過失だ。
マウス以外にも噛まれて困るものをララの前から排除するか、
もしくはララを外に出す件をそろそろ真剣に考えねばならない。
そんなことで謝るぐらいなら、他のもっと俺が日頃怒っている様々な件について反省してくれ。
(そして2度と同じ過ちを犯すんじゃない。)

若干愚痴が入ったな、まぁそれは置いといて。

そんなわけでマウスなしの生活になってしまった。
数日中には何とかする予定だが、その間はマウスなしで何とかするしかあるまい。
しかし、まぁ何とかなるものなのだと感心中。

ショートカットキー万歳。



<次回予告>

昼休み、大学へ行く。
当サークルに興味を持つ1年生と会い、話をする。

午後、京都のクライミングジムへ行く。
山名君とともに登る。
そしてまた、面白げな出会いが・・・・。

次回
「サークル拡大中」

もう、どうにも止まらない。



2001年10月29日(月) ■
眠さ最高潮

昨夜、旅(?)の疲れが取れていないと言うのに徹夜してしまった。
日記書いたりとか、その他色々である。

お蔭でその頭でバイトに行ったら、かつてない眠さを味わうことになった。
やはり人間ほんの少しでもきちんと睡眠をとらなくてはいけない。
疲れているときはなおさらだ。

深く深く反省しながら、眠い目をこすりこすり仕事に向かう。
全然はかどりません。


因みに今日の眠さを示すエピソードを一つ。

朝、家を出る前に、俺は大体新聞で天気予報をチェックする。
テレビを見ながら朝食をとったりするのが好きではないので、
朝からテレビのニュースを見ていることなどは滅多にない。
かといって177に電話するのも面倒くさい。
新聞ならば即座にその日の天気を調べることが出来る、からだ。

今朝もそのようにした。

「夕方から降水確率80%?
 じゃぁ傘もっていかなあかんなぁ。」

この時、まともな思考能力を持って空を眺めていれば、
新聞が如何様な予報を伝えようともそれが間違っていることが分かるだろう。

そう、それは昨日の新聞だったのだ。

今日の正しい予報は、降水確率0%。
ただ1人傘を持って電車に乗る私の姿は他の乗客からはどう映っただろうか?

こんな眠さでも、バイト先で里中さんに

「おぅ、明日現場行くか?」

と言われた時には、

「行きます行きます。」

と即答していたのだった。



2001年10月28日(日) ■
西東京〜羽田〜大阪

羽田空港を出発する便が遅れている。
6時離陸のはずが15分前になってもまだ搭乗できない。

これではせっかく長澤さんが急いで送ってくれた意味がない。
長澤さんは昨夜突然「泊めてください」というメールを送った俺を快く引き受けてくれ、
なおかつ長澤さんのお母さんには美味しい食事(朝昼兼用)まで用意していただけたのだ。
その上羽田空港まで車で送ってもらってしまった。

因みにお忘れかも知れないが長澤さんは夏、山小屋のバイトで一緒だった人だ。
下山したのは我々よりだいぶ遅い、10月3日。
その頃にはかなり寒く、雪も降っていたと言う。

ということは彼が下山してからは、まだ1ヶ月も過ぎていないことになる。
いやー、凄い人もいたもんだ。


そして、昨夜横浜で焼き鳥を食べた後、
長澤さんの住む西東京市まで車で送ってくれたのはたくちちだった。

こうして考えると今回の関東旅行(?)は全部が全部、
色々な人にお世話になることで成り立ったたのだった。

あてにしていなかったと言えば嘘になるが、
関東での時間を有意義に過ごせ、今こうして無事に羽田で飛行機を待っていられるのも、
ここまでお世話になった皆様のおかげであるということは決して忘れてはいけない。
俺はとりわけ大学に入った頃からこういう形で誰かの世話になることが多かった。

人は1人では生きてはいけない。
色々な人に迷惑をかけ、色々な人の世話になって生きている。

よく言われることだが、それをこうして実感できている俺は結構幸運なのかもしれない。


しょうがねぇ、時間もあることだしちょっと実家への土産でも買ってくるかね。



2001年10月27日(土) ■
町田〜東白楽〜西東京市

「お兄ちゃん起きて〜〜〜!!」
んー。。。
もうちょっと寝かせて・・・・。

流石に疲れていたのだろう。
いつもは人の家では早く目が覚めるのだが、昨夜遅かったことなどもあり、
なかなか起きる気になれない。

馬淵さんの子供二人が遊べ遊べと寄って来るのだが・・・・すまん、もうちょっとだけ寝かせてくれ〜。

馬淵さんは、やはり変わっていなかった。
4年前は便利屋さん、今はプログラマ。
仕事柄ちょっと太ったかもしれない。
この4年の間に家を建てた。

そんな些細な違いはあるけれど、
その本質は4年前、薄汚い格好をして東京の道路で立ち尽くしていた俺を拾ってくれた、
あの頃の馬淵さんと少しも変わっていなかった。

そして、はじめて会った奥さんや二人の子供も、
馬淵さんを見れば想像が付く様な、
気さくでさっぱりしていて楽しい人たちだった。

昼頃目覚めた俺は、この家族と一緒に昼ごはんをご馳走になり、
一緒に公園で遊び、家族の楽しい時間に混ぜてもらっていた。

確かに、東京に来て観光らしい観光は何ひとつしていないけど、
こういう人たちと一緒に、普通の時間を過ごせただけでも価値はあったな。

なんだか今回東京に来たのはこういう人たちに会うためだったような気がした。


楽しい時間と言うのはすぐに過ぎるもので、気が付いたらもう出発する時間になっていた。

今日は夕方からオリーブ、たくちちと横浜で焼き鳥を喰う約束の日だったのだ。


「またこっちの方に来ることがあったら連絡してね。」
馬淵さん本人ではなく、昨夜始めて会った奥さんからもそう言ってもらえたのが嬉しかった。

いやー、でもさー、
あんたらそんなこと言ってたら俺はまた本当に来ますぜ?