昼ごろに火葬場へ。 悲しさよりも慌ただしさその他の気持ちのほうが強かったので、あまり実感がなくただ眺めていた。身近な人の死というのは実に15年ぶり。 ガキのときはわけもわからずワーワー泣いてた気がする。 今はさすがにそういう事はなかった。 お遍路したときの感動よりも涙腺はゆるまなかったと思う。 自分が大人になったのか、まだ実感してないのかはよくわからない。
そのあと通夜をしたあとまたオヤジの実家で寝泊り。
葬式はなぜか東京でやることになっていたらしく明日には東京に戻らなきゃいかん。 最初からそういうことを知らせてくれればそれなりの対処が出来たと思うのに。。。 特に京都のオジサンなんかは気の毒だ。京都から宮城の気仙沼まで実に12時間近くかけて北陸を抜けてきた。 こんな状態で親の死に目に対面してから今度は東京へといった具合。 これは危ないなぁと思ったのでオジサンの車はオレが運転。
都内の道もまぁわかるしいいだろうとは思った。 でも首都高はわかんねぇんだよなぁ。ほとんど乗らないし。
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