今日は昼間祖母のお見舞いにいって、久し振りに 相談にのってもらいました。 ほんとうに今日は奇跡的に(?)元気で、頭もはっきりしていて 祖母は夢で旅行先に行って部屋で寝ていたら つい排泄したくなって、でも夢では自分は元気に動いていたから 布団でしちゃって罪悪感を感じて大きな声で叫んでしまって でも現実ではカテーテルがあるからしても平気、だと。 看護婦さんが大きな声を出しているのを聞いてかけつけてくれて ここではしても平気なんですよ、っていってくれたと。 でも本人にしてみれば床ずれの手術後も痛むし、することに罪悪感も あるしで、大変らしい。 私は今与えられた試練だよ、って簡単にいえるし、痛みを 感じられるのも良いことだよともいえるけど。 実際自分がリウマチになった時、そうは絶対に思えないはずだ。 今まで自分が出来たことが出来なくなるのが老いだとも思わない。 これから高齢化社会になるこの時代に、ただ生き長らえることは 悲しくもあって、そして難しくもある。 やはり目標がないと人間は駄目になる。 なんで受け止められるのだろうか。絶対に受け止めることは出来ずに どこかで諦めて、そういう自分の状態を受け入れることに自分の考えを 向けているとしか思えない。
よく、キリスト教でというか、神様のくれた試練、という言葉を 宗教観の一つとして言うことがある。 でも、宗教観ってなんだろう。 私は試練という試練は受けたことはないけど、いわゆるいじめを 受けたことによって自分が他人に対して過敏に反応したりとか こういう部分が悪いと反省することによって多少は昔よりかは 変わったはずで、それは良い傾向に転んだことになるのだろうか。 祖母の場合は体に来ていて、本来ならもう少し元気なはずの自分の 姿を感じられないまま病気の進行を受け止めるしかない。 私は人が与えられた時間が「今が休む時間」とも思えない。 忙しかった時代があるのだから、休息時間を神がくれたなんて 思えない。 試練がそれぞれにあるとも思えない。 だって何のために医学があるのかそれじゃあわからないし、素人が 綺麗ごとをいったところで現実は変わらないのは分かるけど。
排泄一つとっても罪悪感がある祖母。 罪悪感を持つということは人間の尊厳をやはりこころの何処かで 持っているからで、恥ずかしいというのは他人に始末をしてもらうのが 悪いとかそういう大義名分よりも先にまず自分が人間として機能できていないから だと思う。 機械は発達したけど、それに今自分の力では祖母は何も出来ないけど それでも私は、人間の尊厳というのはいつになったってなくならないし なくしてはいけないものだと思う。 祖母は今、コンピューターのマウスひとつクリックする指の機能はない。 痛々しいけどかわいそうだなんて思うのは間違っている気がする。 助けるとこは助けるけど、自分でできるところは自分でやる。 そうやって家族は接している。
勉強することは何も形式ばったことをするだけじゃなくって 現実を見据えること。 私の場合は自分の力でもう一度仕事をして、自分の道を開くこと。
祖母は今「やってもらう」ことにいつも気を使っている。 お礼の言葉を絶対に言う。 でも最近は痛いときに痛いと言うようになった。 我慢しなくていいところは我慢しなくなったからだ。 人は正直に生きられるときには生きて、軋轢を生む前に何かを することも大事だ。 私はぶつかって失敗した、今度は祖母を見習う。 何事も吸収して、絶対に今度は失敗しない。
根気強く祖母に接してくださる病院の方々には感謝の言葉は いいつくしても足りないくらいだ。 祖母はきっと今までの病院よりは、少しは快適に過ごしているはず。
ルルドの水を母の友人からもらったらしく、とても喜んでいた。 一滴垂らしてお茶に入れた。 奇跡の水だから、奇跡は一つくらい起こってもらわないと割に合わない。 もちろん現世的な考えかもしれないけど、少なくても 最近の祖母の表情を見ると元気になってきたようだ。
今日は三時のおやつがスイカだったので一切れもらった。 おいしかった。 大部屋で周りの人たちは重病の方が多いので、いつも 申し訳ない申し訳ないと思いながら食べているそうだ。 祖母は気を使いすぎて病気になってしまったのではないかというくらい 心配になる位気を使う。 でも大勢の友人達に心配されて、大勢の人々が今の彼女を 見守っていてくれるのは彼女のそういう姿勢からだ。
末っ子で親に心配をかけさせたくなかったから頑張ったそうだ。 私は、何やってんだろうって思った。 色んな道があるっていってくれたけど、あたしはどうだ。 こんな腐れ人生でいいのかしらん、と心底落ちこんだ。 あたしは自分の力も伸ばさないまま、こんな状態でちゃらんぽらん。 いい加減にしろって思った。 いつもいい刺激を祖母からは受けるけど、なんでこうまで正直に 話したのか自分でも分からない。 初月給で毛布を買って、喜んでいる顔の裏で私はいつも やめるやめないで葛藤していた。 自分の中で「正直になる」っていうことはかっこつけることが 大好きなので無理だったのかもしれない。 でも今はなんもないんだから。 正直にいかないと、ね。 そうじゃないとあたしは確実に嘘つきのままで虚飾大好きな 人間にしかなれないじゃないか。
医学も信仰も必要だけど、私は何よりも祖母に今よりは 改善してもらいたい。 私は今近くに住んでいるんだから頑張って会いにいって もっといっぱい話す。私にできることをするの。 絶対に後悔しないように。 残念だけど私はしっかりなんかしていないし正しい考えなんて持っていないし 自分の生きたい道に進むだけです。
中高時代の後輩から電話があって、久し振りに話したとき 今の私の現状を伝えてしまったのは多少今日の出来事が影響しているから でしょうね。 いつもの私なら強がっていただろーに。 でも私、嘘つきのままでこのまま生きるより 正直に、より近づく練習をします。
由都にだけは、ウソつきたくない。 彼女にだけは、重くても、私が彼女の何かを受け止められなくても 私のわがままでも、それでもウソつきたくない。 存在していてよかったって思える瞬間がいつもあるから もっと大事にしたいよ。 もっと大事にしなきゃいけないのよ。
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