オミズの花道
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『 スイを取り戻せ!! 』
2003年09月24日(水)
粋、という漢字を江戸では 『イキ』 と読み、上方では 『スイ』 と読む。
この言葉、言語学は勿論のこと民俗学や歴史学など、様々な観点をもってしても諸説あって、未だにクッキリとは定まらない言葉だ。
語源の要素一つとっても、成り立つものは正反対。
江戸の 『イキ』 は「赤勝の京紫より青勝の江戸紫」の言葉や、形状においては交わる事の無い縞の目を指す。
その深意としては「隠れた所に贅を尽くす」などがあり、物事を明ではなく暗に表す時に使われるようになって行った。
そう、どちらかというと目に見える色や形が、イキと発音する言葉の素だったのである。
対して上方の 『スイ』 は、中国から到来した、「感覚的に艶やかである」と云う意から来ている。
目には見えず、形にも無いのに艶やかな、とは、上記の視覚だけでなく、触覚や嗅覚も含まれる領域なのだろうか。
何とも不思議に掴み所が無い。
だがこの掴み所の無い艶やかさこそ、上方を表すのに相応しいように思う。
スイの街、上方・・・・。
ミナミの料亭
『南地大和屋』
が閉鎖した。
記事にもあるように、この不況だけが大和屋の首を絞めたのではない。
この界隈への風俗店の乱立こそが、老舗料亭南地大和屋に引導を渡したのだ。
少し検索して戴ければお解かりだと思うのだが、南地大和屋は120年続く老舗料亭であり、料亭でありながら上方文化の担い手でもあった。
能舞台を持ち、大和屋独自で芸奴養成所を開き、上方座敷舞を普及させ、食と文化を重んじる上方気質の砦。
その偉大なる功績たるや、もはやただの老舗料亭とは言えない域に達していたのである。
・・・・経営陣としても、この老舗料亭を「続けること」は出来ただろうと思う。
大和屋は他にも同店舗を持っているし、あの広大な土地を縮小し、人員削減をすれば、小さいながらも看板を残す事は、充分に可能であったろう。
ましてや関西財界人には特別に思い入れのある料亭だ。維持を望む声、援助の手は数え切れない程にあったと推察する。
だが、あえてそれを拒んだ。
この拒否は、ミナミに生きる全ての人間に対しての、大和屋が発した怒りの叫びである、と私は思う。
賛否両論あるだろうが、個人的にはこの南地大和屋の、血まみれの英断に私は心から拍手を贈りたい。
今回は少々怒りを持って書くが、ミナミの人間は本当に自分の町を愛しているのか?はなはだ疑問に思う時がある。
なぜもっと自分の街を守ろうとしないのだ?
なぜ己の居場所が無くなると解っているのに戦おうとしないのだ?
その疑問は私がミナミに出て来てからずっと感じていた事で、一年以上経った今も澱の様に心の底に溜まってしまった疑問である。
今の宗右衛門町は、もはや昔の面影など微塵も無い。
毒々しい光に溢れた風俗店案内所が乱立し、安っぽいドレスやコスプレ衣装を纏った女性が客引きをし、行儀もクソも無い若造の黒服が、露骨な言葉をむき出しにセクキャバの客引きをしている。
そうかと思えばこれまた行儀の悪い言葉遣いも知らないホストが、風俗の女性や我々水商売の女性をターゲットに客引きをしている。
最近はこの手の輩が三津寺筋にまで侵食して来ていて、その惨状たるや目に余るものがある。
かつて歌にまで歌われた宗右衛門町の風情は、もうすでに死に絶えてしまった。
大和屋は、恥じたのだ。
今のミナミを恥じたのだ。
このミナミを捨てたのだ。
誰よりもこの街を愛しているからこそ。
小さくとも看板を残し、この場所で生き残ることは、この惨状を許す事になってしまう。
それを受け入れてしまうという事は、今までの己が料亭の成した功績も、そして出入りして下さるお客様の誇りも、何もかも捨てて失ってしまう事だ、と誰よりも理解しているのだ。
鶴林が閉店した時とは比べ物にならない。
金銭的なトラブルが理由で閉鎖するのと、環境の悪化が最大の理由で閉鎖するのは、天と地程も開きがある。
南地大和屋はミナミへの恥に半ば怒りを持って、ミナミの街に生きる全ての人間に、その身を削って閉鎖という決断を示した。
この決断の方がずっと、この街に対する愛情に思えるのは、私だけでは無い筈だ。
若い世代はともかく、熟年層のお客様に南地大和屋閉鎖のニュースは衝撃的であった。
そして業種を問わず店舗を構えるオーナーからも気力を奪ったし、働く私達から見てもミナミの大きな火が消えたのは理解出来た。
大和屋の決断は、彼等が願うほどの効力は持たなかったかも知れないが、それでも我々一人一人の心に、大きなものを残した。
ここ5〜7年の間にミナミは激変した。もう昔の面影は殆ど残っていない、と言っていいくらいに。
千年町界隈に至ってはまるでコリアンタウンのようで、すれ違いざまに日本語を聞くことも少ないくらいだ。隣の玉屋町筋にもその波は押し寄せている。
唯一ミナミらしさを残すのは、八幡筋から北の筋と、笠屋、畳屋、の2筋しか残っていないだろう。
これでいい筈がない。雑多が運命の繁華街に「法則」は無いに等しいが、その雑多と猥雑さの中にも、守らねばならぬ姿勢は絶対にあるはずだ。色と欲で薄汚れた中にも、保たねばならぬ誇りはある筈だ。
今現在、北新地と掛け持ちで働く私には、それが「何か」クッキリと見える。
新地の人間は、自分の生きる街を心から愛し、守っている。
朝方の北新地の街並みをゆっくり歩いた時に、胸が痛くなるほどそれが良く解った。
明け方の北新地には、タバコの吸殻程度のゴミしか落ちていない。
日本の歓楽街の中で、これは祇園に継ぐ奇跡だと言える。
『どんなにヘベレケに酔うとっても、掃除だけはして帰るんや。
自分の店の前だけ散らかっとったら、みっともないし、隣近所に申し訳ないよって。』
明け方まで営む寿司屋の大将は、そう言いながら自ら店の前を丁寧に掃除する。
酔ったお客様が車に当たらぬように、歩道を整備し、放置自転車も排除する。
ゴミを捨てさせない何よりの手段は、街を汚れたまま置かぬこと。
そして、飲み屋は新地、風俗は東通というふうに、水と風の境目はキッチリつける。
キャバクラでさえ当初、キタの人間は良い顔をしなかったのだという。
(勿論裏にはいろんな駆け引きや密約はあるのだけれども)
気取っている、お高い、などではない。
楽な方向に逃げず、飲み屋として引かねばならぬラインを、キタの人間は守って来たのだ。
そのプライドは誰あろうお客様の為に。
遊びにいらして恥ずかしい街であってはならぬから。
苦しくともその姿勢を守って来たから、いかな不景気とはいえ、北新地はミナミのような環境悪化を防ぐ事が出来たのだ。
大阪という土地柄なら、尚更この努力は並大抵ではない。
地域が己の利害を捨て、本当の意味で団結し、乗り切らなければ成しえなかったであろう。
この両極端な例を目の当たりに見て、そして大和屋の英断を見て、強く思う。
いかにこのミナミがゴミの尽きること無い24時間眠らない街でも、若者が伸してくる場所であろうとも、金が物を言い、幅を利かす世界であろうとも、外国人が何十パーセントも占める環境であろうとも、
もうこれ以上、許してはならないのだ。
絶対に許してはならない。
自分の生きる街を愛さない、
自分の中にあるそんな気持ちを、
もう決して許してはならないのだ。
スイ、であれ。
その柔らかく甘いものに包まれた言葉の意味を知り、
掴み所の無い艶やかさを取り戻せ。
上方の誇りと意地を取り戻せ。
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