無責任賛歌
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| 2001年07月25日(水) |
福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか |
半ドン生活になればゆっくり眠る時間が取れるかと思ったら、そうでもない。 時間があればあったで、読みたい本、見たい映画はあるもので、つい読み耽り、ビデオ三昧の生活を続けてしまうものだ。 私はあまり頭がよいほうではないので、一読三歎というわけにはいかない。二読半歎、三読一歎くらいが関の山である。 それで、一度読んだ本は読み返し、一回見た映画もビデオで何度も見返すことになるのだが、そのたびにやはり新しい発見がある。 と言うか、最初読んだ(見た)ときには、たいていなにかを見落としているのである。
一昨日の日記に『チビ太の金庫やぶり』の元ネタはなんだっけ? と書いたら友人から「そりゃO.ヘンリーの『改心』やんか、ボケとんのかワレ」(東京人だからこんな喋り方はしないが)と指摘があった。 おお慌てで岩波文庫の『オー・ヘンリー傑作選』を引っ張り出して読み返してみれば、まさにその通り。読んでるのになあ、なんで忘れるかなあ、と思いながらほかの短編を読み返してみたら。 おい、大丈夫か、私の脳。 『賢者の贈り物』も『警官と賛美歌』も、中学・高校の教科書に載るくらい有名で対訳本なんぞも出ているというのにまるで初読。いや、初読のはずはないのだ、その対訳本で訳したという記憶はあるのだから。……それとも訳がヘタクソで私は全く違う物語にしてしまっていたのか? あの有名な『最後の一葉』はどうだろう、と恐る恐る読み返してみたら、これも同様。いや筋こそ同じだけれど、私の記憶の中には、雨が吹き荒ぶ中、絵筆を持って壁に描いた一葉の色が落ちぬよう、何度も塗りなおすジイさん(ベールマンって名前だったんだね)の姿と、「神様! 私に今少しの命を!」と叫ぶセリフまで鮮明に残っていたのに、原作にはそんなシーン、全くないのである。 ……記憶は作られるってホントだなあ。
これは「なにかを見落としてる」例ではなくて、「なにかを作り上げてる」例だったな。だからまあ、本は何度か読み返さねばならないという結論は同じだけどね。
早朝3時。 しげがいつものように仕事から帰ってきた……と思ったら、いつもと違って、気の抜けた声をあげて、 「助けてぇ〜。o(ToT)o 」 「……どしたん?」 「いきなりギックリ腰になった」 仕事中、何か重いものを持った瞬間にギクッと来たらしい。 立ってても痛い、寝てても痛いというのだが、その様子にまるで悲壮感がない。 いや、本人が本気で痛くて苦しんでるのは解るんだけどさあ、痛みがズキンと走るたびに、「あひ〜」とか「うひ〜」なんてアニメみたいな悲鳴上げられてたら、こっちは心配する前に笑っちゃうんだよ。 冷酷な夫ですまないが、面白すぎるしげが悪いのだ。 「儚さ」とか「切なげ」という言葉がおそらく世界で一番似合わない女だからなあ。
かと言って、見てて笑ってるわけにもいかないので、風邪引いてることでもあるし、医者に絶対行くように厳命して仕事に出かける。 出かけようとして、ふと、気づいて振り帰り(コロンボか)、しげに言う。 「……自転車で行くなよ。タクシーで行けよ」 「どうして?」 「その腰で乗れるンかい!」 「ああ、そうか」 私が言わなきゃ、自転車に乗るつもりでいたらしい。で、乗ろうとした瞬間、腰を痛めてることに気がついて「あうっ」となるに決まってるのだな。 風邪引きの時もそうだが、薬で熱を抑えると「治った」、安静にしていて痛みを感じないでいると「治った」と勘違いするくらい、しげは鶏頭なのである。 ああ、こんな馬鹿が現実に存在するのだ。 世界は不思議でいっぱいだナア。
帰宅してみると、しげは腰にサポーターを巻いて、のへ〜っとくたばっている。 「どうだった?」 「どうって、湿布と薬もらったよ」 「それだけ? 入院はしなくていいのか?」 「なんで。入院しろなんて言われてないよ」 ……こいつは、去年、車にはねられた時に入院を拒否してこっちに迷惑かけまくったこと、もう忘れているのだな。保険がおりる分だけそうしてもらった方が助かるんだけど。 実際マトモに身動きすることも出来ないくせに、入院しないでほっといてもいいものなのか? 寝て湿布するだけで治るものなの? ともかく動けないというならしかたがない。家事は私がやるしかないので、買い物に出かけることにする。
「買い物に行くけど、ほしいものはあるか?」 「二ク〜」 それしかないんか、お前は。 「あと、『モナ王』。アンタが私の食べたやつ」 ……昨日、冷凍庫に一つだけ「モナ王」があったので、てっきりしげが私の分を買っておいてくれたのだと思って、食べてしまっていたのだ。 観測が甘かった。 私は買い物をすると、必ずしげの分も買っておくのだが、しげは自分の分しか買わないヤツなのであった。 「『モナ王』返せ〜」 「わかったよ、買って返すよ」 そう返事はしたものの、実はこれはむちゃくちゃ理不尽な話なのだ。 なぜなら、私が一昨日買っておいた牛肉四人前、私がひと切れも食べないうちにしげに食いつくされているのだから。
「のどシュッシュ(喉に噴霧する薬の事らしい)も買ってきてねえ」 というわけで、薬局を回って、スーパー「大栄」で冷凍食品だのレトルトおかゆだの、手間のかからぬものばかりを買う。 ちょうど土用の丑の日でウナギがやたらと置いてあったので、それも買う。 二尾で680円ってのは高いのか安いのか。鰻屋で食うのに比べりゃ安いのはわかるんだけど。 帰宅してしげと二人で、温めて食ったが、身はポロポロでマズイとは言わんがウマイと言うほどでもない。ウナギは高くてもやはり炭火焼の店で食べるのに限る。 そう言えば「柳川屋」にももう何ヶ月も行ってないなあ。
結局、しげは仕事も休み。 毎年、夏の時期になるとなんだかんだで仕事を休むのはよくないぞ。
『キネマ旬報』8月下旬号、特集は『猿の惑星』だけれど、表紙で猿たちに「見ざる聞かざる言わざる」のポーズを取らせてるのは日本向けのキャンペーンのつもりなのだろうか。 ……「面白い」と「つまんない」の境界線にあるようなアイデアだなあ。 いわゆるこの「三猿」、日光東照宮の彫刻が有名だし、日本語としてうまくシャレになってもいるので、日本オリジナルと思われがちだが、やはりインド・中国経由で伝わってきたもの。地方によっては股間を押さえた「せざる」ってのもあるらしいが、まあそれだけ「猿」ってのが欲望の象徴として見られてたってことなんだろうな。 で、『猿の惑星』の原作者、ピエール・ブール。 ご承知のとおり、『戦場にかける橋』の原作者でもある。ビルマ戦線において日本群に抑留された経験もある筆者、この『猿の惑星』もその時の経験をもとにして書いた、という説が根強い。 となると、あの猿たちも日本軍ってことになるわけだけれど、だからって腹を立てるほど私ゃナショナリスティックでもないので、素直にSFとして楽しめればいいなあ、と28日の公開を待ち望んでいるのである。
基本的に映画を見るまで特集記事はザッとしか目を通さないことにしてるので、結局読むのは新作映画の制作状況ってことになる。 冬目景の『羊のうた』を加藤夏希で映画化ってのは個人的には期待しちゃいたいとこなんだけど、原作がまだ事件らしい事件も起こっていない、設定紹介の段階での映画化ってのは、ちょっと早すぎるんじゃないのか。 でも仮にも一本映画を作ろうってんだから、途中で尻切れトンボってことにはしてほしくない。原作と違ったオリジナルな展開になって構わないから、一つの世界をちゃんと構築して完結させてほしいのである。 加藤夏希は、SF・特撮ものばかりに出演してくれるのは嬉しいのだけれども、『ロボコン』『まぼペン』『エコエコ』と並べてみると、どうにもこれが新世紀のSF特撮ドラマだ!って力のあるものがない。 そりゃ考えて見れば当たり前で、これ三作ともリメイクなのだ。 特撮オタクってのは、ストーカー的なヤツも中にはいるみたいだが、一度ファンになったら、簡単に目移りしないでそのヒーロー、ヒロインを愛し続ける律儀さを持っている。しかし、そのためにはやっぱり「作品」自体に力がなくてはダメなのである。 いくら『透明ドリちゃん』の柿崎澄子はよかったよねエ、と言ったって、誰が見てたんだそんなん、と言われてしまうのである。 『羊』に私がなぜ期待するか、なぜそんなに加藤夏希に入れこむか。 だって、ここしばらくの特撮ヒロインで、ずっと特撮ものに出演し続けてくれてる女優がどれだけいるかね? とりあえずファンをつける、あるいはトレンディドラマに出演するためのきっかけにする、そんな感じで出演してるやつが多くないか? どうして水野美紀のフィルモグラフィーから『くノ一忍法帖』『くノ一忍法帖�供\讃�女の秘宝』がカットされているのだ。そんなに恥ずかしい役だったのか。はっきり言うが、『ガメラ2』の誰が演じたって変わらんような役柄や、『踊る大捜査線』みたいにどこに出てたかわからんような役より、よっぽど輝いてたぞ。 ファンはいいんだけど、製作スタッフが役者を大事にしないってのが、やっぱり情が薄いと思うんだよなあ。 特撮番組、子供番組に出たせいで、次の仕事が来なくなったって例、いくらでもあるじゃないか。なぜ次の仕事でも使わない。どうして特撮関係者の男優は悪役に、女優はアダルトに行かねばならんのだ(ちょっと嬉しい面はあるけど)。 俳優を使い捨てにする製作状況に対して、ファンとして腹を立てているのだ。 ……断言しよう。加藤夏希は逸材である。 いや、演技的にじゃなくて、特撮ものに偏見がないという点においてだ。 CSのガイドやってる様子見てると、素顔は意外と能天気な姉ちゃんらしいのだが(だからこそ特撮ものにばかり出てるのかもしれないが)、あまり馬鹿にしないでみんなで大事に育てていこうよ。
『庵野秀明のフタリシバイ』。 庵野秀明の、アニメ関係者が殆どいない対談集。というか、殆ど演劇関係者ではないの。 鴻上尚史、野田秀樹、幾原邦彦、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松尾スズキ、いのうえひでのり、常盤響、田口ランディ、林原めぐみ、Dr.エクアドル。 「もう私、アニメには興味ありませーん」って感じが見て取れるな。 で、当然話はアニメよりも「演劇とはなにか」みたいな話ばかりになっちゃうわけだ。この本、サブカルチャーの本棚に平積みになってたんだけど、演劇棚に置いておいた方がいいんじゃないか。
ある意味、庵野秀明というヒトは、インタビュアーとして類稀なる才能を持った人だと言えるかもしれない。 以前、大島渚と対談した時に、「戦争世代や全共闘世代の人はいいですよね、共通体験というか核があって。私たちにはアニメしかないですから。空っぽなんです」と、恐ろしいことを言ってのけていた。 ……あれだね、これ、普通言っちゃいけないことなんだけどね。言ってみれば、乙武広匡に対して「いいよね、五体不満足で語ることがあるから」と言っちゃうようなもんだ。 それをあえて言うってのは、「私は空っぽです」ってことを自分の立場として開き直ってるわけで、この人の「もう作るものがない」「自殺しそうになった」とか、一連の消極的発言はウソとは言いきれないが、それが庵野さんの創作する立場なのだから、こちらがいちいち心配する必要はないのである。 でも演劇関係者ってのはこういう言葉にいちいち反応するのだね。 例えば鴻上尚史との対談。 鴻上さんは『エヴァ』に並々ならぬ興味を持っていて、なんとか庵野さんから創作の秘密を聞き出そうとするのだが、庵野さんの答えは「そうです」「はい」「いえ」ばかり。結局気がつくと鴻上さんが「演劇の秘密」を語っているのである。 「目の前に役者いるのにノートにね、役者の配置とか描いてる奴はろくな奴じゃないです。演劇なら動いてもらった方がすぐわかる」 「僕らが芝居でね、謎を出すのは、世界って結局微笑みはしないし、世界は決して僕らの了解可能なものではなくて、その中で生きていくしかないのだから、了解可能な世界というものが嘘くさいっていうものがあって」 ……熱く語るよなあ、演劇モノは。 しかも自分は冷静で斜に構えてるつもりだから始末に悪いのだ。だいたい、これだけの演劇人にあって話を聞いてりゃ、どこかで対立があってもいいくらいなのに、この対談集、見事なくらいに対立が存在しないのである。 野田秀樹の天皇話なんか、庵野さんにとってはどうでもいいことだろうに、それでも受け答えしてるんだものなあ。 食えない人なのである。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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