無責任賛歌
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| 2002年12月14日(土) |
You bet your life!/映画『とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』/『ゴジラ×メカゴジラ』 |
石原慎太郎都知事の「ババア」発言が波紋を呼んでいるそうである。 昨年11月の(1年以上も前じゃないか)女性週刊誌のインタビューで、「文明がもたらした、もっとも悪しき有害なものは、ババアなんだそうだ」と言ったことに対して、女性市民団体が損害倍賞請求訴訟を提訴する動きを見せてるんだってさ。損害倍賞って……誰がどう傷ついたって言うの? と言うことは、この女性市民団体とやらは、自分たちが身勝手で汚らしく私利私欲に走ったエゴイストのババアの集まりだってことを自覚してるってことなんだね? 自らの存在が「有害」であることが事実だからこそ、「このババアっての、私たちのことよ! キイイ、図星指されちゃったわ、悔しいィィィ!」と頭に血が上って提訴なんて愚挙に出たんでしょう。やっぱり群れになってるんだねえ、ババアは。 これらのババア、有害であることに加えて馬鹿でもある。石原さんが老人の女性の全般を指してババアって発言してるわけじゃないってことくらい、小学生でも理解できそうなものだが、もちろんこのババアどもは、脳軟化症を若年時から起こしているので、そんなこと全く理解できないのだ。しかもこれ、東大大学院教授の言葉を引用しただけで、石原さん本人の発言じゃないし(^_^;)。向ける矛先、間違えてるぞ、ババアさんたち。 石原さんは「人間のつくった文明が地球の循環を狂わせてしまったということ。ラジカルな物の言い方だが、文明論的には当たっているかなと思った。しかし、政治家自身の口からは言えませんな、と言ったわけで。まあ、何をされても結構ですが」と皮肉混じりに事情を説明しているが、これで納得できなければ、その女性団体のババアどもは馬鹿の上にカスであろう。こんな団体がのさばってるから、女性の社会における地位向上の足が引っ張られるのである。 女性のみなさん、こういう腐れた井戸に涌いたボウフラのような連中はさっさと駆除した方がいいんじゃないかと思いますが、いかがですか。 石原さんの失言を、いちいち俎上に乗せたがる人がいるけれど、はっきり言って有名人のウ○コにたかる蝿のようなものである。例の「三国人」発言にしたところで、不法入国者の犯罪をどうするかって問題が現実に目の前にあって、それについての議論の中での発言だったのに、その発言だけを捕らえて鬼の首でも取ったかのように蝿が寄ってくること寄ってくること。みっともないとは思わんのかね? ただの言葉の揚げ足取りにしかなってないから、結局は「アホか」ということになるんである。 今回の件では、「やっぱりババアは有害なんだ」ということがその女性団体とやらの動きによって大衆の前に露になってしまいました。困ったことに、私たち男の目には、初めその人が普通のおばあさんなのか、心の腐れ切ったババアなのか、ちょっと見だけでは区別がつきかねます。とりあえず「ババア」と呼んで怒る人はホントにババアで、怒らない人はおばあさんだったりしますが、これはちょっと危険な確かめ方ですね。 私たち男にそんな余計な確かめ方をさせないですむよう、女性のみなさん、ババアとかクソババアとか呼ばれたりしない、普通のおばあさんになるように心がけてくださいね。迷惑やたらかけられてるんですから、お願いしますよホント。
さて、今日は12月14日である。……と言われてピンと来られた方がどれだけいるだろう。 今日はもしかしたら、私にとって特別な日となるかもしれない。 そう、私は人生最大の「賭け」に出たのだ。この賭けに私は勝てるのか。 勝算はない。あるとしても恐らくは10%……いや、それ以下だろう。しかし私は闘わなければならない。男には、負けるとわかっていても闘わなければならないときがあるのだ。そうだろう、アンタレス。 なぜならこれは、「愛」のための闘いであるからだ。
「……今年も行くと?」 「行くよ、行くに決まってるじゃん」 「……なんで毎年つまらないって判ってるのに行くと?」 「つまらないって言うほどじゃないよ。やっぱ特撮は進歩してるし」 「でも話がダメじゃん」 「そりゃ、1作目は絶品だし、どうあがいたって、アレを超えられるはずはないんだから、そこそこの出来で満足してもらわないと……」 「おれ、アレに、高いハードルなんて要求してないよ? つまんないプロレスがなきゃそれで充分だし」 「じゃ、行きたくない?」 「行ってもいいけど、その代わり見に行ったらDVDを買うのはナシね」 「そりゃ違うだろう! だって映画を見て面白かったらやっぱりDVD買うってことあるじゃん!」 「じゃあ、今度の面白いの?」 「面白いって言ってた」 「誰が?」 「『キネ旬』」 「どう面白いって?」 「平成以降のシリーズの中じゃ『最高傑作』だって」 「『平成じゃ』でしょ?」 「……わかった! ともかくまずオレが一人で見に行く! そんでもって面白かったらお前を誘う! で、お前も面白かったらDVD買ってもいいだろう?! もちろん、面白くなかったのに『面白かった』なんてウソをつくような卑怯なマネは、映画ファンのハシクレとして絶対にしない! これでどうだ!」 「いいけど……勝つ自信あるの?」 「勝つ! 今度こそ!」
で、見に行きましたよ、『ゴジラ×メカゴジラ』。 帰宅した私がしげと全く口をきかなかったのは、言わずもがなでございます。
気を取りなおして、一応、感想書きましょうかね。全く気乗りがしませんが。 場所は天神東宝、初日第1回、朝の9時。 相当混んでるかと思ったが、それほどでもない。座席数246のコヤに、満員にちょっと足りないくらい。お子さん連れ以外にも大きいお友達がチラホラいるが、あれはゴジラのファンかそれとも釈のファンか。全員プレゼントのメカハムゴジ、子供さんにだけかと思ったら私にもくれた。嬉しいような、メカゴジラがハム太郎に乗っ取られて悔しいような。
さて、まずは昨年、悪評紛々だった『とっとこハム太郎』の映画化第2弾、『ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』。 昨年は、オープニングでお子さまたちが一斉に主題歌を唄いだして、困ったものだったが、今年は静かなもの。もう歌い飽きたか? 話は一応前作の続きになってるらしい。ハムハムランドから持って帰ってきた書物には、ハムスターたちの故郷、ハムージャ王国の伝説の記録が。 その記録にあった「ハムハムハムージャ」という呪文を覚えたハム太郎の夢に、不思議なハムスターのお姫さまのイリュージョンが浮かんでくる。 「助けて……私を助けて……」 ああ、もう未だにこのパターンやりますか(-_-;)。しかもヒロインったって、所詮太ったハムスターだからねえ。『スターウォーズ』最初に見たときも「お姫さまがこんなブ○○○○でいいの?」と思っちゃったけど、それを上回る異常なインパクトだね。 ハムージャ王国に行く方法も簡単で、月夜の砂場にお城を作って呪文を唱えるだけ。異界への扉を開くワクワク感が全くない。ここでようやく出るタイトルだけれど、その直前はやっぱり出��統ストップモーション! ……なんつーかねー、もう私ゃ飽き飽きしてるんスけど、出��ファンはこれが楽しみなんでしょーねー。今回は前作よりも繰り返しカットやストップモーションが多いんで、出��ファンは大満足なのかもねー。ハムスターにそれやられても別に興奮しないんスけど。 ここから先、ミニハムずやモーハムず&ゴハムの踊りだの、CG全開の展開は昨年と同じだけど、楽しいのかなあ、ネズミのモー娘。。(←句点が二つは間違いではない)みんなもう「ハムハムハムージャ!」って繰り返すばかりだから、段々アタマの中がその呪文でいっぱいになっちゃって、気分は洗脳状態。オウムアニメかこれは。去年よりもトリップムービーになっとるんとちゃうか?(-_-;)。 猫の魔法使いサバクーニャの登場で少しは話が動くかと思ったら、もうここからは『長靴をはいた猫』というか『ルパン三世・じゃじゃ馬娘を救い出せ!』だからねえ。新味は全くと言っていいほどない。サバクーニャ役の安原義人の好演がなかったら寝ちゃうとこでした。実はウトウトしたけど。 思うんだけど、ヒロインであるシェーラ姫のキャラクター造型にそもそもの失敗があるのではないか。いや、所詮ハムスターじゃん、というのはとりあえず置いとくとしても、サバクーニャ復活の原因作ったのがこいつの考えナシの行動だし、ワガママ姫の言動にハム太郎振りまわされっぱなしだし、最後は結局、ハム太郎からハムーハ王子に乗り返るし、アンタ、子供向けアニメのヒロインにこんな性悪女を設定するんですか(^_^;)。フツーはワガママに見えても実は寂しがり屋さんとか、そのキャラに「救い」を作るものではょうが。最後、ハム太郎に「ごめんね」のヒトコトくらいあっていいんじゃねーのかシェーラ姫。しばくぞ。 そんでもって、シメが本当のハム太郎の故郷はロコちゃんのところって……『青い鳥』っつーか『オズの魔法使』っつーか、最後まで工夫ナシのパクリですか。……もう溜め息しか出ませんね。
前座がこのテイタラクだと、否が応でも『ゴジラ』本編に期待しちゃうものです。ゴジラシリーズももう26作。けれど、我々の世代がゴジラをゴジラとして認識してるのって、ホントに昭和ゴジラも前半、初期のゴジラ、5、6作程度なんだよね。なんたって「東宝チャンピオン祭り」で『キンゴジ』も『モスゴジ』も『三大ゴジ』も全部見てるから、新作の『ゴジラの息子』や『怪獣総進撃』、『オール怪獣大進撃』より、昔の特撮の方がよっぽどいいじゃん、と子供心に理解していたのだ。もちろんこれは、円谷英二とそのお弟子さんたちの力量の差に起因してることだったんだけど。 ましてや昭和後期シリーズや平成ゴジラシリーズは本家会社が作ったパチモンにしか見えなかったわけで。 でも、出だしの緊迫感はなかなかのものでしたね。 1999年、1954年以来45年ぶりのゴジラ襲来に浮き足立つ特生(特殊生物対策)自衛隊。陰鬱な空の描写、やがて来る嵐、大雨の中、埠頭に現われるゴジラ2世。……ちょっとワクワクしたんだけど、テレビレポーターの後ろからゴジラの頭部が現われるシーンで拍子抜け。もういやって言うほど繰り返されてるシチュエーションなんでつまんなかったってこともあるけれど、それより何より問題なのは、遠近法に失敗してるという初歩的なミス(^_^;)。ゴジラ、すげえ小っちゃいんでやんの。本編に入って街を破壊し始めるまで、今回のゴジラってせいぜい10メートル? とか思っちゃったし。 もちろんここでの演出の目的は、ヒロインの家城茜(釈由美子)が、ゴジラ攻撃に際して誤って同僚を殺してしまう、そのシークエンスを描くことにある。なぜ茜がゴジラと戦おうとするのか、その動機を観客に納得させるためには当然必要なことだ。 けど、これ、別に茜が殺したわけじゃないじゃん? どっちかって言うと、浮き足立ってメーサー砲のそばに近づいてった葉山兄(森末慎二)の方がバカなだけって思うけどねえ。茜の操縦ミスと言っても、観客からはだの不可効力にしか見えないんだけどなあ。 茜、メーサー扱ってるんだから、彼女を「人殺し」として描くんだったら、メーサーで森末を殺さないとダメじゃん。ゴジラ射程内に森末の車輌があるのに気付かなくて撃ったとかさ。もちろんお子さま相手の商売だと、そんなの「残酷だ」ってことでできないんだろうけど(だったら最初から森末も殺すなよ)。 この段階での演出の「甘さ」が、このあとのストーリー全体の甘々感(という言葉は今作ったが)を象徴しているような気がするんである。
これからあとのトホホな展開はいちいち挙げてったらイヤになるくらい。 2003年、人工生物学者の湯原徳光(宅麻伸。このネーミング、ギャグのつもりか?)ほかの各界のスペシャリストたちが、ゴジラ対策のために政府によって召集される。このときこの湯原、一旦、その申し出を断るんだけどさあ、理由が「子供と一緒にいたいから」だよ。 オマエは人類の危機より子供のほうが大事かっ! 別にこれはマイホーム主義を非難してるんじゃなくて、映画の必然性について文句をつけてるんである。ゴジラなんて脅威でもなんでもない、みたいな印象を観客に与えてどうするのよ。しかも、政府高官、「子供を研究施設に入れてもいいですよ」とかとんでもないこと言い出すし。日本政府に機密保持の感覚はないのか。なさそうだけど。 で、この湯原、メカゴジラ=機龍のオペーレーターに復帰した茜にコナかけてくのよ。ああ、ゴジラ映画がどんどん三文芝居に毒されてく……。こーゆー寒い展開に耐えられる人って、私生活でも湯原みたいに寂しいんじゃないかって気がしてくるけど、違いますか。 一度ミスを犯した茜がたいした状況の変化もないのに簡単にオペレーターに復帰できたのも謎ですねー。もちろん機龍隊の隊長・冨樫(高杉亘)のヒキがあったってことにはなってるけど、それだけしか説明がないから、この二人、ただアヤシイだけじゃないかって見方も可能。ダメだよコドモ映画でそんなオトナの雰囲気漂わしちゃ(^o^)。 このへんはまだ許せるんだが(許せるのかよ)、もう匙投げちゃったのが、茜と同じ機龍隊に配属された葉山弟(友井雄亮)の設定と演技。いくら兄が茜のミスで死んじゃったからと言って、仮にも対ゴジラチームのエリートとして選抜されたはずの男がだよ、茜を逆恨みしてやたら感情的に「こんなやつの近くにいるとみんなも殺されますよ!」なんてオーバーアクトしちゃうのは、いくらなんでも芝居が安っぽすぎる。ホントの敵はゴジラで、茜じゃないだろ? そんな小学生にもわかる理屈がこいつにはわからんのか。こんなバカに治安を任せてんじゃねーよ(-_-;)。「人間ドラマ」ってこういう「バカを描く」ってことを言うんですか? てゆーか、脚本と監督がバカなのだね。 葉山にとって兄の死がトラウマになってるって設定自体は悪くない。 だからさあ、例えば、最初、葉山本人はそのことを自覚してなくてね、あくまで茜と協力してゴジラに対抗しようとしてるってことにしておいてさ、いざと言うときになって、茜が危機に陥ったときに彼女を助けようとするんだけれど、その瞬間にふと、忘れていたはずの「兄さんはこいつに殺されたんだ」という思いが涌きあがってきて、助けの手が止まって茜が死にかけるとかさあ……まあ、これも安っぽいことは安っぽいけれど、オーバーアクトよりはマシじゃないかね。もちょっと「人に見せられる」ものを書こうよ、脚本家。プロで一応食ってんだろ? そんな複雑な心理描写なんか、コドモにゃ難しすぎる、なんてのは、コドモの理解能力をバカにした発言だから、みだりに使わないようにね。既に我々の小学生の頃から「ゴジラシリーズで映画として見られるのは第一作のみ」ってのは常識だったんだから。だいたいゴジラ映画をオタクとコドモのオモチャに貶めちゃったのは、受け手よりも作り手の方の安易さに原因があったんだからさ。一般のお客は離れて行くって。
ほかにもデタラメな展開、つじつまの合わない設定など、ツッコミはいくらでもできる。 作中に挿入されるかつての作品、『モスラ』や『サンダ対ガイラ』と、本作との整合性が曖昧なところとか、湯原の娘・沙羅(小野寺華那)が「ゴジラだってメカゴジラだって生きてるのよ! どうして人間の都合で殺そうとするの!」なんて安っぽいヒューマニズム振りかざすところとか。葉山弟が殺すべきはこのムスメの方ではないのか(^_^;)。 物語が政府と特自の動きばかり追ってて、庶民の反応が殆ど描かれないとこもちょっとねえ。 いや、勢いで見せてくれる演出をしてくれてたら、そんなのはどうでもよく感じられるんだけれど、今回、「機龍を開発したことが、日本を軍事国家への道に歩ませることになるんじゃないか」というようなセリフや、機龍暴走による責任を取って「内閣総辞職もあるか」というニュースが流れる描写などが挿入されていると、再び機龍を対ゴジラ兵器として投入する決断を五十嵐総理(中尾彬)があっさりと取っちゃった瞬間、「おいおい、庶民はそれで納得しないだろ?」とツッコミ入れたくなってしまうのである。 ましてや、関東一円の電気を全てメカゴジラに投入するって……、あの、都内には電気を必要とする病院の患者さんたちも多数いるでしょ? その人たちは見殺しですか? 昔『スペクトルマン』じゃ、サンダーゲイに電気食われて手術中の患者が死ぬ、なんて悲惨な描写がちゃんと描かれてたもんだけどなあ。ゴジラ映画、ピープロ以下。誉められたもんじゃないよ、これ。
で、まあ、その辺はまだ軽いキズなんである(おいおい)。 もっとも、少しは誉めとかないと、コアなゴジラフリークにストーキングされちゃいそうだから、一応、「見応えがないわけではない」と言っとくけどね。ストーリーがあまり脇に逸れずに、茜を中心に対ゴジラの流れでまとめられてるってところはまあ及第点だろう。 感心したのは、初め遠隔操作で動かされていたメカゴジラが、故障後、茜が乗り込む形で再起動する描写。やっぱり巨大ロボット(サイボーグみたいなもんだけど)はパイロットが直接乗って操縦しないと、迫力が出るもんじゃない。
けれど、どうしても私には今回のゴジラもまた全体的な評価として言えば、「ダメじゃん」としか言えないのである。やっぱりさあ、あまりに「アレ」からのパクリが多すぎるよ。 「初代ゴジラ」の骨から生体ロボットを作る、という発想から、「あれ……?」と思い始めたけれど、メカゴジラ=機龍を「吊って」運んでいく描写、ゴジラに共鳴しての突然の暴走、機能停止と来て、動かない機龍を懸命に動かそうとレバーを何度も引く茜、「私は要らない人間」発言と来て、ついには「ヤシマ作戦」だもんなあ(元気玉だと思った人もいるようだけど、それは『ガメラ2』)(^_^;)。ラストバトルも見たような構図や動きがどんどこ出てくる。 これで脚本家や監督が「『エヴァ』? 見たことありましぇーん」とか、ディズニーみたいなこと言ったら、怒る人が出てくるんじゃないか。 で、これまた肝心の特撮がもう、情けない出来だからさあ。 ミニチュアもしょぼかったしメーサー砲の描写もシーンが少なかったし、それから、ガチンコするしか能のない怪獣どうしの争いならともかく、片方メカなのに怪獣プロレスをのっけからやるなよ。 アブソリュートゼロを発射するためには接近戦を避けなきゃなんないんじゃないの? 市街地での戦闘を避けるために接近してゴジラを捕まえて移動しなきゃなきゃならないとか言うんだったらわかるんだけどさ。 で、どうしてゴジラがやられないわけ? あれでゴジラがやられなきゃ、映画としての整合性自体が崩れちゃうじゃん。エンディングで茜が「あれは引き分け」って言ってるけど、殺せない限りは負けでしょう。永遠に引き分けさせるつもりかもしれんがな、東宝は。 ゴジラファンを標榜しておきながら、そんなに貶してどうする、とは毎年言われてることなんだが、アナタ、ゴジラファンが不毛の時代を何十年耐え続けてると思ってるのよ。例えば「凶悪連続殺人鬼」が「ゴメン」と一言謝ったからって、それだけで赦しちゃうかい? モンティ・パイソンのギャグじゃあるまいしよ。ちょっとやそっとの出来のよさじゃ、これまでの汚名は決して返上できるものではないのである。 ともかく、ヘタな人間ドラマとか、SFとしてのコリクツなんかどうでもいいから、「映画」として見られるものを作ってほしいんである。そこまで譲歩してオレはゴジラ映画見てるんだよ。これでも「誉めてる」方だ。別に『キネ旬』とかに認められる必要はないんだからさ、映画作ってよ、いい加減でさ。
規定枚数を越えたので、続きは次回の講釈にて。
2001年12月14日(金) 多分それは美しさではない/映画『ピストルオペラ』 2000年12月14日(木) 差別語なんて知らないよ/『銭豚』(ジョージ秋山)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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