無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年07月16日(水) トリビアン・トレビアン!/『濃爆おたく大統領』1巻(徳光康之)/『壁際の名言』(唐沢俊一)

 そのうち『世界仰天ニュース』あたりに取り上げられそうなニュース。
 今月10日のこと、場所は遠くイスラエル、ガリラヤ湖近郊の村。
 自宅で楽しそうに「フン、フン、フ〜ン」とか鼻歌唄いながらお掃除していたA子さん(32)、突然1匹のゴキブリがバタバタバタッ!と飛んできて、口の中に入ってしまった。
 ゴキブリは食道あたりウゾウゾウゾと動き回る。A子さん、思わず悲鳴を上げるけど、喉にゴキブリが詰まってるので「グェ〜! グェ〜!!」とヘンな声にしかならない。パニックに陥ったA子さん、頭に血が上って、そばにあったフォークに手を伸ばし、口の中に突っ込んだ。何とかゴキブリを引きずり出そうとしたんだろうけど、ものごと焦るといいこたない。勢いでそのままフォークもゴックン! あわれA子さんはそのまま病院送り。
 緊急手術は成功して、フォークは取り出せてA子さんも無事だったのだけれど、はてさて全く、アンビリーバボーな出来事というのはホントに日々生み出されているものである。事件の原因のゴキブリさんは、もう消化されてたんだとか(^o^)。
 この事件について、殺虫剤会社の「フマキラー」に取材したところによると(よく思いついた記者がいたな)、日本でも、子どもが誤ってチャバネゴキブリを飲み込んだりする例が数年に1度報告されるそうだ。
 「ゴキブリを飲みこんだ場合、病院に行くのがベストですが、生命力の強いゴキブリは、入ってすぐの食道ぐらいなら動き回れるでしょうが、しばらくすれば窒息死します」とか。
 案外、そう慌てなくても大丈夫、ということなのかね。なんか胃の中で毒撒き散らしてそうなイメージあるんだけど。
 私も昔、自転車に乗ってて、「何かが」口の中に飛び込んできたことがあって、飲みこんじゃったんだけど、アレは何だったのだろう。ここで「アレは実はUFOでした」とか「思いこめれば」、私もトンデモ本が書けるんだがなあ(^o^)。


 毎回、隔靴掻痒の『トリビアの泉』、もう録画するのはやめた(してたのか)。
 三木さんも唐沢さんも関わってるからなあ、と思ってたけど、やっぱ見ててツライわ。多分お二人とも今の番組の作り方には満足してないんじゃないかなあ。ま、勝手な憶測だけど。
 「童謡『ももたろう』の中で、彼は鬼に容赦しない」なんて、何がどう面白いんだか。唄の途中の「おもしろい おもしろい のこらず鬼を せめふせて 分捕物を えんやらや」の部分が残酷だとでも言いたいのだろうか。もともと鬼退治の話なんだから、ももたろうが鬼を容赦しちゃおかしいでしょう。これは話そのものに難癖をつけてるのと同じである。「かぐや姫は実は月の住人だった」なんてのでトリビアになるか(実は「月の向こう」に行くので、月人ではないのだが)。
 番組では、最初は可愛いマンガ風だった背景のイラストを、ここでいきなりリアルな責め絵みたいな絵柄に切り返るのだが、これはもう演出ではなく「ヤラセ」だ。……投稿ネタ、こんなのが選考を通過してるってことは、よっぽどどうしようもないネタしか集まってないのかなあ。

 ちょうど今、『ズームイン!! SUPER』の「ヤラセ」問題が話題になっている。数日前、番組内で羽鳥慎一アナが「ヤラセがありました、すみません」と謝っていて、何のことやら、と思っていたら、なんと福岡放送の仕業であった(^o^)。
 問題となったのは、「ズームアイ」の中で、「赤ひげ先生奮闘記」と題して、ホームレスの健康相談をタダでしてあげてる福岡市のお医者さんを紹介したものである。あるホームレスの男性が、両親への音信不通を詫びた手紙を書いて、それを親戚に渡すシーンを撮る際に、本当は手紙の受け取り拒否されていたのだけれど、スタッフが自分の知り合いに頼んで、親戚のフリをして撮影したとのこと。
 ドキュメンタリーとバラエティを比較して「ヤラセ」を語るのも乱暴には違いないのだが、番組の作り手の「いい加減さ」というのは共通してる気がする。よく「番組作りに熱心なあまり、つい暴走してしまった」みたいな言い訳を聞かされることがあるが、「熱心さ」ってのはそんなものじゃないだろう。番組が作れるかどうかっていう「焦り」はあったと思うけれども。
 必ずしも視聴率のことを想定してはいなかったとしても、画面を埋めるインパクトのある絵がほしい、と考えていたとは思うのである。
 「ももたろうの歌詞は別に何の変哲もないものである」
 この時点で、「そのネタをボツにする」選択を選ぶこともできたはずなのに、「なんとかネタとして笑えるものにしよう」「残酷な絵を入れて、ももたろうの残虐さを演出しよう」という方向に向かったのと、
 「本当はホームレスの男性は両親に許されていない」
 それならば、「現実には人間関係が簡単に修復できるものでもない」という事実を冷静に報道することもできたはずなのに、「なんとか誰も傷つかないみんなが幸せになれる話にしよう」「手紙を親戚の人がちゃんと受け取った絵を入れてハッピーエンドを演出しよう」とヤラセに走っちゃったのは、ディレクターの心理構造としては全く同じである。
 前者が特に責められず、後者が強い非難を浴びるのはなぜか。
 そりゃ、バラエティとニュースの違いだろう、というのはその通りなのだが、よく考えてみれば、『トリビアの泉』にそんな「ヤラセ」を誰かが求めているのかと言えば、実は誰も求めちゃいないだろう、とも言えるのだ。
 実のところ、「トリビア」で紹介されているネタ自体は、もともとそれほどおもしろいものでもない場合が圧倒的に多い。それを面白くするためにある程度の演出が必要なのも理解はできる。けれど視聴者は、「つまらないものをおもしろく見せろ」なんて思っているわけではないのだ。日常、普通に生活している中でなんとなく見逃しているものの中に「へぇ」と感心するような事実が隠されていること、それを発見する面白さをこそ「演出」してほしいのだ。
 『トリビアの泉』は、その演出の方向を明らかに間違えているのである。

 それにしても「ももたろう」の歌詞が「トリビア」になると考えた投稿者がいたってことが私には不思議だ。もう「ももたろう」の歌詞なんてみんな知らなくなっちゃったってことなのかね? もしかしたら、本当にあれが「残酷だ」とか考えちゃった幼稚園の先生がいたりして、後半を歌わせないようにしてるとかいう事実があるんだろうか? いや、ヘタをすると「ももたろう」の話自体、今の若い人は聞いたことがないのかも。
 そのうち、『赤ずきん』を改作して最後に助かるようにしちゃったように、「残酷じゃないバージョン」の日本昔話もいろいろ作られちゃうのかもね。
 「鬼を退治しないで説教するだけの『桃太郎』」
 「お爺さんにならずにもとの世界にタイムスリップする『浦島太郎』」
 「月に帰らずにお爺さんお婆さんと幸せに暮らす『かぐや姫』」
 「実は鶴だったことがバレても更に機を織り続ける『鶴の恩返し』」
 「撒いた灰の不思議な力で、いったん死んだポチも蘇える『花咲か爺さん』」
 「大きいつづらにも実は宝物がいっぱいだった『舌切り雀』」
 「小さなままでもボクは立派な人間さ! と大きくならない『一寸法師』」
 「猿が柿をちゃんとカニに分けてやる『猿蟹合戦』」
 「本当は青鬼も優しいやつだったことがわかって、みんなで仲良く暮らす『泣いた赤おに』」
 「傷が浅くて命が助かる『ごんぎつね』」
 最後の二作は昔話じゃなくて創作童話だけどまあいいか。
 なんか冗談みたいだけど、実際、「お婆さんもお爺さんに食われず、タヌキもおぼれかけたけど助けられて謝る『かちかち山』」ってのはあるから、油断はできないのである。


 唐沢俊一『壁際の名言』(海拓舎・1365円)。
 オビに「フジTV『トリビアの泉』のスーパーバイザー」と唐沢さんには珍しく自己宣伝。
 「もう、並の名言では癒されないあなたに贈る特盛名言!」ともある。裏モノとしての唐沢さんが、古今東西の有名・無名人の、非道徳かつ自由洒脱でココロ晴ればれとする名言珍言を集めたものだ。

 偉人の名言・箴言・警句・格言というものは、たいていの場合、それを引用する人間の我田引水的な解釈によって成り立っている(←これもなんか名言っぽいな)。
 例えばひと昔前の学校の先生だったら、たいてい引用していた宮澤賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」だけれども、「世の中一にも辛抱、二にも辛抱」と言ったニュアンスで語られたこの賢治のメモ(詩作ではないのだ)のラストが、「サウイフモノニ私ハナリタイ」で終わってることを知ったときには私ゃのけぞったものだ。これ、人生に挫折した賢治がメモ帳に書き綴った泣き言なんである。
 まあ、他にもこの手の「実はこうだった」って名言のウラばなしはオトナになるにつれていくらでも判明していって、ゲーテの「もっと光を」は「部屋が暗いから明るくしてくれ」って意味だったとか、板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」なんて言ってなくてアレは記者の創作だったとか、枚挙に暇がない。
 もしかしたら、「名言を残した偉人はいない」(おお、また名言っぽい)んじゃないかとまで勘繰りたくなるくらいである。
 もっとも、この手の名言に頼りたくなる心情は随分多くの人にあるらしくて、油断をしてると、このトシになっても誰かからふいに「継続は力なりだよ」とか声を賭けられたりしてしまうのである。「名言の罠はどこにでも転がっている」。
 私もたまに人から「あなたのモットーはなんですか」とか聞かれたりするのだが、そういうときはたいてい、四文字熟語でもあまり学校で教えてはいなさそうなものを選んで答えたりする。「綜芸綜智」とか「濯纓濯足」とか。「一陽来復」ってのもよく言ってたけど、桑田乃梨子さんのマンガ『一陽来福』(「福」に注意ね)で有名になっちゃったのであまり言わなくなった。でもって、意味は教えない(まあ、四文字熟語って見た目は堅苦しそうで名言っぽいんですが中身はたいしてないものも多いんですよ)。なにげなく人から聞いた知識なんて、すぐに忘れるものである。コトバを自分のものにしたいと本気で思うなら、自分で調べて使うしかない。使う気もないのに質問してくるやつに懇切丁寧に教えてやるほど私は親切ではない。
 だいたい、この「あなたのモットーはなんですか?」と聞く人の神経がよく分らないのだ。アンタは人生の曲がり角に立つごとに箴言を必要とするほど、しょっちゅう苦悩しているのかと。なんだか不幸ぶりっこしてるように思えて、いけすかないのである。

 ことほどさように「名言」などというものは胡散臭く、役に立つのか立たないのかわからぬ鵺のような存在である。「急がば回れ」&「善は急げ」などのように、急ぐのか急がないのかどっちだよ、と我々をかえって混乱に陥れるような格言もある。出自はいかにも立派であるのに、その中身は正体不明ないかがわしさに満ちた、妄言に近いものも多い。
 そんなのに比べると『壁際の名言』に集められている「名言」は、出自からしてもともといかがわしい。

 巻頭の「私を見なさい。無一文から身を起こして、独力で今の極端な貧乏にまでなった男だ」のセリフを言ったのは、グルーチョ・マルクスである(正確には次のようなセリフ。“Three years ago I came to Florida without a nickel in my pocket. Now I've got a nickel in my pocket.”「三年前、私は無一文でフロリダにやってきた。今、私のポケットには一文ある」映画『ココナッツ』ミスター・ハマーのセリフより。唐沢さんのケアレスミスだが、引用元はちゃんと明記しておいてもらいたいものである)。
 実に「応用」の効くセリフで、M君事件があってオタクが世間から極端に嫌われていたころに、「私も昔はしがないオタクだったけどね、努力して素敵なオタクになれたよ」と言って、女の子に引かれまくったものである。人に嫌われるとわかりきってるジョークを飛ばすものではないな(^_^;)。
 まあ、今のような使い方はイマイチだが、「貧乏人」「オタク」の部分を一般的にマイナスイメージで捉えられているものに置き換えて使用すると、実に皮肉の効いた警句になるのだ。
 試しに「おかま」とか「犯罪者」「泥棒」「性倒錯者」「○チ○○」などを入れて使ってみたらよろしい。仮に自分の何かについてコンプレックスがあったとして、それが一気に雲散霧消することは請合いですよ。「昔はボクもただのフツーのキ○○○でしたけどね。今や正真正銘の立派な○○○イになれました」。……やっぱり引かれちゃうか。ま、こういうのは本人だけ気分がよけりゃいのである。

 私はこのセリフにも更に元ネタがあると昔から思っているのだが、それはドストエフスキーの『罪と罰』中で、マルメラードフが語る「貧乏は罪悪ではない。しかし一文無しの貧乏は罪悪だ」というものである。要するに、たとえ一円でも十円でもポケットにあれば、それはその人が人間として生きてきた証しなのである。堂々と威張って構わないのだ。
 考えて御覧なさい、あの文無しなのが当り前のグルーチョが、一文でもおカネを持っているということがどれだけ素敵なことであるか。こんなセリフを功なり名を遂げたお偉いさんが口にしたところで、一般的にはただのイヤミとしか受け取られず、「でも銀行にはザクザクおカネがあるんでしょ」と冷ややかな目で見られかねない。世の中には、貧乏人、卑怯者、うそつき、変態、詐欺師、ペテン師、極悪人でないと説得力を持たないセリフというものも存在しているのである。
 我々の大半は凡人である。というより、今までの人生を完璧に美しく過ごしてきたなんて人間はそうそういないだろう。大小の差はあるにしても、誰もがスネにキズを持って生きている、それが世間というものである。
 俗人たる我々にとって、お偉いさん方の名言は、「はいはい、お説ごもっともで」と頷くしかない。それに比べて、凡人以下の人々の言葉は、我々にどれほど深く優しく響いてくることか。これまでの名言集に登場して来た偉人たちは雲の上人であったが、ここにいる人たちはまさしく我々の同朋なのである。

 収得した方法がきれいか汚いかに関わりなく、グルーチョのポケットの中の一文は、百億の財産にも増して光り輝いているに違いない。
 私の財布の中にも、たまに30円とか3円しか入ってないことがあるが、不思議なもので、給料日直後で五百万円ほど(嘘)入ってるときよりも随分清々しい気がするものである(少しは貯金しろよ)。

 本書のコンセプトは基本的に大好きなのだが、やや文章が雑なのと、ケアレスミスや誤植が多いのがちょっと気になるところだ。「徳川夢声」がやたら「徳川“無”声」と誤植されてるのは困りものだし、あまりきちんと調べてないなあ、と思われる記述も多い。
 「カマトト」という言葉について、「カマボコって、オトトかしら?」とPCL(のちの東宝)のある女優が語ったのが語源、とあるが、これは俗説である。『日本国語大辞典』(小学館)には、既に江戸時代末期に、この言葉があることが次のように示されている。
 「近世末に上方の遊里で用い始めた語。※人情穴探意の裡外(1864頃)三『年に似合ずかまととばかり云ふ妾さん』」
 他にもツッコミどころがやたらあるんだけれど、字数がオーバーしちゃうんでやめとく。まあ、こういう細かいところは誰か親切な人が唐沢さんにご注進するでしょ(^o^)。

 こういうヒネクレた名言、ということになると、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』やバーナード・ショーあたりのセリフが真っ先に浮かぶのだが、そういった有名どころをあえて外して、唐沢さんが実際に見聞した知人や名もなき人々の迷言も収録しているところが本書の幅を広げている成因だと思う。
 ただ、リリー・フランキーの『誰も知らない名言集』ほどのインパクトに欠けるのが残念だが。

 ついでだから、私も二つ三つ、人生にすごく役だつ名言集を。
 �.愁�ラテス「結婚しなさい。良い妻を得れば幸福になれるし、悪妻をめとれば哲学者になれるからね」。
 結婚している男性で、この言葉に思わず「ウンウン」と頷く御仁は多かろう。と言うか、頷けぬ夫は、まだ結婚の実態を知らないのである。私の「結婚前からの」座右の銘の一つ。私がどれほどの覚悟をしてしげと結婚したかご理解いただけようか。
 ��夏目漱石「目の前に饅頭がありゃどうしても手が出る。手を出すほうも悪いが、手の届くとこに置く方も悪いよ」。
 漱石は胃弱だったので、饅頭なんかは厳禁だったのである。私も糖尿でいろいろ控えにゃならんのだが、生前の母も妻も、平気で私にカロリーの高いものを食わせるのである。いくら言っても聞かないので私は諦めました。ちなみに漱石は49歳で死んでます。あと9年か(T∇T)。
 ��アリストテレス「(ある男に「どうして私たちは同じ女でも美しい女となら時間を忘れて長く一緒にいられるのでしょうか」と聞かれて)君はあきめくらかね」。
 似たようなことをアインシュタインも言ってるが、こちらのほうが強烈。フェミニズムが哲学ではない真実と、哲学が理屈ではない事実を一度に証明してくれるこれぞ名言(^o^)。この言葉の前には、全ての恋愛論はクズとなる。もう今時は柴門ふみを読んでるやつもいないと思うが、あれはちょっと困りものでしたね。
 (出典はいずれも『世界史こぼれ話』シリーズ(三浦一郎)より)

 何度か書いたことがあるかも知れないが、しげの放ったメイ言で一番インパクトが強かったのは、何の前フリも脈絡もなく、唐突に発せられた次のセリフであった。
 「アフリカ人とインド人とどっちが好き?」
 その瞬間、私が悟ったのは、「ああ、人間って、無理して他人と会話したりコミュニケーション取ろうなんて悩まなくていいんだ。だって、結局人間は、決して心の底から理解しあえることなんてないんだから」ということであった。
 私はすばらしい妻を得たものである。


 マンガ、徳光康之『濃爆おたく大統領』1巻(講談社/マガジンZKC・570円)。
 しげから散々「ねえ、それ面白い?」と冷ややかな目で見られているが、まあ同病相憐れむでつい読んじゃうんですよ。
 でもネタはそう悪くないと思うんだよねえ。ネックなのは絵なんだな、ということが今巻を読んでしみじみと思った。つまり「オタク萌え萌えマンガ」は、それ自体も「オタク萌え萌え」マンガでなければ成立しないのである。これがとことんヘタで萌えねーんだわ、徳光さんの絵。
 前の『おたく先生』の場合は主にメカ話が中心だったから欠点が目立たなかったのだが、美少女系の話になってからはもういけない。「1/1管理人さんフィギュア」とか出てくるんだけど、これが全然可愛くないのである。ああ、なんか絵を描き始めの中学生が一所懸命美少女の絵を描こうとしてるような。熱心なのはわかるけど、いくら「トレビアーン!」とか言われても見ててツライだけなんだなあ。
 本人もそれ自覚してるのか、『サクラ大戦』ネタでは一部の絵を漫画板を担当している政一九に描かせている(カバーを外した表紙にも注目)。確かに効果はあるけど、ズルだよそれ。自分が絵を練習して、ペン先も変えようよ。
 でも2巻も出たら買うと思います(^_^;)。



 訂正。グルーチョのセリフの出典は『いんちき商売』であることが唐沢俊一さんの『裏モノ日記』2003年8月22日に書かれてました。ちゃんと調べろよオレ(-_-;)。

>「look at me,I’ve worked myself up from nothing to a state of extreme poverty」

2002年07月16日(火) 乱れる話いろいろ/『ぴたテン』1・2巻(コゲどんぼ)/『桃色サバス』1巻(中津賢也)
2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか



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