無責任賛歌
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2003年08月10日(日) |
二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか |
『プレイガール』の沢たまきさんが、9日、虚血性心不全のため死去。享年66。なんでも風呂場での突然死だそうで、私の母が死ぬ前にも風呂に入って失神していたことがあったから、イメージがダブって少しく気分が悪くなった。 基本的に私は政界に進出する役者さんというのが好きではない。筒井康隆がいつかマンガの中で「タレント議員に占拠された国会」というのを描いていたことがあったが、ただでさえ不透明な政界を更に解りにくくする効果しかないという気がしている。つまり「党の宣伝塔」というだけでなく、「カモフラージュ」の役割も果たしてるわけやね。それを知ってか知らずか、立候補するっていうのは、よっぽどタチが悪いかよっぽど呑気なのかどっちかだろう(真剣に国政を考えていたとしてもそれはやっぱり「呑気」である)。 『プレイガール』の誰が好きだったか、というのは人によって好みが別れるのだが、下っ端ばかりが活躍して実質ちょっとしか出演しない「アネゴ」が私は一番好きだったのである。それだけに沢さんの政界進出はちょっとショックだった。 ……しかし『プレイガール』、東京12チャンネル系だったから当時は福岡にはキー局がなくて、放送してたの、土曜だったか日曜だったかの昼だったんだよなあ。小学生であんなの見ててよく親に叱られなかったものである。まあ巷間言われるほどにセクシーなシーンとかヌードシーンなんてのはなかったんだけどね。
アニメ『鉄腕アトム』第18話「プルートゥは死なず」。 プルートゥを作ったのは実は……ってあの設定、何か意味があるのか。ボラーもあんなんなっちまうしなあ。いやまあ、見てる人も多いだろうから隠すほどのことはないんだけどさ。「一応」原作通りプルートゥは死んじゃうんだけど、盛りあがらないんだよなあ。ちゃんと、火山の爆発をアトムと二人で食いとめるシークエンス入れなきゃダメじゃん。岩で火口を埋めるなんて乱暴なやり方、科学的にはおかしくても、ドラマは心情的なもので、科学考証はそれに勝るものではないのだ。 脚本の長谷川圭一は『GMK』で戦争ネタを強行に入れたがった人である。察するに主題主義に毒されてるとこあるんじゃないかな。
AIQのMLメールが来ていたので、今ごろなんだろうと思ってみたら、エロの冒険者さんからのAIQ解散のお知らせであった。 「事後承諾ですみません」とあり、一瞬、何のことか分らずに首を捻る。もうひと月ほど前に解散会を開いて、そのときに解散の報告はあっているのだ。私もしおやさんもZUBATさんもそのことは日記に書いているし、事後も何も、みなさんそのことは先刻ご承知のはずなのである。 何か改めて解散の理由でも書いて送らねばならない事情でも起きたのかとも思ったが、それも何も書かれていない。何のためのMLか、見当がつかないので、もしかして暗号でも隠されているのかと行数をいろいろ変換してタテヨミまでしてしまった(^_^;)。 ふと気が付いたのだが、エロさん、もしかしてオタクアミーゴスのお三方に「AIQ解散」の報告をするの、忘れてたのではないか。……多分そうなんだろうなあ。何しろエロさんのホームページ、未だにオタアミ公演の広告が削除されないまま残っているしなあ。 「ああ、終わった飲んだ終わった飲んだ、ふぃー、ええこんころもちや♪」ってな調子で、きれいサッパリ後のことを考えてなかったのであろう。呑気なお人柄が偲ばれてそれはそれで微笑ましくはあるのだが、あまりトンチンカンなことをされていると、こうして私の日記のネタにされてしまうのである(^o^)。
昨日、掲示板にふーみんさんという方から、故・坂口祐三郎さんについての問い合わせがあった。 日記に思い入れたっぷりの記述をしてしまったから、坂口さんについて何か詳しいことでも知ってるんじゃないかと思われたらしい。しかしながら、私はただの一ファンに過ぎなくて、特に坂口さんの関係者というわけではない。だもんで結局、申し訳程度のことしかご返答ができなくて、ふーみんさんはさぞやガッカリされたことだろうと思っていたら、今日になってまたレスがついて、随分感謝されてしまったのである。いやもう、すっかり恐縮してしまった。
世の中にはおだてられれば簡単に有頂天になれる幸せなお脳の持ち主も多々おられるようだが、私はどうにもこういう過分な評価を受けるとすっかり逃げ場を失ってしまい、部屋の隅で膝っ小僧を抱いて畳に「の」の字を書いてしまうのである(そんなかわいいものか)。 ……いやね、「誉められ上手」な人の「誉められて嬉しい」という気持ちがわからないではないけれど、翻って自分のことを考えた時に、「自分がそんなに誉められたもんかな」ということはどうしても考えてしまうものではないのかな。 私が掲示板に「悪口可」と書いているのは、実際、悪口を書いてもらったほうが気が楽だからだ。悪口の中にはただの難癖もある可能性はあるが、正鵠を射ているマットウな批判になっている場合も多い(つーか、悪口と批判の区別は論旨が明確であれば簡単に見分けられる)。 いや、ただの難癖だろうと、それはそれで相応の対応ができるのだ。誉められてしまうと「私はそんな立派な人間ではありません」と私がいくら“本気で”言っても信じてもらえないのである。何度か日記にも書いたことだけど、文句をつけられた方が、反論するにしろ謝るにしろ対話はしやすいのだ。 なんだかなあ、私がマジメだとか善人だとか、そういうふうに見られるのは、しげに言わせれば「たまに善人ぶったこと書くからじゃん」と突っ込まれてしまうのだが、それはもう、いろいろと「偽善者」であらねばならないオトナの事情もあるからではないの。つか、私はこの世に「善」と「悪」の二項対立が存在しているとは露も思っちゃいないのだ。 そういうものがあるとすれば、「偽善」と「悪」の二つだろう。人が大上段に「愛」や「夢」や「理想」を語らねばならないとき、その根底に「偽善」ないしは「悪」があることを否定してしまっては、まさしくそれは「絵空事」ないしは「信仰」にしかならない。 ……何だか話がまた横ちょに飛んじゃったような気がするが、要するに私は「感謝され下手」だってことです。逆説的かつ矛盾した表現ではあるけれど、私がしげと一緒にいて疲れるけれど気が楽なのは、あいつが絶対私に「感謝しない」からなんだな。まあもともとあいつは誰にも感謝しない人間ではあるのだが。
マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル ~推理の絆~』9巻(スクウェアエニックス/ガンガンコミックス・410円)。 四十四話の「シュレンディンガーの猫は元気か」のタイトルには笑った。 確かに量子論に基づく猫のたとえ話は「フタを開けてみるまですべては不確定」ということではあるのだけれど、私の拙いアタマによる解釈が間違っていなければ、それは意志が物理的影響を及ぼすということであって、「やってみなけりゃ分らない」って意味とは大分違うと思うんだが。 量子論ミステリというのは私もいっぺん書いてみたくて、実際に舞台にかけたこともあるのだけれど、やっぱりどうしてもSFになってしまうのであった。量子論一つだけだとどうしても日常的説得力に欠ける。統一場理論がどんな形になるのかは分らないけれど、我々文系の凡人にも「ああそうか」と納得できるくらい噛み砕いてわかるように説明してもらえると助かるのだが。 それはそれとして、今巻もカノン・ヒルベルトを止めるために。結崎ひよのが自ら腕を切るという、いつも通りムチャな展開ではあるのだけれど、何となく納得してしまうのはひよののキャラがそれだけ「バカ娘」(もちろん誉め言葉である)として立ってるからだろう。最初は「ヒデエなこのマンガ」と思ってたのが、段々病みつきになってきた。これで私もトンデモミステリが書きたくなっちゃったら困るんだけど(「既に書いてるだろう」というツッコミは却下)。
マンガ、赤松健『魔法先生ネギま!』1巻(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。 ……えーっと、例えて言うならハリー・ポッターが女子中学の先生になる話です。まんまやんか。主人公のネギは魔法使い見習いで、卒業試験として女子校の先生をやらされる、という設定なんだけど、まあ無理があろうと女の子が出てくりゃいいだけのマンガなんだから文句つけたってしょうがないな。 なんで魔法使いって設定になってるかってーと、まだ新米の、しかも10歳だから、魔法をコントロールできなくて、くしゃみをしちゃうと回りにいる女の子の服が破れて裸になっちゃうのである。 ……感想は要らんな。いや、なんでこんなの買ってるかなんて突っ込まないで……(--*)。
横溝正史『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(角川文庫・580円)。 『八つ墓村』映画化時に、それまで90冊も出ていた角川文庫の横溝正史シリーズはわずか22冊に圧縮された。この『人面瘡』も旧シリーズの『びっくり箱殺人事件』『不死蝶』『華やかな野獣』『貸しボート十三号』『死神の矢』の五つの短編集から、表題作にならなかった短編だけを集めて一冊に纏めている。 収録作品は『睡れる花嫁』『湖泥』『蜃気楼島の情熱』『蝙蝠と蛞蝓』『人面瘡』。いささか知名度の低い作品が多いが、いずれも金田一耕助シリーズの中では「一風変わった」異色作ばかりを選択して集めているのはさすがだ。 巻頭の『睡れる花嫁』は金田一ものの中でも最も陰惨かつグロテスクな事件だろう。JETによる金田一もののマンガ化はいずれもつまらないが、この『睡れる花嫁』だけはそのグロな絵柄が作品と待マッチしていた。 『湖泥』は金田一がラストで犯人にブラフをかけるのだが、コロンボならしょっちゅうやってるようなこの手、実は金田一はほとんど他の作品ではやっていない(『犬神家の一族』で意図せず結果としてブラフをかけることになった例などはある)。その点でこれも異色作である。 『蜃気楼島の情熱』では金田一の「和服談義」が読める。やっぱ和服の方がいいよな。 『蝙蝠と蛞蝓』はこれも数少ない「一人称」小説。表題の「蝙蝠」というのが金田一のことである。『女王蜂』にも「蝙蝠」になぞらえられている人物が出てくるし、横溝正史がカムバックしなければ、最後の事件は『蝙蝠男』になる予定だった。正史はよっぽど蝙蝠が好きだったのか。 『人面瘡』を読んだ殆どの人は、あるマンガ家のある作品を思い浮かべるだろう。これも一風変わった結末である。 作品自体、読んだのはもう30年近く昔なので、ディテールはかなり忘れている。やっぱり本は読み返さないといけないなあ。 装丁デザインはいいのだが、本文は以前あった解説がなくなって、新しい読者には書誌的なことがわからず、不親切である。
2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダムⅠ 地球光』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか 2001年08月10日(金) 代打日記 2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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