無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年05月31日(月) 思い返すことども。

 映画『キューティーハニー』について、今日になって、気がついた事実。
 冒頭で、ハニーは「海ほたる」に向かうのに、透明なゴミ袋を服代わりに、ほぼ半裸状態で商店街の中を突っ走る。エネルギーが足りなくて変身できない、という設定なのだけれど、「変身できないのなら、自前の服を着ていけばいいじゃん。この子は服を一着も持ってないのか?」と首を傾げていた。でも、考えてみたら、「Iシステム」でどんな服も纏えるのだから、わざわざ服を買って所有してたりはしないのですね。ただのサービスかと思っちゃってた(かもしれんが)。
 パンフレットのインタビューなどを読んでみると、今までよく知らなかったのだが、サトエリ、かなりなオタク少女だったのだな。『エヴァ』には完全にハマッていたそうだし、中学時代はオタク仲間しか友達いなくて、アニメ語で話したり、コミケ行ったりしてたそうだし。そう言えばメイキング映像で『式日』のギャグもトバしてたなあ。
 サトエリに関して「あんなのハニーじゃない!」とバッシングしてるオタクもいるようだが、「仲間」だと分かったら、少しは排他的な態度が、変わるんじゃないだろうか。もっとも「同族嫌悪」を示す可能性もあるけれども。
 「ヤフー」の映画評なんか見てると、やっぱりと言うか、脊髄反射しかしてないヒステリックなカミツキが見えるからねえ。「エヴァ嫌い」とか。『ハニー』の映画評で『エヴァ』持ち出してきてどうするんかね。
 ああ、でもホントにこの映画、ヒットしてほしいぞ。アラはあるけど、日本映画の中から、これだけ素っ飛んでるエンタテインメント映画が生まれたってのは、すばらしいことだと思うのである。今回も、パンサークローの真の首領、パンサー・ゾラは名前のみ語られてはいたが、未登場だった。次なるパート2でこそ、パンサー・ゾラとの最終決戦を見たいと熱望しているファンはきっといるだろう。で、ぜひとも実写版、イボ痔小五郎の登場を(無理だって)。

 『ハニー』でブラック・クローに扮していた及川光博、次は7月から始まるNHKアニメ『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』の第3話にゲスト出演するらしい。
 このアニメ、制作が『To Heart』のOLMだったり、ポワロの声が里見浩太朗で、マープルが八千草薫だったり、よく分らんがオリジナルキャラクターでメイベル・ウェストという小娘(名前だけだとハニー・ウエストをちょいと連想するね。声優は折笠富美子)とアヒル!( ̄∇ ̄ ;)が登場するとか、豪華なんだか貧弱なんだか、いったいどんなものが出来るのか、期待していいんだか悪いんだか全く分からない。とりあえずミッチーが出るなら、しげのために録画してやらんとなあ、とは思うけれども、全く、アニメの実写化よりも、実写や小説のアニメ化にも問題はないかってこと、もうちょっと議論されてもいいと思うんだけどもねえ(--;)。


 5月も終わりであるが、今月のシメの話は、やっぱりトンガリさん。
 日頃から私たちに対して仕事が杜撰だ、書類はきちんと出してくれ、やいのやいのとうるさかったので、仰る通りにきちんと書類を揃えて提出したのである。
 途端にトンガリさん、「こんなにしょっちゅう書類を出されても処理できません」と文句を垂れ出した。
 「ですが、書類を出してくれと仰ったのはあなたですよ?」
 「まとめて出して頂けないんですか?」
 「あなたが、一度にまとめて出されても困ると仰ったものですから」
 自分が言ったことも忘れている、と言うよりは、こちらに仕事を強要すれば、その分、自分の仕事も増えるのだということに全く気が付いていなかったのだ。阿呆である。
 仕事は仕事、引き受けないわけにはいかないから、またブツブツ口の中で悪態をつきながら、トンガリさんは引き上げて行った。結局、この人、仕事をしたくないだけなのである。脳の不自由な方だからと遠慮していたが、仕事が滞ってはどうしようもない。不自由だろうが何だろうが、その脳を使える限りは使って頂こう。
 

 今日も終日雨。こうも雨降りが続くと、運動療法が続けられずに困るのだが、同僚にはすっかり私が雨の日も運動をし続けているものと思いこまれてしまっているのだ。
 階段を登ってきただけで、てっきり私が運動してきたものだと思われて、「よく続いてらっしゃいますね」なんて言われてしまうのである。「いや、なかなか体重が減りませんで」と頭を掻くのだが、実際、体重がずっと微増しているので、ヤバイのである。食餌制限もそうだけれども、何とかして運動しなくっちゃなあ。


 ふと、気が向いて、栗本薫の『時の石』を読み返す。
 高校生のころ、これを読んで感動し、ボロボロ涙を流した記憶はあるのだが、何分もう20年以上も前のことだから、細かい内容は忘れている。さて、このトシになって読み返してみて、再び感動できるものだろうか、と思って読んでみたのだが、別の意味で何か切なくなってしまった。
 「時の石」というのは「精神的タイム・マシン」とでもいうものである。いつ、誰が、何のために「そこ」に置いたのか分からないが、偶然、現代の高校生がそれを手に入れ、再び帰ることのない「精神の旅」へと旅立ってしまう……。ラストに栗本さんらしく、ホモを匂わせるような描写もあるが、読んだ当時はまさか栗本さんが「筋金入り」だとは思いもせず、そのほのかな終わり方に胸が締めつけられるような切なさを覚えたのだった。
 今はさすがにそういうことはない。読み返してみて、「ああ、こんな“大甘”な物語だったんだ」と、その粉飾の過ぎる文章に閉口してしまうくらいである。
 では、何が切なかったか、というと、作中にほとんど何の注釈もなくオタクネタが散りばめられているところなのである。
 キャラクターの一人のガリ勉君が、「藤波」と仇名をつけられる。これは、柳沢きみおの『月とスッポン』というギャグマンガに登場するガリベンくんの名前なのだが、そんなことをいちいち説明しなくてもよいくらい、「藤波」というキャラクターのことは、当時のマンガファンならば誰もが知っている「共通言語」として機能していたのである。しかし、今や古本屋ですら入手困難であろうこのマンガのこのキャラは、もはや「わかる人にはわかる」というレベルでしか思い出されなくなってしまっている。『時の石』では、そのガリ勉くんが更に「フジっこ煮」とからかわれる。これは、江口寿史の『すすめ! パイレーツ』のギャグを踏襲しているのだが、もうここまで「超有名」なネタだと、江口の名前はおろか『パイレーツ』というタイトルすら紹介されない。それくらい、この「フジッこ煮」のネタは、「周知」の事実だったのである。
 もちろん、当時だって、「マンガを読まない人々」は存在していた。しかし、そんな人間を栗本薫は読者として全く想定していなかった。読者もまた、そんな栗本薫の態度に明らかに「仲間意識」を感じていた。今思えば、栗本薫にそういったシンパシーを感じていた読者は、まだそう名付けられてはいなかったが、まさしく「オタク」だったのである。
 今の栗本さんならば、こんな「濃い」と言ってもよいネタを堂々と振って、それでいて平然としていられはしないだろう。当時はそれが出来たというのは、まだマンガが今ほどには「拡散」していなかったからだ。
 あのころは、過去のマンガもまだ殆ど絶版になってはいず、ちょっと大きめの書店に行けば、昭和20年代、30年代のマンガだって遡って読むことができたし、売れているマンガ雑誌も限られていて、現在進行形のマンガの大半を読むこともまだ可能だった。マンガの裾野が広がりに広がってしまった現在、それは到底不可能なことである。
 だから、あのころのマンガファンたちは、マンガが世代間も越える「価値」を持ちえるだろうと、信じて疑わなかった。それはもう、今でははかない「夢」である。マンガファンどうしでも、話が通じない、意見が合わずに敵対する、そんなことは日常茶飯事になってしまった。同じマンガファンだというのに、どうして許し合うことが出来なくなってしまっているのだろう? だから私は切なくなってしまったのである。
 ……寒い時代だとは思わないか(これももう、誰のセリフだかわかんない人もいっぱいいるんだろうなあ)。

2003年05月31日(土) 追い込み日記/サボっていた男
2002年05月31日(金) 病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
2001年05月31日(木) 多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生�供�



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藤原敬之(ふじわら・けいし)