無責任賛歌
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| 2004年06月25日(金) |
演劇人必聴! 森田順平さんのお話。 |
しげの「恋愛頭脳」、ついに「非常識」を通りこして「恥」にランクダウン。でも私も「中学生」になってしまったのだった(~_~;)。相性も「普通」に落ちる。……誰か一生懸命「オトナ評」、増やしてないか?(^_^;) けれど14段階あるというランクのトップ評価はなんて名前になってるのかなあ。「神様」かな? ラスト14番目は「崩壊」だったけれども(URLコピーし損なったら「崩壊」と出たのである)。 ヨシヒト嬢もやってみたそうなのだが、あまりいい結果は出なかったようだ。「あなたの恋愛観は壊れています」ということだそうだが、さていったいどんな質問の答え方をしたのやら(^_^;)。
今日もトンガリさんと会うつもりはなかったのだが、今度はいきなり呼びつけられた。だから少しは人にも仕事があるってこと考えろってば。 いったい何の急用かと思って行ってみると、一昨日提出した書類に、不備があったというのである(つまり一日仕事サボってたってことだな)。……今わざわざ呼ばなきゃならんほどの用事かい。それに、その書類、もともとアンタが作らなきゃならないやつなんだってば。あんたが仕事できないから代わりに作ってやってるのに文句を付けてくるたぁ、いい度胸をしている。だいたいそれだって、トンガリさんが会議に出てればチェックできてたはずのものなんである。さらに言えば、私に裁決求められたって、本来それも上司に確認取ってもらわないといけないことなんで、私は何かを言える立場にはない。なのにわざわざ私を呼びつけたというのは、イヤガラセ以外のナニモノでもないのだ。 腹が立ったので、「会議にも出ないで文句付けられても聞けません」と言い置いてとっとと帰ったが、どうせまた脳内変換して、自分の方が被害者であるような気になっているのであろう。あの人がいる限り、今後も足を引っ張ってくれるのは目に見えている。来年はもう別の部署に転属させてもらおう。うん、絶対にそうするぞ(~_~;)。
仕事は午前中で半ドン、午後から某所にて、俳優の森田順平さんの講演会・朗読会を聞きに行く。 「某所」って、なんかアヤシイ感じだけれど、実は会員制の集まりで私は本来入れなかったのだが、知り合いに頼んでこっそり忍びこませていただいたのである。だもんで、どこで聞いたのかは書けないの(^_^;)。 森田さんと言えば、何と言っても『3年B組金八先生』の陰険な(最近は丸くなっちゃったが)乾先生役が有名だけれど、もともと文学座で活躍されていた舞台俳優(現在は退団)。最近は洋画やアニメの吹替の仕事も多く、『WX�掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌次戮寮亳狂舅此蔑�上自衛隊一佐)役や、『ぼくの孫悟空』の三蔵法師なども演じておられる。プロフィールにはよく福岡県北九州市の出身、と書かれてあるが、本当は京都生まれで、福岡には3歳のころ引っ越したのだそうな。 ご本人は当然、乾先生のようにインケンなはずもないのだが、役者が役柄と同一視されてしまうことはよくあることである。『金八先生』放映後、近所の子供たちから「あっ、カンカン(乾先生の仇名)だ!」と指を差されて石を投げられた話などを語られて、当時はかなりつらい思いもしたという。まだ若く、憎まれ役を演じることに抵抗を感じていたのを、演出家に飲みに誘われて激励され、ようやく吹っ切れたこと、今は25年に渡って一つの役を演じられるという貴重な経験を役者として誇りに感じていることなど、順風満帆に見える経歴の陰の苦労は、やはり聞いてみなければわからない。 「乾」という役が掴めたのが第1シリーズ第9話で、「教師になったのは、倒産はないし、夏休みはあるし、安定しているからだ」というセリフをもらってからだという。 「人間はみな、『フリ』をして生きています。『人生は舞台』というのはまさにそのことです。みなさんも演技をされているわけですが、私がプロの役者であるということは、みなさんよりも一段上の演技を要求されている、ということなんです。そこでこのセリフを『なんてトンデモナイことをいうやつなんだ』と思ってしまっては、役を演じることはできなくなってしまうんですね。 劇作家のディドローが、『演技のための逆説』の中で、こう語っています。『役への感想は、役者自身ではなく、観客が感じるものである。観客を感動させるためには、自分自身の感動に溺れてはならず、常に冷静を保っていなければならない』。 つまり、逆に、『乾』とはこんなトンデモナイセリフを堂々と迷いなく言える人間なんだ、という見方をしなければいけないんです。『乾』という人間とはどんなやつなんだろう、どんな経験をして、どんな考え方をして生きてきたのか、そこから『乾』という人間の現実主義、個人主義が見えてくる。そこを考えることで、ようやくこのセリフを言えるようになる。これが、『役』の内面を作る、役を一つの大きな木に譬えるなら、その『幹』の部分を作る、ということなんです」 これは、内面から役を形作っていくという、『ガラスの仮面』でもお馴染みの(^o^)、アクターズスタジオのメソッド、即ち、演劇人には常識のスタニスラフスキー・システムがベースになっていることである。 「常識」と書きはしたが、近代演劇の基礎理論であるにも関わらず、若い役者の中にはこんな言葉、聞いたこともない、という人も少なくなくなっている。西洋の演劇に範を求めた新劇の勃興以来、ひところまで日本では、猫も杓子もスタニスラフスキー、スタニスラフスキーとやたら喧しかったものだったが、その反動もあってか、最近の演劇シーンでは(特に小劇場系では)必ずしもスタニスラフスキーシステムは重要視されなくなっているのである。しかし決して無視してよい理論でないことは、自分が役者として演技してみて、「内面のない演技」が説得力を持ちえない事実に気づき、初めて理解できることである。「スタニスラフスキー復権」を唱える演劇人ももちろんいなくなってはいない。 ただ、森田さんが仰るとおり、スタニスラフスキー・システムは「役」という木の「幹」を作る作業である。木の「枝葉」を作るには、「内面から形」を作るのとは全く逆の、「形から内面を作る」作業も必要になってくる。 「アクターズスタジオでは、『アニマル・エクササイズ』という演技術も行われています。これは、ミハイル・チェーホフ(アントン・チェーホフの弟)の唱えた『サイコロジカル・ジェスチャー(心理的身振り)』を元にしているもので、平たく言えば内面の表現を行うために、ほかのもののマネをする、動物の仕草などを取り入れる、というものです。 例えば、マーロン・ブランドが『ゴッドファーザー』で演じたヴィトー・コルレオーネという役です。ブランドとという人はもともとあんな鈍重な演技をする人ではないんですが、あの指で机をなでるような動きは、ゴリラの手の動きを真似たものなんです。 私もある舞台で、台本のト書きに『時期社長の椅子が用意されてはいるが、全くといっていいほど覇気がない。ひたすら情けない男』とあって、全く自分とはかけ離れた役で、どうにも自分の中に取っ掛かりがなくて、途方に暮れたことがありました。仕方なく、『形から入る』ことにしまして、鏡を見て、とにかく『情けない顔』を作ってみたんです。猫背で歩いて、その時自分の気持ちがどう変化するか。そうするとだんだん気持ちが情けなくなつていくんですね。そうやって、自分の『気持ち』を作っていくんです。 みなさんも試しに演じてみてください。『好いとう』というセリフを、まずは“普通に”言ってみる。次に“俯いて”言ってみる。“両手を上げて”言ってみる。“両手を広げて”言ってみる。気持ちが変化しませんか?」 1時間半あまりのお話の中で、やはり一番興味を惹かれたのは、文学座での経験を話されるあたりである。杉村春子さんから「役者はセリフが言えなくっちゃね」と言われたことが森田さんの座右の銘となっているそうだが、最近の若い役者に対して森田さんがつくづく感じているのは、「肉声表現の経験の少なさ」であるとか。 「『ゆゆしき』『つとに』『よんどころない』、こんな言葉を聞いたこともなければ使ったこともない若い人が増えています。それこそ『ゆゆしき』事態なんですが、文化庁はこれを“年長者との会話が減った”“活字離れ”が原因と説明しています。けれど、多分それだけではないでしょう。私の考えるに、そこには『肉声表現の経験の少なさ』があると思います。 『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんが仰っているんですが、人間は、たとえ意味がわからなくても、言葉を声に出すことで脳が活性化していく、というんですね。脳はどんなに栄養を与えても成長しない。脳が成長するのは『知識』によってなんです。 携帯電話が普及していますが、若い人は声で会話なんてしていません。みんなメール交換ばかりです。バスに乗っても、みんな黙々としてメールを打っていて、その音だけが響いている。テレビを見ていても、バラエティ番組では、たいてい下にタレントが今何をしゃべったのか、そのままテロップが出る。つまり言葉を『話す』時代から『書く』時代に変わって来ているんです。時代の趨勢は変わりようがないとし、昔に戻れと言う気もないのですが、忘れてはならないこともあるのではないでしょうか」 ちょうど、警察庁が、昨24日に、「万引などで補導、逮捕された『非行中高生』が1日に携帯で電話をかける平均回数は7.7回、メールが42.6回で、それ以外の『一般中高生』を大きく上回っている」ことを発表している。かなり恣意的な超さで、この結果から「肉声表現が疎かになったために、非行も増えた」という結論を導き出そうという予断がミエミエで、腹立たしさすら覚えるのだが(そんなにメールが打てるのは単に学校に行ってないからだろう)、伝言ならばともかくも、今現在、会話ができるのに、メールのやりとりですます、という若い人の感覚は確かにわからない。そんなに相手と喋りたくないものなのか? 私も、携帯電話を使うようになって(しげに無理矢理持たされて)、数年が経つが、メールのやりとりは専ら「今、電話で会話できない状況」の時に限られている。職場にいるとか、バスに乗ってるとか。あとは「喋り過ぎると電話代がかさむ」からか(^_^;)。 森田さんは、今テレビで見て「素晴らしい」と思える番組はNHK教育の『にほんごであそぼ』だけだという。時間帯が合わないので私は見たことがないのだが、小学生に狂言や落語ブームを起こしているのはこの番組だとか。……そう言えば、本屋の児童書のコーナーにやたら『寿限無』が平積みにされてたなあ。まさしく、『意味がわからなくたって、言葉を使うこと自体が楽しい』のが落語であり狂言だろう。こういう文化が小学生に浸透していくのなら、確かに森田さんも仰っていたが、「日本もまだまだ捨てたものではない」のである。 講演会の締めは、森田さんの、中島敦作『山月記』の朗読。 普通の人が耳で聞くには、漢語だらけでチトつらい話ではあるが、一応ブンガクブでもあるし、私もこれは好きな小説で、暗誦はできずとも文脈自体は概ね諳んじている。「あの単語、どういう意味だったっけ?」と迷うことなく、作品世界を楽しむことができた。 ただちょっと気になったのは、冒頭の「隴西の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね……、」の「隴西」を「ろうさい」と発音していたこと。これ、実は初版以来のルビの「誤植」で、ほんとうは「ろうせい」と発音しないといけないんだよね。山西省は「さんせいしょう」だし、陝西省も「せんせいしょう」、「西安」は「せいあん」だ。京大系の学者は「ろうさい」に固執してるらしいけれど、中島敦は東大だから(^o^)。 でもそういう細かいところはどうでもよくて、やはりセリフが感情表現になっているところがさすが役者さんである。『山月記』は淡々と読むと、テンポがいいだけに眠くなっちゃうんだけど、獰猛、冷徹、自恃、哀願、自嘲、さまざまな感情が交錯する李徴のセリフを、緩急自在に語る森田さんの朗読術は素晴らしいの一語に尽きた。 ここしばらくの『金八先生』は見ていなかったのだけれども、秋から撮入という新作も乾先生目当てで見たくなってきた。
しげと待ち合わせて、ダイヤモンドシティへ。今日はしげも仕事休みなので、ゆっくりと買い物もできるし映画も見られる。 回転寿司で食事をすましたあと、「夏に向けて服でも買ってやろうか」と言ったら、しげ、「浴衣がほしい」と言い出す。ちょうどジャスコで浴衣の割り引きセールをやっていた。帯と揃いで2千円〜3千円という激安価格、さらにチラシで一割引きというんだから、ジャスコは庶民の味方である(^o^)。 ゲタも一緒に買ったのだが、しげ、「今でもこういうの『ポックリ』って言う?」と聞く。いや、言わないのか? フタバ図書を回って、本を数冊、DVD『恋は邪魔者 特別版』などを購入。 映画はワーナーマイカルシネマズ福岡ルクルで『21グラム』。お話自体はまたぞろカミサマがどうとかという日本人にはピンと来ないネタなんだけれど、ともかくショーン・ペンを始め、役者の演技が上手いのと、時間軸がやたら交錯する構成が見事なので、2時間を飽きさせない。ラストにちょっと無理があったけど、まあ佳作だろう。『ザ・リング』のナオミ・ワッツの、なんとまあキレイなキレイなバストも見られます(* ̄∇ ̄*)。
今日読んだ本、林静一・吉元由美・谷村志穂ほか『小梅ちゃん』、マンガ、さとうふみや『探偵学園Q』16巻、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム スプラウト』4巻。たがみさん、後書き読むとあの薬やこの薬とかなり精神安定剤服用してるようだけれど、大丈夫だろうか(-_-;)。
2003年06月25日(水) 暗い話、えとえと、……何題?/『風雲児たち 幕末編』3巻(みなもと太郎) 2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) 2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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