無責任賛歌
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| 2005年04月27日(水) |
楽しんでなきゃデマなんて流れるわきゃないのだ。/『物情騒然。人生は五十一から�ぁ戞幣�林信彦) |
昨夜は11時を過ぎても周囲はピクとも揺れず、ほら見ろやっぱり地震が来るなんてデマじゃねえかと意気揚々としていたのだが、朝方出勤して、同僚から「今日、午後二時に震度七の地震が来るそうですよ」と言われてまた脱力した。外れた予言の定番、「予言の延長」である。しかも天気の挨拶をするみたいに会う人会う人「地震」「地震」「地震」で、全くなんでみんなこんなに地震が好きかとタメイキしか出て来ない。もちろん、二時を過ぎたって何の揺れも起こらなかったのだが、そしたらまた「今晩11時という説もあるそうですよ」と言い出すやつが。そりゃ、いつか地震は来るってば。こないだの余震のときも事前に騒いだやつはいないんだから、予言なんてものはみんな迷信なのである。 ウワサについては新聞でも取り上げられていて、福岡管区気象台には、連日約百件の問い合わせが続いていて、ホテルに“避難”する住民もいるそうな。避難って、ホテルに行くくらいのことで避難になるのか? どうせ避難するなら福岡自体離れたらどうなんかねえ。こういう人たちはとても本当に神経過敏になってるとは思えず、地震を口実にホテル住まいをちょっとやってみたかっただけなんじゃないかと勘繰りたくなる。 気象台は当然「デマに惑わされず冷静に対応を」と呼び掛けているということだが、こういうウワサが留まらないあたり(私ゃ、職場で話題にする気にもならなかったけどよ)、世間から「常識」が失われているってことなんであろう。 噂の内容として新聞に紹介されていたのはつぎのようなもの。 「二十七日午前二時ごろに震度7の大地震がくる」 日にち、時間をここまで設定できる科学的予知は未だに開発されていない。しかも震度は震源の中心がどこにあるか、また地形などにによっても変わるので、「震度7の地震が来る」という表現は成り立たない。強いて言うならマグネチュードのほうだろう。ウワサを広めてるやつに小学生程度の科学的知識もないことがこれで明らかである。 「自衛隊が地震に備えて緊急態勢を敷いた」 春日基地じゃ特に目立った準備はしてなかったみたいだが? つか、予測できる事態に対して敷くのが「緊急態勢」なので、この伝で行くなら自衛隊は「市民に何も知らせないで緊急態勢を敷きながら、その情報は世間にダダ漏れだった」ってことになるのだが、そんな間抜けな自衛隊が何の役に立つか。 「大学の先生が講義で地震を予知した」 「予知ができる講義」ってどんな講義じゃ。一生懸命それらしい根拠を作ろうとしてやっきになっている様子が見えて、哀れですらある。 入院患者から「同室の患者が『大地震が来る』と言って、実家に帰る手続きをしている。本当なのか」との電話もあったということだが、こんなのは別の病院に変わったほうがよかないか。
演劇関係の仕事をしていると、ちょくちょく芝居やコンサート、イベントなどの安売りチケットを入手するチャンスにも恵まれるのであるが、春先にはその案内がまとめてうちに届く。だいたい十公演から二十公演くらいまとめて来るので、見たい芝居が二本や三本は確実にあるのが嬉しい。 こないだ一緒に芝居を見に行ったときに、細川嬢とお友達から、今度芝居の安売り案内が来たら紹介してほしいと頼まれていたので、仕事帰りに、鴉丸嬢、細川嬢のバイト先を訪ねて資料を手渡す。細川嬢には、一応喜んでいただけたようではあるが、果たしてお気に召す舞台があったかどうかは分からない。 割引と言っても舞台は元値が五千円とか一万円とかバカ高いから、二、三割安くなっても四千円とか八千円とかするのである。場所が北九州だったりすると、交通費も二、三千円かかる。なかなかちょっと暇つぶしに映画でも、と気軽に行ける類のものではないのだが、二十公演くらいある中には、二千円程度の安い公演もある。せっかくの機会だから、友達誘って行ってみたいものがあればいいのだが。 公演の中には、「ボリショイサーカス」なんてのもあったのだが、これなんかは定期的に来日していて、協賛がやたらあるせいか、えらく安い。もっとも、今時の若い人にサーカスに対する“郷愁”はそうそう求められないような気がする。既に私がチケットを定額で買ってしまったシティボーイズの『メンタル三兄弟の恋』もしっかり割引きチケットが案内されていて、これなどはそんなにハズレることはないからお勧めではあるのだが、安売りでも四千円ちょっとして、やっぱり会場は「リバーウォーク」の「北九州芸術劇場」なのである。全く、どうして「これぞ」って芝居、北九州にばかり来るようになっちゃったのかねえ。
世の中に趣味娯楽の類は数あれど、「芝居にハマる」というのは、劇団の地方巡業が当たり前だった昔(っても戦前です)ならばいざ知らず、今ではかなり特殊な部類に属すると思う。やはり若いときに本当に「よい芝居」に出会って、心揺さぶられる思いを実感しない限りは、そうそう定期的に芝居を見ようなんて気にはなれないものである。 舞台はどうやったって記録には残せない。演劇関係者の誰もが口にする通り、ビデオで録画しておいても、それはナマの舞台とは似て非なるもので、舞台の魅力の十分の一、百分の一も伝えてはいない。まさしく「そこにいる」ことで誰もが共有する「空気」が、ビデオ画像からは決して感じられないのである。 だから舞台とは、いささかの誇張もない一期一会の「夢」の体験なのであり、はかなく消えるしかない運命を「観客が舞台を見た直後から」担わされているものである。すなわちそこにある「滅びの美」とでも言うべきもの――を見出す感性を持った人でないと、本来、舞台には関われないものなのではなかろうか。思うに、若いころは私以上に舞台の面白さにとり憑かれ(主にヅカだったけど)、その魅力を得々として私に語っていた亡母の職業は「床屋」だったのであり、生前、何かにつけ自分の仕事を「形の残らぬ芸術」だと主張していた。私の芝居好きは、やはり母の血なのかもしれない、と多少のため息もつきつつ、物思いにふける昨今なのである。 私は、映画を人に勧めることはあっても、舞台は、滅多なことがない限り、殆ど勧めることはない。理由はもうお分かりだろうが、「感性」のない人に芝居の面白さを語ることくらい、むなしいことはないのである。
父の店でしげと合流、三人で連れ立って、「焼肉のさかい」。 メニューは任せる、と父が言うので、ファミリーセット(ロース、カルビ、骨付きカルビ、牛ホルモン、上タン、鶏肉、ソーセージ、焼き野菜など)に上ロースとハラミを追加。ともかくしげの「赤み肉」好きに合わせたのだが、それでもしげには物足りなかったらしく、さらにロースを二人前頼んだ。いくら父の驕りだからと言っても、ちょっと食いすぎとちゃうか。父は相変わらず医者に逆らって酒飲んでるので、食はそう進んでいないし、私も野菜中心で肉は一人前程度しか食べていない。どう少なく見積もっても、しげ一人で五人前くらいは食っているのである。これで栄養のバランスが保てるわきゃあない。
先般の父と姉との決定的な衝突以来、話題はどうしても今後の店の扱いとか身の振り方のことになってしまう。往年の腕ほどではなくなっているとは言え、まだ父でなければと仰ってくださるお客さんは多く、姉が辞めても細々ながら店は続けて行きたい由を再度繰り返す。となれば単純に私の扶養家族として職場から手当てを貰えるかどうかも分からないし、同居するかどうかで支給額も変わってくる。 「そんなこと言われても、先がどうなるかオレだって分からん」と父は言うのだが、それじゃあ申請のしようだってない。私としては姉も交えて一度きちんと話をしてみたい、と思っているのだが、それも父は「せんでいい」と苦々しげに言うのである。全く、どれほど感情的な諍いをしたもんだか。 話題を変えて、時機を見て愛知万博に行かないか、と誘ってみたが、「大阪の万博で懲りたからなあ」と気乗り薄である。 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』で、子供時代のひろしが体験したのと全く同じく、私もアメリカ館の月の石が見たくて長い行列に並んだのだが、一時間経っても二時間経っても微動だにしない行列に父は痺れを切らせて、「自分ひとりでも並ぶ」と嫌がる私を無理やり連れて行列を離れたのだ。 「で、何を見に連れて行かされたかって、住友館の“未来の床屋の椅子”だもんね」と悪態をついたら、「そやったかな? もう覚えとらん」と首をひねっている。自分の都合の悪いことはことほどさように忘れ去るものなのである。
小林信彦『物情騒然。人生は五十一から�ぁ戞癖現嬖幻法法� 「週間文春」連載エッセイの2001年度版の文庫化。 タイトルの「物情騒然」は「世間の騒々しいさま。不穏なさま」という意味で、これを省略して「物騒」と使うのが一般的なのだが、落語の枕にもよく使われていた「何やら物騒な世の中になって参りましたな」、という言い回し、最近はとんと聞かなくなってしまった。今や「物騒」がすっかり日常化してしまったせいだろう。“ちょっとした”事故や殺人事件では、もう新聞の片隅の囲み記事にもならない。 それでも2001年と言えば真っ先にあの「9.11」同時多発テロが想起される年であり、いかにもさようなタイトルネーミングであるのだが、小林さんはあえて「ぼくにとって、今年最大の事件は<9.11>ならぬ<10.11>であった」と述べる。もちろん、古今亭志ん朝師匠の死去である。 恐らくは「全世界を震撼させた大事件と、一個人の死を同列に扱うとは何事か」と憤懣を覚えた人もいたのではないかと思われるが、歴史は国際政治や経済のみで語られていいものではない。志ん朝師匠の死は、日本文化の最も重要な底流の一つが“完全に”消滅してしまったことを示しているのであり、同時多発テロよりもより我々庶民の日常に肉薄している。日本人としてのアイデンティティー、心の拠りどころを失ったに等しいのだ。 だからこそ私には、小林さんの言が、自己の趣味の世界を偏愛しているだけのオタク的感性の産物ではないことが“分かる”。地方出身者である私にも、志ん朝師匠の使う江戸弁と、それ以降の噺家の江戸弁もどきが「違う」ことは一“聞”瞭然であった。しかし、そのことを“肌で感じられる”世代は、多分、我々四十代が最後なのであろう。悪口ではなく、一つの「事実」として理解してもらいたいのだが、今の若い人たちが、私から見ればとても日本人だとは思えないのも、そういう感覚が“分からなく”なっているからである。実際、「物を知らない」なんてレベルではないんだからねえ。
もちろん、一つ一つのエッセイを読んでいくと、小林さんの言にも違和感を覚えることも少なくないのだが(最近の「血液型性格診断」に関する肯定的意見(?)などはその例だ)、概ね「そうだよなあ」と納得するのは、人間同士の共感や理解、絆と言ったものが、文化的背景の共有なしではありえない、という視点を七十の坂を越えた小林さんが忘れてはいないからだ。若い人たちがどんなに「自分たちにだって“心”はある」と力説しようが、裏打ちされた文化なくして「心」は育つものではない。『セカチュー』以降、我々から見れば幼稚で安っぽい擬似純愛ドラマでしかないバカ話が流行るのも、その程度で満足してしまえるほどに若い人たちの心が「薄く」なっているからである。小説も、映画も、舞台も、明治のころ(あるいはギリギリ戦前まで)に作られた作品は伝統的文化に裏打ちされていて、現代のそれよりももっと濃密で、それでいて重苦しくはなく、粋だったものなのだが。綿矢りさの『蹴りたい背中』も、その「擬似恋愛」ぶりが若い人たちの(特にオタクの)イマドキな「現象」として面白くは感じられても、小説としては「それから先」を描かなければ意味ないじゃん、としか私には感じられないのである。 映画『シックス・センス』について、小林さんは、あの「意外性のあるラスト」について「映画のルールに従えば」推測は充分可能であり、「この程度のシナリオが珍重されるハリウッドはかなり荒れている」と批判する。もちろん、その指摘は全く「正しい」のだが(私も伏線まるでなしの『アンブレイカブル』を除けば、M・ナイト・シャマランの映画のトリックはその「へたくそさ」ゆえに開巻五分で見破ってまえている)、本来、あの映画は、そんな「意外性」を強調する方向にではなくて、ハーレイ・ジョエル・オスメント少年が、霊界お助け人として目覚めていく過程を描くことをもっとキモにすべきだったと思う(『花田少年史』みたいなシリーズものにすればよかったのにねえ)。妙にこの「どんでん返し」だけが巷間の話題に上ってしまったために、その後のミステリー映画は、ただ物語をひっくり返せばいいだろう、という安易な模倣に堕するものが増えることになってしまった。『愛してる、愛してない』『アイデンティティー』『箪笥』などはまあ出来がいいほうであったが、『シークレット・ウィンドウ』や『ハイド・アンド・シーク』などは全く無残な有様であった。 「二匹目、三匹目の泥鰌」を狙うのは映画界の昔からの悪弊であるが、もちろんこの「どんでん返しがあればいい」物語の流行の責任が、脚本のバランスをうまく取れなかった「新人監督」のM・ナイト・シャマランにあることには疑う余地がない。しかし、映画を見慣れていない若くて未熟な客が増えすぎていることにそもそもの問題はあるのだし、ましてや小林さんを初めとして、トリックを見破っただけでそれを嬉々として語る評論家たちの「野暮ったさ」が、かえって客の反発を煽っていることも感じないではいられない。ハリウッド映画が「荒れた」のはここ最近の出来事ではない。乱雑な脚本がまるで名作であるかのように喧伝されて堂々とまかり通るようになったのは『スター・ウォーズ』のころからそうだった。字数に制限のあるエッセイでは無理なことは承知の上で言うのだが、映画を本気で批評しようと思ったら、「自分が気付いたこと」だけではなくて、「このように作るべき」という点にまで踏み込まないと、ただの揚げ足取りになりかねないのである。
小林さんが今巻で取り上げている人々の中で、もう一人忘れてはならないのは(毎年取り上げてはいらっしゃるのだが)、映画評論家の双葉十三郎氏である。 私も氏の『ぼくの採点表』シリーズは、映画をどういう切り口で“読んで”いけばよいかの教科書として参考にさせてもらっている。つか、たとえシロウトでもね、これ読んでない人間が映画の批評を書こうって、そりゃおこがましいって言うか、出発点から間違ってるんだわ。“斬人斬馬剣”の辛口批評家として著名な氏は、この年、菊池寛賞を受賞している。それだけでも氏が“ただの映画評論家だけの人ではない”ことが分かるが、ともかく、A級、B級、C級と、映画に貴賤を付けずに批評する氏の姿勢は、いずれかの分野に偏りがちな昨今の映画評論家モドキは襟を正して範とすべきであろう。双葉さんは、海外の推理小説に通暁し、翻訳家でもあり、アメリカのジャズも戦前から熱心に聴いていた。そんな八面六臂の活躍ぶりの動機が全て、「勉強しよう」とか「既成の権威に対する抵抗」とか、そんな辛気臭いものではなくて、ただ「面白いから」、というのだから、これを「粋」と呼ばずして、何を「粋」と言おう。 1932年生まれの小林さんが、1931年公開のゲーリー・クーパー主演の『市街』を見ていないことに、1910年生まれの双葉さんは驚く。「そんなの見られるわけないじゃないか」と、若い人ならいかにも自分が正しい、といった口調で主張するだろうが、作品を批評するということは、そんな言い訳などが通用するものではない。双葉さんとて超人ではないのだから、“全ての映画を見ることなど不可能”だろうが、“それでも見ている”ことが映画評論の前提となるのである。映画を「好き」になるというのはそういうことだ。屈託なく「あ、それ、見てないっスね」なんて言ってるやつは、映画が実は嫌いなのである。そんなヤカラはもう、厚顔無恥としか言いようがないのだが、私も実は『市街』は未見で、これはもう「すいません」と謝るしかないのであった。
2004年04月27日(火) お客さまに感謝。してるんだって、ほんとに。 2003年04月27日(日) メモ日記/アニメとマンガな一日。 2002年04月27日(土) 東京再訪� 浸安襪凌好献屮衄�術館/アニメ『くじらとり』ほか……“NEW”! 2001年04月27日(金) 祝、2000ヒット/映画『チキンラン』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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