話題の映画
『ダヴィンチ・コード』を観て来ました。 原作はまだ読んでなくて、とりあえず素のまま映画を観てみました。 次々に謎解きやどんでん返しが続いて、もうこれで終焉かなと思うと、まだある、まだあるの繰り返しで、非常に緻密な構成の作品でした。 私は日本人なので映画作品として普通に面白いな〜って観つつ、同時に西洋人は大変だな…と思いましたよ。 ヨーロッパの歴史はキリスト教と共にあったというか、両者は切っても切れないとこまで食い込んでるのだなと改めて思いました。 プログラムのインタヴュー記事にも「よく出来たフィクションだ」とかフィクションを連発したり、カンヌでは審査員の拍手がなかったりとか。 マジなんですね。 日本人の私は「別にイエスが人間でもいいんじゃないの?」と思いますけどね。 仏陀も人間だったし。 わが国の天皇も人間宣言しても別に暴動が起こったわけでもないし。 でも、西洋の人たちにとっては、マジに歴史も否定しかねない禁忌なのですね〜。 大変だ。
でも、この禁忌に踏み込んだのは今回の映画が初めてではなくて、実は1988年に公開された『最後の誘惑』という男としてのイエスを描いた作品があるんですよね。 私は観ていませんが、当時は今世紀最大の問題作として大変センセーショナルな事件で、アメリカではタイムや新聞各紙のトップを飾り、2万5千人にも及ぶ上映反対デモが大統領選をも揺さぶる事態を引き起こしたそうです。 でも、映画興行としては当時ハリウッド史上最高の大ヒットだったそうです。 今回の『ダヴィンチ・コード』と状況が似ていますね。 20世紀から21世紀になってもキリスト教社会はあまり変わっていないようです。 私は、作品を純粋に娯楽として楽しめる日本人でよかったと思いました。
2006年06月03日(土)
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