きっと どこかで
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2004年05月05日(水) |
「光とともに」第4話 |
今日は連休で旦那も休み。「自閉症の子供のドラマが始まるから一緒に見ようよ」と誘ったけど、別の部屋に行ってしまった。まだ認めてないんだよねー。「うちの子はちょっと変わった普通の子」なんだと思ってる。そんな割には、「イルカセラピー」の話を聞いてきて、「うちの子供みたいな子供にいいらしいんだって」などと言ってる。
確かに、我が子は「自閉症」ではない。軽度発達障害の中の一つ。(コミニケーションの障害だと私は考えている。)でも、エピソードなど、我が家の出来事とダブるところが結構あって、そのたび、涙してしまう。
私の母も見ていたらしい・・聞いてみたら・・「うちの子とは全然違う」でも、母親が子供の事を一生懸命考えているのは、同じなんだけどなあー。
さて今日は第4話。
ヒカルくんのために、トマトを交流学級の子供と一緒に育てることになる。学級の中の一人の子供が、トマト係りとなり、ヒカルくんと一緒に、トマト畑まで行き、じょうろに水を入れ、トマトの苗のところまで一緒に行き、水をかける。これだけのことだが、ヒカルくんに理解させるのにトマト係りの子供も一苦労。先生方の助けもあって、トマトの苗に水をやることが出来るようになる。その時、トマト係りの男の子も、同じクラスの男の子も、手を取り合って喜ぶ。(女の子は、そんなこと出来るわけないじゃないの、と冷ややかな態度だった)
障害を持っていない子供には難なくこなせることが、障害のある子供には難しいことだったりする。だから、心障学級のようなところで、手をかけて指導していくことも一つの方法。また、友達との係わり合いを学ぶために、交流学級のようなことも本人のペースに合わせて、無理なく進めていけたらいいと思う。
こういう子供と一緒に過ごすことについて、嫌悪感を抱く人もいるのかもしれない。でも、もしかしたら、自分の子供もそういうふうにならないとも限らないのだ。事故などで、後天的にそういうふうな障害を持つこともある。そう思うと他人事とすまされないのでは、と思う。
トマトの水やりにあれだけの手間をかけないと出来るようにならない子供と同じクラスにいると、「勉強が遅れる」などと思う親もいるだろうなあー。でも、勉強って、机に向かって、字を覚えたり、計算が早くできるようになることだけではないはずだ。実際に社会に出た時、求められるものは、人に対する思いやりとか、気配りとか、とっさの機転とか・・。そういうのは教科の勉強では身に付かない。いろんな人間と関わって身につけていくものだと思う。
そういう意味では、我が子はそれこそ、そういうことが最も苦手分野。(生まれつき)(発達障害のため)
我が子の場合は、就学前相談で、通常学級で対応可能と判断された。幸い校長先生や担任の先生、クラスの子供達にも恵まれ、暖かい雰囲気の中で過ごさせていただいているようである。
そういう雰囲気の中にいることで、我が子自身もそういったものを、感じたり身につけたりしてほしいと思う。それが、我が子が通常学級にいる意味なんだろうと思う。
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