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■ 2003年06月24日(火) 命の所有権
友達の知り合いが、自殺したらしい。 彼氏の友達(男)で、自分も面識があるみたいで、凄くショックを受けてるようだった(当然だけど)。 何でも、昔からの仲間にいじめを受けていたそうだ。今でも週末にはみんなでサッカーしたりするような仲だったのが、ここ最近、仲間はずれにされていたらしい。そして彼は、ラッシュ時の電車に飛び込んだ、と。ご遺族の元には、数千万の賠償金の支払いが求められるそうだ、と。
自ら死を選ぶほど辛い思いをした人に、「死ぬ気になれば」云々の話をするのは、余りに酷なことだと私は思う。というよりは、死ぬ気になれば何だって出来るとは、少なくとも私は思っていない。死ぬ気で何かするより死んでしまう方が楽なことだって、きっといっぱいあるだろうし、何より、これ以上苦しい思いをしたくないのだから。 命を絶った彼にだって、大切なひとはいただろう。それらのひとを悲しませることになっても、それでも、これ以上生きていくことは辛かった。そんな彼を責めるのは、やっぱり心苦しい。生きるのが辛い人に、「自分が悲しいから生きていてくれ」と言うのは、所詮自分のエゴなのかな、と思う。「死にたい」と願うことが、そう願う人のエゴであるように。 自ら死を選んで逝ってしまった人には、その行為を後悔して欲しくない。当人が後悔してしまったら、その「死」が無駄になる。エゴを通したのであれば、せめて後悔だけはしないでほしい。その方が、残されたものは救われる気がする。
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・過去の「今日」。
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