琴 星 商 事 日 乗
HOME | index | ≪ prev | next ≫ | new | BBS | master |

■ 2005年06月26日(日)
  in 越前(長いです) <画像あり>

 朝8時。三国町にある瀧谷寺の拝観開始時間に合わせ、宿を出ました。

 瀧谷寺。たきだんじ、と読みます。真言宗智山派に属する寺院で、創建はそれほど古くなく1375年(南北朝時代)です。国宝や重要文化財の指定を受けた建物や仏具も所蔵していますが、有名なのは日本名勝庭園の指定を受けた庭園です。でも私は庭には余り興味がないので、とにかく参拝。
 多分、私たちが本日最初の参拝客だったんじゃないでしょうか。駐車場横にある案内所で拝観料を支払って参拝のしおりを受け取り、無人の参道を進みます。
 まだ朝が早い所為か、空も靄がかかっていて地面も空気もどこかしっとりした感じ。空気はむわ〜んとした熱も帯びています。
 山門をくぐり、順路通り庫裡へ。そこに御守や御朱印を扱う場所があったので奥に声を掛け、御朱印帳を預けました。出て来て下さった年配の女性は庫裡から本堂へ続く通路の手前で簡単にお寺と祀られている仏像について説明して下さり、それから参拝。本堂は薬師如来、観音堂は如意輪観音と白寿観音。それぞれお参りして、庭園を眺めつつまた庫裡に戻ります。御朱印帳を受け取り、庫裡を出て宝物殿へ。ここで国宝や重文を拝めます。
 拝観を終えて参道を下りていく途中、バスで来たと思われる団体さんとすれ違いました。良かった、いいタイミングで来たわ。

 続いて近くにある三国成田山へ。本堂に入ると、3名の僧侶が丁度9時の護摩の最中。御朱印を頂くのに、少々待たせて頂きました。こうして見ていると、暑い中、衣を纏って炎を焚き上げ、大きな太鼓を打ち鳴らすとか、坊主も体力仕事だなーとか思ってしまいました。声明じゃなくても、読経って音楽だ。

瀧谷寺三国成田山護摩
瀧谷寺の弘法大師像、三国成田山。

 通り道にあった氷川神社(多分、大宮の氷川神社の関連じゃなく、出雲の「簸川」関連だと思う)に寄ってから、式内社で旧県社の三国神社へ。カーナビが示した所は神社の裏手だったらしく、ちょっと迷って辿り着いた神社は、想像以上に大きなものでした。
 階段を10段ほど上ったところに鳥居、その階段の横には欅の物凄い大木(樹齢約600年らしい)。鳥居の先にも階段があり、随身門をくぐって右手に折れ、参道を曲がり曲がり上っていくと拝殿です。
 拝殿に辿り着くと、拝殿前左手にテントが張られていて、年配の男性が集っています。拝殿前には茅の輪。うわあ今日夏越の祭りやってる��( ̄□ ̄;)
 と、取り敢えず参拝しないことには・・・と拝殿前に進むと、茅の輪のくぐり方の説明書きが拝殿に設置されています。斜め後ろから感じるおじいさまたちの視線。や、やらなきゃ(−−;)
 茅の輪をくぐって左に、次はくぐったら右に、も1回くぐってまた左・・・。
「違うよ、ここ通んなきゃ駄目だよ」
 つ、遂におじいさんに声かけられた。
「正式にはこれを持って」
 はあ。
 何やら竹筒に入った菖蒲の葉(5月5日にお風呂に入れるヤツ)みたいなものを持たされます。
「それ持ってこうかかげて、こう礼をしてからくぐって、最後にその台にこれを置いて、参拝するの」
 おじいさんは茅の輪のくぐり方を丁寧に説明して下さいました。
 全然この辺の人じゃないんですけどいいんですかね?
「ああいいですよ」
 つーかまだ夏越じゃないのに(夏越は6月晦日)本格的に夏越しちゃっていいものかとも思ったんですが、考える余地ナシ(笑)。やるしかない。おじいさま方の視線を一身に集め(ている気がし)つつ、再度茅の輪をくぐり、台の上に筒に入った菖蒲(?)を置いて、いつも通り二礼二拍手一礼で参拝。ああ汗が出る。
 テントのおじいさま方に頭を下げて退出しようと思ったら、
「良かったら御神酒もどうぞ。車じゃないよね?」
 お、御神酒も!(いやん)
 じゃ、じゃあ・・・。
 重ねて置かれた盃を取り、注がれるがまま御神酒をいただきました(結構注がれた)。このあと永平寺行くんだけどなぁ。御神酒ならアリかなぁ。
「すみません、ありがとうございました」
 御礼を言って、社務所へと向かいました。
 拝殿から一段下った所にある社務所にも、結構な人の気配。すみませーんと声を掛け、御朱印が欲しいと言うと、「ああ、御朱印は拝殿の左」!
 うッ、またあそこに行かなきゃならんのか!
 仕方ない、戻るか・・・と踵を返したら、おじいさんが後を追ってきてました。
「あのね、これ、良かったら、まあ御守にでもして」
 そう言って、テントの事務机にたくさん置いてあったミニ茅の輪をひとつ手渡して下さいました。うわぁわざわざありがとうございます。
 ホント、わざわざ追いかけてきて下さったのに、また拝殿まで戻る私(トホホ・・・)。テントの前を頭下げて通過し(ホント何度もすみませんすみません)、茅の輪の横を通って拝殿左へ。さっきはどぎまぎして全然気が付かなかったけど、左端が授与所のようになっていて、そこに御神職(多分、宮司さんではない)が座ってらっしゃいました。
 御朱印帳を渡して待っていると、後ろから「あの女の子、何してるの?」「御朱印や」「ああ、たまにいるなぁ、そういう人」「へえ、若いのにねぇ」とか声が聞こえます。これだよ、これがイヤなんだよ!
 朱印料をお納めして、テントのおじいさま方にも何度目か最早判んないけど会釈して、そそくさと帰ってきました。随身門の手前辺りで、授与所の御神職の手元にあった由緒書を貰ってくるのを忘れたことに気が付きましたが、もう一度あのテント前を往復する勇気はなく。
 いえ、とてもよくして頂いたんですけどね。でも集団には圧倒されます。ハイ。

三国神社三国神社拝殿
三国神社(とテントのおじいさま方)。

 さて、三国神社で随分長い時間が経過しているような文章量ですが、実際はまだ11時前です。これから永平寺です。

 永平寺。曹洞宗で一番格の高いお寺です(ちなみにうちの実家は一応曹洞宗)。以前は電車が通ってましたが数年前に廃線になり、今はバスかタクシーか自家用車で来るしかありません。その所為か、門前の土産物屋の客引きの激しいこと激しいこと。何処も1,000円買ったら駐車料金タダのようで、物凄い強引な客引きです。町営駐車場に止めても駐車料金500円取られるので、文字通り門前(真ん前)の土産物屋に車を止めました。キーを預かるあたり、物凄い台数止めるんだろうな、って感じ。すげー。

 さて永平寺。丁度大型観光バスが1台やって来た所為もあり、観光客も多いです。が、負けずに多いのは坊主の数。修行僧を「雲水」と言いますが、ここでは参拝者のガイドを務めるのも雲水の役目。あっちにもこっちにも雲水。なのに、
「建物や仏像等、ご自由に撮影して頂いて結構ですが、修行僧にはカメラを向けないようお願い致します」
 いや、こんなにあちこちにいられたら、どっかしら写るよ!

 七堂伽藍は何処もピカピカ。これだけの数の雲水がいれば、そりゃあ細かいところまで磨き放題でしょう。貰ったパンフに作務の様子として廻廊を雑巾掛けする雲水たちの写真が掲載されてますが、そこに写っている雲水の数たるや約30名! 1本の廻廊をこれだけの人数で磨き上げれば、そりゃあピッカピカになるよ。

 残念だったのは、七堂伽藍中最も高い位置にある法堂が、何やら法要中で拝観出来なかったこと。そこから下を眺めたかったなー。
 門前で御利益団子(のよもぎ)を食べ、車を止めた土産物屋で羽二重餅なんかを買い、案の定敷地いっぱいに止められた車をどかしてもらって、永平寺を後にしました。

永平寺山門永平寺仏殿の須弥壇
永平寺山門、仏殿の須弥壇。

 永平寺から山を下りて、福井市内に入ります。目指すは市街地の外れにある足羽山。この山の上(車で登れる)に式内社・足羽神社が鎮座しています。
 神社に至るまで、山内の道は両脇に紫陽花。青い花が綺麗でした。神社の境内には樹齢約360年という物凄く立派な枝垂れ桜(天然記念物)。春はさぞや見事なんでしょう。

 神社まで登ってきた道は一方通行。夫は昔福井に住んでいて、ここにも義父の車で来たことがあるそうで、その記憶に従い車は進みます。
 福井って、去年豪雨で水害だったんですよね。市街地の結構ど真ん中で川が決壊したりとかしてましたっけ。
 で、その道は災害復旧工事中でした┐('〜`;)┌
 案内表示によると、藤島神社に出る道しか下山する道はないようです。藤島神社。旧別格官幣社で、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が祭神なんですね(別格官幣社って国に功績を挙げた人物を祀る神社なんです)。武将だとか軍人だとかを祀る神社には余り興味がないので行かなくていいやと思ってたんですが、通るのならば行っときましょう。これも神縁。
 山を下りる道中、すぐ近くまで行かないと見えてこなかったので意外と小さい神社なのかなーと思ったんですが、そんなことは全然なかったです。
 社務所のある建物に「○○家 ○○家 会場」みたいな掲示が出ていました。拝殿(またしても茅の輪がかかってる)へ行くと、中で御神職が一人、結婚式仕様に椅子を並べています。ふーん、ちゃんと結婚式も出来る神社なんだぁ(って旧別格官幣社だからさ、自分)。
 社務所の窓口に行くと、初宮参りの申し込みをしている人がいました。対応している年配の男性はタキシード姿。これから結婚式だからなんだろーか。それともこれが標準?(なら何で神社でタキシード?) 取り敢えず慌ただしい感じです。結婚式はともかく(スペースの都合もあるし)、初宮参りでわざわざ足羽神社ではなく藤島神社を選んだ理由ってのはどんなのなんだろう? 氏子なのかしら。つーか同じ山に鎮座してる神社(しかも他にもまだある)の氏子域ってどうなってるんだ??

足羽神社拝殿内足羽山の紫陽花藤島神社
足羽神社拝殿内、足羽山の紫陽花、藤島神社。

 足羽山を下り、藤島神社を後にし、福井の市街地へ。ウチの夫オススメの店に越前そばを食べに参ります。
 越前そばはおろしそばが基本だそうで。私はおろしとざるが両方楽しめるってヤツを注文しました。夫は普通のおろしそば(大盛り)。
 ・・・でもね、何かイマイチでしたorz 何つーか、ちょっと茹ですぎな感じ。越前そばの特徴として普通の蕎麦より幅広に切るみたいなんですが、その所為なのかなぁ。私は蕎麦とスパゲッティはアルデンテ派なので、ちょっと気持ち悪くなる・・・(ォィ
 後で夫に訊いたら、やっぱり昔の味ではなかったらしいです。でも蕎麦つゆも(土地柄で)薄目だし、私は余り好きな蕎麦じゃないなぁ。

 続いて市内の神明神社へ参拝。かなり大きな神明さんです。社殿などは全て戦火に罹っており、戦後の建築。拝殿向かって左にある社務所もとても大きくて、御朱印をお願いしたらホテルのロビーみたいなところ(テレビまで付いてる)で待たされました。ちなみにテレビでやってたのは韓流ドラマ(全然興味ないから判んないんだけど)。

 更に市内で神社巡り。続いては、先程の藤島神社と同じ旧別格官幣社・福井神社です。
 福井神社の御祭神は、福井藩主の松平慶永(春嶽公)。ぶっちゃけて信仰的な興味はないんですが、ここに来たかったのにはワケがあります。
 下の写真左を御覧下さい。これが福井神社。二の大鳥居と拝殿です。福井神社の創建は、何と昭和18年9月です。創建時の社殿は総檜造り。ところが創建から僅か2年の昭和20年7月に福井大空襲で無惨にも焼け落ちます。で、戦後、福井大学工学部建築科に設計を依頼し、「コンクリート造りの永久建築物とする」(多分造ってすぐ焼けたのがショックだったんでしょうね)と決めて、「古い形をそのままコンクリートで再現するのは合理性がなく独創性もないから採用しない」(独創性って?)という方針になった結果、このような建築になったそうです(「福井神社の栞」参照)。ちなみにこれは神明造をコンクリートで表現したんだって。この神社建築的に意表突きまくりの建築が見たくてここに来たワケです。
 イヤ、この二の大鳥居を見ただけでも来た価値があったよ。だってこの「福井神社の栞」に出てる境内見取り図に「二の大鳥居」って書いてあるのを見るまで、鳥居なのかそうじゃないのか判んなかったもん。貫(下の横棒)は何処よ貫は。

 その後、近くの佐佳枝廼社(さかえのやしろ)へ。ここは越前東照宮。社務所で猫を飼われていて、ここの主の如く大きな顔で寝ていました。

福井神社佐佳枝廼社の飼い猫
福井神社の大鳥居から社殿、佐佳枝廼社の飼い猫。

 福井市を後にし、国道8号を南西へ。敦賀市へ向かいます。
 敦賀となるともう越前と若狭の境に近いですが、ここに越前国一宮が鎮座しています。旧官幣大社・氣比神宮が目指す一宮。大きく真っ赤な鳥居の横にある社号標にも、誇らしげに「官幣大社氣比神宮」と大書されてました。
 駐車スペースが裏側だったのでそちらに周り、裏から境内に入ったんですが、その格の割には小さい神社だと感じました。敦賀の市街地にあるから仕方ないのかな。
 裏から入っても、この程度の広さなら1回正面から入り直して参拝するようにしています。何となく神社は出来るだけ正面から入りたいんです。
 最初に見た大きな鳥居の横に、境内社の猿田彦神社が鎮座していました。猿田彦だけに狛犬が猿。その先には「氣比の長命水」という水が湧き出ていました。それも、甲羅に苔が生えた縁起良さげな亀の石像から。参拝後、ほんの少しだけ飲ませて頂きました(生水いっぱい飲むとお腹壊すので)。無味無臭。

 ここで時間は16時。盛りだくさんの割に順調に来ています。もう1ヶ所、このすぐ近くに見たいところが。

 氣比神宮から数百mの所に、安倍晴明がここで天文の研究をしたとか伝わる所があります。元々は稲荷神社だったんですが、明治に晴明神社と改称されたとか。大きい神社では全くなく、奉仕する人も参拝客も誰もいないだろう、ちょっと行って参拝して写真撮れればそれでいいや、と思ってたんですが、辿り着いてあらまあびっくり。
 参拝してる人がいるよ。幟も看板(社号標とか由緒書とかじゃなく文字通り「看板」)も立ってるよ。そして拝殿前にはまたしても茅の輪が!!(イヤー)
 鳥居をくぐり茅の輪の前まで来ると、社殿の中からおじいさんが「どうぞどうぞ中でお参り下さい」と声をかけて下さいました。普段神社の管理をされてる方でしょうか。夏越直前の日曜だから人が居るのか、それとも晴明様人気で人が来るから休みの日はいつもいるのか。でもラッキー。社殿に上がらせて頂き、参拝しました。
 この神社には「晴明の祈念石」と呼ばれる霊石があります。何処にって社殿の下。これを拝むには、中に入るほかないんです。だから上がれてラッキー。
 社殿内では御守なども置いていました。御守は八角形の開運厄除守(500円)しかないんですが、御朱印帳(大体葉書くらいのサイズです)より一回り以上小さい紙に例の五芒星(所謂「晴明桔梗」)と「晴明神社」の朱印が押されたものが御志納で配られていました。三宝の上に何枚も重ねられていたその紙を手に取ると、おじいさんが「何枚でもどうぞ」と。太っ腹ー! こんなのが置いてあるなら御朱印も頂けるかも、と訊いてみたら、おじいさんが書いて下さいました。
 外から参拝することしか出来ないだろうと思っていた小さい神社に人がいると、予想外だけにかなり嬉しいです。
 でも、社殿の出入り口横に置かれていた「陰陽師 安倍晴明に出会う旅 福井敦賀」とかいうパンフとか、神社前の看板とか、社殿内の芸能人のサインとか見ると、なんだかなぁ、と思ってしまうのも事実です。晴明人気衰えず。すごい。
 あ、サインに荒俣宏とか京極夏彦とかはなかったです。あったのは大和田伸也(敦賀の出身らしい)とかハイヒールモモコ(何故?)。

氣比神宮晴明の祈念石晴明神社
左から氣比神宮、晴明の祈念石、晴明神社。

 盛りだくさんの一日を終え、車中の飲み物なんかをお買い物して、北陸道経由で広島への帰路につきました。一体今日何回茅の輪をくぐったことか(^^;)

 ・・・長いなこの日記!


**************
・過去の「今日」。


≪ prev ▲page top next ≫

←心の琴線に触れたらば是非押して下さい。励みになります。
エンピツMy追加
※エンピツ作者様へ 当サイトはwhoisMyを告知しない設定になっています。
■About Link
Copyright (C) 2001-2009 Kazuki Matsumoto, All rights reserved.