日々是無常。(直リンク禁止)
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2001年08月31日(金) タイタニック観てません

月末の締めのおちごとをちょっとだけ消化して帰宅。帰りの挨拶が『御疲れ山〜』に定着してます。閉業後みんな一人頭数百枚の処方箋チェックで、目と脳みその酸素を抜かれてますね、誰もツッコまねぇ。
それにしてもワタシが帰りのバス捕まえようとすると、何故に立て続けに目の前で2台も3台も行ってしまうのでしょう。ええ、道の反対側に帰りのバスの停留所があるもんで、信号待ちにこの屈辱を死ぬほど味わってます。あげくまとめて来たその後10分来ない。『3分ですぐ来る東急東横線を見習えー!!』と言ったら、無理じゃ、と一喝された。そうなの?


…ワタシどうして「自分と直接関係の無い、他人のいざこざ」でこんなに頭悩ませてるんでしょう。
丁度ウチのジッちゃんが急逝(3/11)して親の実家に帰ってた頃事件(ある方がある場所で中傷された)が起きたようで、それを知ったのが2ヶ月後。その頃には結構な波紋が広まっていたようでして。
藪から棒にその事実聞いてしまったワタシにしてみれば、『スプラッタホラー映画の残酷な殺戮シーンをいきなり居間でくつろいでた所に突きつけられたような気分』。その事件をどう思うか、ではなく、それ以前に怖かったです…。心ある方に『そんなに気にしないでね』と、背中から倒れんばかりの魂の抜けっぷりを心配されてしまいましたが、まあそのくらい痛かった。私ってつくづく争いごとが嫌いなんだなぁ、と図らずも実感。他人の理不尽に意義を唱えるのと、攻撃しかえす(この場合は、友達を中傷されたから許さないって具合の宣戦布告状態)のがごっちゃになっていないか。ましてやこれがイベント(オンリーならなおさら)会場で起こったら…見知らぬ誰かを知らないうちに傷つけてるかも知れない。目の前で自分の好きなキャラクターやカップリングをバッシングされるのと同じです。たとえ話し相手が自分でなくても。

『その一言が誰かの心にずっと消えない傷を残してしまう可能性がいつ、誰にでもあるんだって事、忘れちゃ駄目だよ…。』←自分にも痛い台詞
少なくとも、半年経とうとする今も、この傷(私のというか関わった人々の)は風化されていない。

事が大きくなれば一人一人の傷も広がる事は考えなくたってわかる。
で、その結果、最初に傷を受けた人の気持ちはどうなるの?騒ぎを大きくすれば守れるの?わたしは、『NO』だと考える。
本当に守るべきなのは、最初に被害にあった人の気持ちだったはず。どうして、愚痴や誤解を招く言葉にすり替わってしまったのだろう。そうやって辛さをぶちまけた(・・・今の私の行為もこれにあたります…ね;)ところで、それがその人の為になる事なの?・・・何一つ、その人の益にならない。凹むような出来事からも、学べることはきっとあると思うのに…。
考え方って、人の数だけあるものです。「何が正しい」か、という事ではなく、「何を正しいと思う人がいても少しも不思議な事じゃない」という事が、往々にしてやってきます。その山を一つ越えるたび、広く見渡せるようになる視野が欲しいですね。「目の前の現実を受け入れて、許せる勇気」とでもいいますか。ワタシは知り合いや友達が喧嘩してる時、どうしようと先生に相談するほど子供じゃないけど、大人と言ってもまだまだ、の青二才です。説得力無いのは承知です。それでも、
何だか、すりへってしまいそうなその方々を見て、心配になってしまい、つい余計な事を書いてしまいました。

あ、ちなみにこれ文脈からお察しの通り、仕事の事ではありません。


緑川 志信 |MAILHomePage

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