| 引越,魚しん,Sさん送別会ドタキャン,慰謝料交渉妥結 |
9:00の予定だが8:30にビッグ引越センターが来る。まだ荷造りが完了していない。焦る。 9:00過ぎO君が手伝いに来てくれた。
10:45、全ての荷物を積み終える。帰ろうとするO君。 彼は「出」だけ手伝えば良いと思っていたらしく 「引越手伝いっていうのは『入』までが常識でしょう。一人では無理だよ」 と言ったら驚きの表情。
ISDNのTAを彼の新居に置いて来ると言うので 「何時に戻るの?昨日みたいに何時間も後になると困るよ。私の新居の方にすぐ来て」 と言って住所・行き方を書いているうちに行ってしまう。
引越を手伝うと言ってくれた人は他にもいたが、O君がいるからと断った。 ちゃんと来てくれるのだろうか、と不安になる。
新居に着いて間もなくO君登場。住所をろくすっぽ聞かないで、かなり迷ったらしい。
とりあえず全ての荷物が入って、O君とお昼。近所の「魚しん」。 お昼はカード使えず。それぞれ千円位しか所持金がなく、コンビニにお金を下ろしに行く。
2人で揃えた家具・家電のほとんどを私が引き取った。狭い部屋に入れるのに四苦八苦。 家具屋の倉庫状態。洋服ダンスが高すぎて和室に入らず、玄関開けたらすぐクローゼット。
椎名町の家の出窓に合わせて、作ったばかりのベッド台は粗大ゴミか。勿体無い。 3万で作ったすのこベッドを、O君に1万で売ってくれないかと言われて断った。
O君も太古八から引き払って新居に移るため夕方はそちらへ。私は一人で作業続行。 実は今日はずっと前から飲み会の予定が入っていた。 荷物の整理は後回しにして行きたいが、無理そう。
19:00過ぎに太田君が戻ってきて、20:00過ぎに何とか収まりがついた頃、 飲み会の主役、辞めた会社の元先輩Sさんから「来いよ」と電話。
O君に「お疲れ様」をしなくちゃいけないし、慰謝料交渉のリミットなので涙を飲んで断る。 楽しみにしていたのに残念、申し訳ない。
暫くしてまたSさんから電話。 「お前、『す』がつく名前の人と付き合ってるの?」 「須佐美君ですか?付き合ってないですよ」 「今、須佐美君といるの?」 「違います。今O君といるんです」 「あ、そうなの。わかった。じゃ」
海外天は宴会が入って賑わっている。O君にお礼を言って乾杯。 「O君がいなかったら大変なことになってたよ」
「金の話だけど」とO君が切り出す。
私と付き合っているという噂らしい須佐美君が元妻に払った慰謝料金額を言ったら 「俺はそんなに払えない、俺はそれほどの価値ない」 とのことだったが、もちろん私もそんなの期待していない。
彼はやたらお金がないと訴えるが、私はいくら欲しいと言ったこともない。 「踊りの発表会をやめれば百万円は払えるよ」とO君。 この踊りの発表会はもともと私が、出ることを強く奨めた。 だから私が発表会をやめて金を払えと言うわけがないとわかっていて、そういうことを言う。 情けない。本当に悲しい。
私が「金額が足りない」と言っているわけでもないのに、 彼が肺炎になったときの私の看病が行き届かなかったことを再び持ち出したり。
「二人でずっとパートナーとしてやっていこうという約束を反故にした お詫びの気持ちを表現して欲しいだけだよ」 「そんな約束は新聞と同じだ」 「新聞?」 「朝日新聞の購読契約と同じ」 これには切れた。客は私たち2人だけになった店で大泣き、猛抗議。O君は発言撤回、謝罪。
何で慰謝料を払う側にさらに傷つけられなくちゃいけないのか、メチャクチャな話だ。 Sさんたちと楽しく飲んでいるはずの時間に。飲み会を断ったことを激しく後悔した。
そして分割で払うと言うので「一括で欲しい」と言ったら 「絶対イヤだ。それなら徹底的に闘おうぜ、裁判しよう」。 あほか。そんなことしたらあんたの言う金額で済むかよ。
「一括払いにしたらそれっきりって事にしたいんだろう」と言うので 「違うよ。これで一切のわだかまりがなくなるの。恨み言も言わない」。 私は早くすっきりしたい。毎月きちんと支払われるか悶々とするのが嫌なだけ。 しかし無い袖は振れない、私は追剥ぎではない。
金額、支払方法が決まったので「一筆書いて」と言って和紙と筆ペンを出す。 するとO君は立ち上がって飲み終わった紹興酒のビンを掴んで、 「血判を押すよ」と言って去り、人差し指から血を流して戻って来た。
血判というより、ただ血がついただけ、みたいな和紙を泣きながらふぅーふぅーと乾かし、 店の前で別れたのが22:00過ぎ。涙声でSさんに電話入れるも留守電。泣きながら帰る。
新居は明治通り沿いの交差点近くで、夜も車の騒音が予想以上。 明日もいろいろやらなければならないことがある。暑さもあって眠れない。
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2001年07月31日(火)
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