Nさん |
悩んだ末にメーリングリストでNさんへのメッセージを募ったら、何人かからメッセージが届いて、やっぱり知らせて良かったかもしれないと思った。 良い悪いは私が決めることではなくて、大事なのはNさんがどう思うかだけど。
名古屋から見舞いに駆け付けたいというゼミ仲間と段取りをしているところへ、今日お見舞いに行った先輩からメール。
> (略)バーッと情報が伝わったために昨日はかなりの見舞い客が来たらしく、本人も相当疲れたようで、眠っていました。 > ご家族の許しを頂いて、最後に手を握って言葉を交わすことができましたが、一昨日よりやつれた様子で、広めてしまったことをちょっと反反省した次第です。 > もう本人は来るべき時に備えて、気持ちの整理をつけているし、ここに至るまでに、会いたい人にはコンタクトをとっているから、今また徒に広めることで、更に色々な人が登場して、本人やご家族の負担にならないことを祈るばかりです。 > ことここに至っては、知らされなかった人のことより、彼女の気持ちを優先したいよね。
しかし、Nさんが先に逝くと決まったわけじゃない。 誰だって次の瞬間に死んでしまうかもしれない。 私が先に死ぬかもしれないし、大地震が起きて、何千人もが一緒に死んでしまうかもしれない。 命にも人の気持ちにも、優先も後回しもない。というのは私のへ理屈である。
Nさんの命を縮めるようなことはしてはいけないのであって、お見舞いが負担になるなら行ってはいけない。 MLに病院名を書いたので、お見舞いは遠慮して欲しい旨再度知らせた方がいいのでは、ということになる。 ああ、またなんて書きにくいことだ!
名古屋の友人には、
「せっかく段取り決めたのに残念。ごめんなさい。祈ろう!」
> わかった。何だか人間ってじたばたしたくなるけど、Nさん本人が一番落ち着いている気がする。
本当に。全く。
MLには
「ただ、皆様の気持ちが、祈りが、言葉が、Nさんの命のエネルギーになればと思います。 私は『道きわまれども神に祈らず』ですが、Nさんの細胞一個一個にお願い!という感じで。
なので、お見舞いは無理でも『愛N』メッセージは寄せて頂ければと思うのですが。 言葉にしなくても、ただ祈って下さるだけでもいいかな。 みんなの思いが伝わりますように」
と投稿。
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2006年03月09日(木)
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