妄想更新日記
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そーいやー昨日¥100ショップでマンガよんでたらお料理マンガで幼稚園のお弁当に悩む主婦が弁当づくりの得意な奥さんの所にって教えてもらうんだけどオチにそのお弁当づくり上手な奥様はさぞかし小さい頃に素敵なお弁当を食べたと思いきや実は親が共働きで 「働く母の事は尊敬していたけれどお弁当を作って貰えなかったことはずーっと恨みに思ってたわ。だから私は娘にそんな思いはさせたくないからと...」とよよよ...と泣き崩れ「子どもの心に残る素敵なお弁当を作ってあげたいですね」と結ばれてる訳。
カッチーン!ときたね。
私も子どものお弁当には手間ひまかける人だった。でも家の保育園は皆忙しい人ばかり。お弁当の日の朝は夜勤明けで出発時間にしか帰って来れない人もたくさん。私も他の子のお弁当を何度か作ってあげた。そんな中であまりこだわるのをやめてしまった。
私の中で「手料理は母の愛」みたいな思いがあったからだ。でもそれが実際やろうにもできない人が居る。それでもその人は人間としても母としても立派な人でお弁当に手をかけれなくても準夜、深夜明けで少ない時間をくふうして子どもと一緒に遊んであげてる、一緒に何かをつくったり映画を見たり今日の出来事を聞いてあげたりする姿は中々真似のできる事じゃない。自分の身体に鞭打って頑張ってる姿はたとえ弁当作れなくても病気の時休めなくても家がくちゃくちゃでも立派な母だ。
世の中の「おかあさん」像を満たせば素晴らしい母な訳ではないよな。と悟ったからだ。
それまでは家も仕事も完璧にやらねば子どもの為に頑張ってる私をみせねばと思っていた。今はもうそんな追い詰められた思いはない。
でも世の中は要求してくるんだよね。 PTAにでないと学校や子どもの事考えてないとか 手料理こそ母の愛で技術がある人は愛情の濃い証し見たいに思ってたり 子どもがしっかりしてるのは親の躾のたまもの(反面教師ってことばがあるんですが...?)で子どもの出来不出来が親の評価だったり。
そういう社会の風潮を助長させるような本を堂々と売ってる所が腹がたつ。 子どももそれを鵜呑みにするから自分の親がそれをやれてるかやれてないかが気になるんじゃないか?
愛情って色々だよ。 物理的にできなくても 愛がない訳じゃないのに そこの家の子はお弁当を作って貰えなかった事をずっと恨みに思うのだろうか? 確かにお惣菜だったりしたら家のより美味しくないだろう。 パンなら味気ないだろう。 でも「恨みに」思う? 夕飯が会議のお弁当だと? 私が子どもの喘息発作時でも休めないのを将来彼等は恨みに思うのだろうか? ひとりでジーちゃんが来るまで家でまってる事を恨みに思うのだろうか?
社会は自分だけの為に回ってるのではない
本当は皆が働けばそのぶん皆が休めるけれどそれを許さない社会ででも誰かが働かなければ社会は回っていかない訳で。
貴方も寂しいかもしれないけど、もっと寂しい人ももっとつまらないものを食べてる人もいっぱいいるんだよ。
あんたの今のその寂しさ味気なさ、色んな所でいっぱい私は埋めたげる。 一緒にリース作って飾って 一緒に会議の後の真っ暗な帰り道今日の話して 一緒に家の掃除をして 一緒に洗濯をほして 一緒に書類打ってるPCの椅子に座って
うらみになんて思わないように。 それが愛情の証なんて思わないように 自分以外の人の痛みがわかるように
手料理だって好きだけどいっぱいつくるけど。
それだけじゃない思いで作るから。
そんな事を愛情の代替えみたいに言わないで!
そんな事を本で読ませないで。
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