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壱カ月|昨日|明日
2006年02月25日(土) |
アザミみたいに枯れたりしない |
2006年2月25日土曜日。覚えていること。
午前7時起床。まともな時間に目が覚めた。 ケペル木村がゲストなので、『ウィークエンドサンシャイン』は一応録音しておく。聴きかえすことはまずないと思うけれど。 サンバをBGMに朝食。ごはん、五目豆、卵焼き、シューマイ1個、バナナ、リンゴ、ヨーグルト。 午前中は黙々と、ただ黙々と、家の掃除に没頭する。窓とストーブと台所の床をピカピカに磨きあげた。
午後、仕事場へ。3時間ほど作業し、ドトールにてトーストと珈琲で遅い昼食をとる。 帰り道、先日偶然見つけて、でも正確な場所を記憶し損なった、八百屋さんを再び見つけなおす。北浜の大和百菜。もう忘れないだろう。 ネギ80円、小松菜70円、チンゲン菜80円、きぬこし豆腐75円、はっさく5個100円。全ての野菜に生産者の名前が書いてあり、安くて美味しい。 天満橋の雑貨屋で、ベトナム製の皿を2枚買う。126円と210円。
晩ごはん。鶏手羽元とトマトの煮こみ、豆と根菜の煮物、湯豆腐、ビール。
手帖に書いてあったこと。
『頭で想像したものは、ほんとうに起こったのではないから恐ろしくないと言えるだろうか。』
『「わたしはアザミみたいに枯れたりしない。少しぐらいたいへんだって、そんなことは問題じゃない、誰も人生は楽なもんだなんて言ってやしないさ。人生というのは、ただ生きていかなきゃならないものだというだけのことよ。」』
『僕は今日、少なくともひとつには、そうした人生を生き、死を迎えるための強さを見つけたいと思って、ここに来た。』
アレステア・マクラウド『灰色の輝ける贈り物』に収録されていた『ランキンズ岬への道』という短編からの抜書き。 人生の最後にさしかかった祖母と孫の、静かで厳しい小説だった。死に場所を探す最後の旅。ズドン、と心にこたえた。本は返却してしまったけれど、また読みたい。
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