|
|
■■■
■■
■ 教師 その1
娘は、女に生まれた事を1度も悔やまないだろうか・・・・
++++++++++++++++++++++++
私が9才の時でした。 まだまだ暴力的な教師が幅をきかせていた時代です。 宿題を忘れただけで、木刀で尻を引っ叩かれたり 水を飲む事を禁止した上で暑い中を45分間走らされたりしても 子供も親も文句を言う事が出来なかったような、そんなご時世でした。 少なくとも、私のいた小学校はそういうトコでした。
私はこの暴力教師が大嫌いでした。 見て見ぬフリをしている他の教師も嫌いでしたが 特に、この暴力教師は父と同じく「人間のクズ」だと思っていました。
父と同じ所はたくさんありました。 私達、児童のことを「ガキ」と呼び、自分勝手な理屈を平気で言います。 「ガキ」が間違ってる所を指摘すると、 『屁理屈』だと言って暴力を振うところなんかは、父と全く同じでした。 父とこの教師によって、「暴力を振うヤツ=バカ(頭が悪い)」 という図式が、私の中で確信されつつありました。 しかし、それ以上に、私がおびえる理由がこの教師にはありました。 女子児童に抱きついたり、尻を触ったりするのです。 この行為は、他の児童にとっては「先生、H!」ですんでいましたが 私には「犯罪」という意識が有り、少なくとも私は怯えていました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
まだ小学4年くらいだと、 新聞の記事を隅から隅まで読むコは多くありません。 私は母の強要で毎日、朝刊の一面トップと社会面、 その他、文芸面は絶対読むようにしつけられていました。 「分からなくても読め」それが母の口癖でした。 その為、他の児童が知らない恐ろしい事件をたくさん知っていました。 私を恐怖に陥れたのは、小学生低学年の女の子が亡くなった事件でした。 今の記憶では、いつ読んだとか、事件の詳細などは定かではありませんが 間違いがなければ、トイレで殺されたということでした。 今思えば、新聞には詳しくは書いてなかったかもわかりません。 しかし、9才の私には自分の中で筋書きが出来上がっていました。 6才の時の出来事を呼び覚まさせるのに、充分な事件でした。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
私は小学1年から5年までは、母が勤める小学校に通っていましたので その暴力教師は、それを意識してか私にはあまり触りませんでした。 しかしヤツにとって、そんな自制がいつまでも効くわけがありません。 いつしか、他の児童と同じようにされていました。
ある日、他の児童を触っていたその教師が、 キャーキャーと逃げまくる子を追いかけていました。 気にはなっていましたが、 私はクラス替えで別々になってしまった友達に 久しぶりに話しかけられた直後でしたので 後ろに注意を払っていませんでした。 すると、突然抱きつかれたのです。 いつもなら腕をはらって、逃げるところですが 体が硬直してしまい逃げることが出来ませんでした。 硬直というのは正しくないかもしれません。 膝がガクガクしてたように思います。 なぜなら、いつもとは違い胸に手を回された上に わざわざ腰をかがめた状態で、尻に性器を押し当てられ 上下になすりつけられたからです。 その上、この男は今にもよだれが垂れそうなほど、口をだらしなく開け 気持ちの悪い顔で笑っていたのです。 思い出すだけで、へどが出ます・・・。
他の子もそうされてたのでしょうか? 田舎の子ども達なので、 自分が何をされているか分からなかったのでしょうか? 少なくとも私にとっては、犯されたに等しい行為でした。 私が最もバカにしている「程度の低い暴力教師」にやられたという事が 人間であるというプライドさえも、引き裂いてしまったように思えました。
その後も6年の夏に転校するまでに5、6回はされたように思います。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
さすがに性器をなすりつけられたとは言えませんでしたが 胸を触られた事、苦痛に思ってる事を母に訴えてみました。 しかし、またもや私の期待は裏切られました。 「逃げたらええ」 そんなような一言だけで、冷たくあしらわれ、 母には守ってもらえない事を悟りました。 女に生まれなければよかった・・・と、思い始めるようになり 男を目の敵にし始めた、小学4年の春でした。
2001年07月07日(土)
|
|
|