たかぴー♪の日記
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2005年08月15日(月) 戦禍が奪った人生



 戦後60年、兵庫県内の空襲犠牲者の記録として神戸新聞が写真を集めていたのを知り、妻の父が昭和20年6月5日の神戸大空襲の折、防空壕内で焼夷弾に当たり亡くなっていたので応募した。
 今日の朝刊で、他に60人の方々と一緒に、その写真が載った。

 1945年1月19日から敗戦間際の8月6日まで、その中で3月17日と6月5日の神戸大空襲の犠牲者が多数を占めていたそうだ。
 妻の父は当時30歳、妻が未だ3歳の時に空襲の犠牲になっていたのだ。

 記事によると、6月5日午前7時過ぎからのB29が474機来襲し、神戸市東部や須磨区など焼夷弾を計3000トン投下。山すそのあった自宅近くに被害が及んだため、親せきとともに防空壕に避難。そこで焼夷弾の直撃を受けて死亡した。
 これは新聞社からの問い合わせに妻が答えたのと、当時の状況を書かれたものである。

 右端の紹介では、外国航路の船員、大阪商船のブラジル丸にも乗船した。一人娘(私の妻)に父の記憶はない。「ダンスが上手で、粋な人。すごくやさしいかったそうです。亡くなった母に聞きました」。とある。
 父の写真は、母と並んだ記念写真、この一枚とトルコ石で出来たブラジル丸が掘り込んだタバコ入れの置物、が遺品だ。
 その為、写真はスキャナーで複製、父の写真のみ送りました。

 戦後60年、若くして亡くなった父親のせめてもの供養になればと投稿したのですが、こうして60人の肖像と共に新聞に載せていただいてよかったと思っています。


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