ぼんのう
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2001年08月03日(金) 34%

財団法人日本青少年研究所が発表した日本、韓国、米国、フランス4か国の中高生に聞いた意識調査で、21世紀が希望に満ちた社会になるかとの問いに「そう思う」と答えた日本人のパーセンテージである(ちなみに米国86%、韓国70%、フランス64%)。

刹那的快楽に埋没するこの流れは止められない。
将来への絶望をむしゃぶる焦燥感は止められない。
欲しいのは暴力、欲しいのは破壊、欲しいのは性器のタギリを冷ますもの…
しかしその先にある貧困と荒廃を彼らは一身に負うのであろうか?

「責任は、今の大人たち」
「自然破壊の限りを尽くして、未来はない」
「努力しても報われない」
「悪いことをしたほうが、結局得」

それにしても、彼らを支配しているのは、理想というものではなく、
人倫を覆い隠した氾濫する情報の悦楽…他に頼るものはない。

異臭放つこの溢れんばかりの情報、なんとかできないものか?


我輩はふと、自分の幼少時代を思い出した。
米国で生まれ育った我輩であるが、当地は子供の世界と大人の世界を完全に
隔絶した教育を中心としていた。
子供は大人の如何なる情報からも隔絶される…しかしその代わり、
子供の世界をイマジネーションと愛情で溢れたものだけを提供し、
責任ということ、自立するということの素晴らしさと重さを徹底的に教える。
それは親に限らず、社会全体が支えるものであるという信念で。
そして社会が、子供が大人としての自覚を持ちえると認識した上で、初めて
大人の情報の門戸を開くのである。しかし決して、溺れることはない。
自らの言動と行動に対して、責任を感じる訓練を成しているからだ。

米国は実は非常にストイックな道徳律に守られている。
「米国は開放的だ」と言う連中は、単に米国社会におけるアウトサイダー
(またこれが非常に目立つ)しか見えていないにすぎない。そして
自らのだらしなさを、アウトサイダー達の責任にする…みっともない。

ひるがってみよう。

日本人は何時から、自らの言葉と行動に“責任”を感じない国民になったのか?
何時からこんなだらしない民族となったのか?
そもそも“責任”という言葉の意味を、じっくりと考えたことがあるのか?

未来に絶望するのは、自らの言動に責任を持たない事を意味する。




さて、堅苦しいのはこのへんで…
昨日のクイズですが、正解は

「口の中」

でした。つまらんのおおおおおお…


ANDY 山本 |HomePage

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