雑記乱文
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2004年01月17日(土) 阪神大震災

阪神大震災から9年ですね。
僕は大学生で実家にいました。
ほんの2時間前にベットに入って寝たばかりなのに、何故か目が覚めました。
しばらくすると「ガタッ」っと物音がしたかと思うと、グラグラグラと揺れ始めました。
寝ぼけていたのか僕は「あっ、ドッキリカメラで誰かが家を揺らしてる」と頓珍漢な事を思いました。
ですが、揺れが続くうちに地震という事がはっきりと分かり、そうすると怖くて怖くて堪らなくなったのです。
二十数年間生きていて、初めて地震で「恐怖」を感じました。
そうしていると別の部屋で寝ていた父が「ウワァ〜ウワァ〜」と叫び始めたました。
母も妹も叫ぶまではしませんでしたが、驚いているのが分かります。
揺れ止まると僕は枕元にあるラジカセのチューナーをNHKに合わせてみました。
あれほど大騒ぎした他の三人はすでに寝入ったようでした。
僕の住んでいた地域は震度4。
震源地は淡路沖、震度は6。(だったと思います)
そうか震度4か。それにしては揺れたなぁ〜。
そう思っただけで、僕は再び眠りにつきました。
起きて朝。
すでに家には誰もいません。
身支度を済ませて、僕は大学へ向かいました。
車で通学していたので、毎朝友達を一人迎えに行っていましたから、その日もいつものようにその友達の家へ向かいました。
部屋について中を見ると、真剣にテレビを見ています。
テレビには廃墟と化して、黒煙や炎を上げる街が写っていました。
「なんのビデオ観よるん?」
「ビデオじゃなあよ。神戸じゃが。」
そういわれるまで僕は気づきませんでした。
そしてその何倍もの時間が流れても、そのテレビ画面の映像を自分の中で受け入れることが出来ませんでした。
「ありえない光景」信じられませんでした。
その日は何をしても面白く感じられませんでした。
授業を受けても、放課後友人数人とボーリングへ行っても、みんなが楽しめることが出来ませんでした。
時間を追うにつれ状況が分かるに従えば従うほど被害者の数が増え、阪神がどれほどのダメージを受けている事が僕達をなお落ち込ませました。
友人それぞれにそこには親戚がいます、友達もいます。
なによりも「ありえない光景」に僕らは一番ショックを受けていました。
幸いにして、僕らの周りの人達の関係者は全員無事でした。
数年後、家族で大阪の祖母の家に行くときに阪神高速の下を通りました。
所々に復興しきれていない箇所や、奥のほうに目を向ければプレハブも残っていました。
あれからまた数年たちました。
正直に言うと、あれほどのショックを与えた阪神大震災も1月17日にならないと思い出さない程度になっています。
でも、「阪神大震災」という言葉を聴いたり、見たりすると僕の頭の中にはテレビの中のあの光景が鮮明に思い出されます。
残念ながらこの後も僕は「ありえない光景」を目にすることになってしまいました。
でも、それはすべて人間が作り上げた光景でした。

阪神大震災の犠牲者の方々のご冥福をお祈りします



朝:なし

昼:焼きそば UFO

夜:野菜うどん(2.5玉)

間:どん兵衛

運動:水泳 1000m


たつき |MAIL

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