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( 尾崎豊「15の夜」と「17歳の地図」 )
2001年10月22日(月)


最近、尾崎豊をよく聞いてるので
彼の事について書こうかな。
彼のことっつーか歌について。
あたしの好きな歌に、「15の夜」と「17歳の地図」というのがあります。
尾崎豊ね。
この題名からみるように、
15歳の心と17歳の心ってかんじなんだけど、
この2つの歌の歌詞は似てるようで違うのです。
けど、上手にその年々の心を反映していると思う。
例えば、「大人」に対しての心情

「15の夜」のバアイ
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ

「17歳(以下略)」のバアイ
電車の中 押しあう人の背中にいくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした

ああ。涙もろくなってるよ。・・・ってちがうってバ。
人の気持ちが、わかるようになったってところでしょうか?
成長してるよね。
しかし、15の視点からみた「大人」というものに
少し近づいてしまっているようで、悲しくは、ある。
けれど15歳(らへん)とかいうのは微妙な年だったように思う。
たしかに何もかも嫌だった。ってゆうか気に入らなかった。
反抗期というのとも少し違う気がするけど。
いちばん自己中になれる時期なんじゃぁないかと思う。
さて。
そこで。「自分」について。

「15歳」
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
誰にも縛られたくないと

「17歳」
何のために生きてるのか解らなくなるよ
どんな生き方になるにしても自分を捨てやしないよ
強く生きなきゃと思うんだ

自分というものが見えてきたかな。っつーかんじですかね。
とりあえず、15歳というのは干渉されたくないんでしょうね。
はい、あたくしもそうでした。
まぁ、今もそうだけれども。
成長すると前向きになるのかな?
けれども。
変わらないものもあるわけで。

「15歳」
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てだというならば
なんてちぽっけで なんて意味のない なんて無力な

「17歳」
少しずつ色んな意味が解りかけてるけど
決して授業で教わったことなんかじゃない
口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても
素敵な夢を忘れやしないよ

授業なんていらねーよまったく役にたたねーよコノヤロウ。
一言でいえばそういうことです(訳しすぎ 死

・・・ってなわけで比較してみましたが。
結局何がいいたかったんだろう 笑
15歳と17歳は、似ているようでまったくちがうってことかね。
そうだそうだ。
結論。
チュー坊は所詮チュー坊であってこーこーせいには勝てない

・・・どんな結論じゃい。

はっ。喧嘩うってる?!







書き人→葉月
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